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中庸であれ 


中庸であれというタイトルです。

これは、昨日に引き続き、アリストテレスの提唱した話の中で、仕事においてめちゃくちゃ役に立ちそうと思ったので書いていこうと思います。

「中庸」とは、なにごともほどほどに。という意味です。

ほどほどはいいことなのか?
と疑問を持つ人もいるでしょう。

ちなみにわたしはぶち抜きたいタイプなので、中庸ではありません。

不足→中庸→超過

といったカタチで、わたしは超過に分類されます。


それぞれの特徴を整理


不足 → 中庸 → 超過の順で例を挙げると、

    卑下 → 誠実 → 自慢

    恥ずかしがり屋 → 恥を知る → 恥知らず

    臆病 → 勇気 → 無謀


といった具合です。

中庸がいいというのは、組織に属している以上、立場があり、その立場での立ち振る舞いでいかにベストパフォーマンスを発揮するかがポイントです。

そうしたときに、中庸であることが組織においてのベストパフォーマンスを発揮できます。


わたしの例を挙げると、

コロナ期間でオフラインでの繋がりが遮断され、オンラインでの競争が加速されました。
住宅業界は、他の衣食と比べて進化が遅く
YouTubeで配信だったり、オンライン打ち合わせもなかったのです。

コロナ前から会社に提案はしていましたが、情報をわざわざ他社に見せることになる。だからだめだ。と言って通らず、

コロナ期間になり、今早く手を打って他社よりも先にオンラインに強い印象を見せないとすぐ追い越されます。
と提案しても、わからないことをやっているのだから時間がかかってもしょうがない。
とまた意見が通りませんでした。


これには、2つわたしの失策があり、
1つ目は、単純に相手が解るように伝えきれなかったこと。
権威のない中で、いくら口ばかりで伝えても相手がその先の未来にどんな結果が待ってるかを共感してもらえなければ伝わりません。

2つ目は、中庸でなかったこと。
超過に分類されていると、「出る杭は打たれる」となり上司からしたら気持ちよくなかったのです。
たしかに正論だけど、自分が気持ちよくないと乗り気で物事に取り組めません。
そこの根回しや気配り、配慮に不足していたのです。



出過ぎた杭は打たれません。




ここになりきれなかったわたしの弱さですが、
中庸であればよかったのです。

上記の特徴を見ると、単純に中庸であることが上司から可愛いがられるポイントでもあるのです。


可愛いがられることを目的にはしませんが、
仕事をしている以上、結果を出す為に行動できた方がいいです。



「中庸であれ」



この言葉を知ったときに、まさにサラリーマンはここに尽きるなあと感じた次第です。

この考え方が生温い!と感じる方は
ぜひぶち抜いて、出過ぎた杭になりましょう。
出た杭程度では打たれますゆえ…





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