『一度きりの大泉の話』と『少年の名はジルベール』 | 月読草子

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月読文世 @ 文章修行中

 

皆さま、こんにちは!


6月に入り、さすがに雨の日が増えてきましたね。


そして今週から、気温がググッと上がってくるとのこと。

 

どうかご身体にお気をつけくださいね。

 

 


さて、最近話題となった、

『一度きりの大泉の話』(著:萩尾望都)

 

を読んでみました。

 

 

 


東京の端っこの大泉で、上京したての萩尾氏と、すでに新進の漫画家として脚光を浴びていた竹宮恵子氏が、共同生活をしていた頃を振り返った内容です。


私がマンガを読み始めた少女時代には、すっかり中堅作家な印象だった萩尾望都さん。


でも、そう思っていた頃にも、さまざまな葛藤があったのですね。

 


実は私、萩尾氏と竹宮氏との関わりは、本書が話題になるまでまったく知りませんでした。


で、この本を書くきっかけとなったのが、2016年に出版された、

 

『少年の名はジルベール』(著:竹宮恵子)。

 

 

 


「少女マンガで革命を起こしたマンガ家の半生記」という触れ込みのこの本が世に出ることによって、萩尾氏のもとに、取材依頼やら、ドラマ化の申し出やら、竹宮氏との対談の打診やらが殺到するようになり、ゲスな勘ぐりをされることもあったようなのです。


そこで、


「仕方がない、もう、これは一度、話すしかないだろうと思」った(前書きより)

 

とのこと。


結構、赤裸々に率直に、当時の出来事や感情などが書かれていて、頭に映像が浮かぶくらいでした。


これはつらかったな~、萩尾さん。


仲が良いと思っていた相手から、突然の絶交。

 

 


ただ、片方の言い分だけではフェアじゃないな、と思い、『少年の名はジルベール』も取り寄せて読んでみました。


そこには、萩尾氏への賞賛と、その才能に嫉妬し不安にかられる20歳の正直な気持ちが綴られていました。


なるほど、こうした心境で萩尾氏と距離を置くことにしたんだな、と理解ができます。


この本が出版された際に、萩尾氏に送ったということですから(送り返されたようですが)、きっと長年のわだかまりをこの本で解きたかったのでしょう。


萩尾氏さえOKなら対談してもよい、とも発言されていたとか。


でも、竹宮氏とのことを封印していた萩尾氏としては、竹宮氏がその頃について話せば話すほど、その記憶を呼び覚まされ、周囲にアレコレ詮索れて、とてもつらかったようです。


雪解けを期待したであろう竹宮氏と、「永久凍土に封じ込めるつもり」(本文より)という萩尾氏。

 

 


ちなみに、現在竹宮氏のマネージャーをしている実妹のブログに、『一度きりの大泉の話』を読んで心がザワザワする、みたいな感想が書かれていました。


当事者に近い人物が、しかも当時はまだ竹宮氏の仕事に関わっていなかったというのに、そんなこと書いちゃって大丈夫?なんて感じたのですが。


それに、その記事には『少年の名はジルベール』の表紙がバーンと添えられていて、ちょっぴり違和感。


竹宮氏サイドは、もう少し慎重になったほうがいいのかも、なんて思いました。


(現在は削除されていて、読むことはできません)

 

 


私事ですが、遠い昔の高校時代に、似たような(もっとうんとスケールの小さい)経験がありまして。


本を読んでから、当時のことがふと思い出されるようになっているので、ちょっと書いてみますね。


(興味の無い方はスルーしてくださいね)

 


高校生になったばかりの頃、ゆるい4~5人の仲間がいまして、その中でも特に仲良くしていた友人が、Aさんでした。


Aさんは、気が強くてまっすぐな性格なのですが、人を傷つけないように配慮する優しさを持ち合わせていました。


時々はその配慮の手綱が緩んでしまうこともありましたが、楽しく付き合える友人だったのです。


その仲間に、ある頃からクラスメイトのBさんが加わるようになりました。


Bさんはキツイ性格の人で、それまで仲良くしていた友人に「あなたといると疲れる」と言われたとのこと。


ションボリした様子が気の毒で、私たちは一緒にいるようになりました。


ところが、慣れてくるに連れて、Bさんは本領を発揮し始め、そのキツさとAさんの気の強さが呼応するようになり、2人してしょっちゅう人の悪口を言うようになっていったのです。


私は前のAさんに戻ってほしくて、


「あの人はそんな人じゃないと思うよ」


などと、険悪にならない程度に注意をしていたのですが、2人の勢いは止まらず。


Aさんは自分でも良くないこととは気づいていたのでしょうけど、配慮を手放す快感と多少の罪悪感も絡み、だんだんと私を疎ましく思うようになっていったようなのです。


そしてある朝、私の下駄箱に、Aさんからの絶交を言い渡す手紙が入っていました。


とてもショックでしたが、正直ホッとしている自分もいまして。


翌朝は早めに登校して、


「わかりました。今までありがとう。」


とだけ書いた手紙を、Aさんの下駄箱に入れておきました。


それから少し経つと、共通の友人から、


「Aさんが、『絶交したのに、ありがとうって言われた』って言ってたよ」


なんて話を聞かされ、なんじゃそりゃ (゚Д゚)、と放置しておきました。


またしばらくすると、


「Aさんが仲直りしたがってるよ」


なんて言われて、なんじゃそりゃPartⅡ (゚Д゚)。


微妙な変化に気づいていたとはいえ、いきなり刃を向けられたようなショックは、そうそう薄れるものではありません。


それに、すでに気の合う友だちもいて、校外のイベントにも頻繁に参加したりと、新しい世界が拡がっていたところだったので、今さら感があったのですよね。


卒業式の日に、Aさんの何か言いたげな視線とぶつかりましたが、そのまま高校生活を終えました。


冷たいようですが、ある日突然絶交を言い渡されたほうは、自分なりに解釈して、反省できるところは反省し、あとは封印するしかないのです。

 

 


まあ私の経験は、高校を卒業してしまえば終わる話でしたが、これが有名人だからといって衆目にさらされ、興味本位でアレコレ言われるのは、本当に苦しいことでしょう。


本を出さざるを得なかった萩尾氏の気持ちが尊重されて、周辺の騒がしさがおさまっていくことを祈ってやみません。


私もこのブログを書いてから、自分の思い出とともに、この2冊をしまっておこうと思います。

 


とはいえ、ともに才能に溢れつつ、タイプの違うお2人の心の動きは、対人関係を学ぶ上でも、非常に参考になります。


よろしかったら、ぜひ手に取ってみてくださいネ (^-^)


せっかく苦しんで出した本、たくさんの方々に読まれて理解が得られますように……。