一番大切なのは…

一番大切にしたいのは…

 

自分の氣持ち。心なんよ。

 

だから一番大切なことを、

大切にしたいの。

 

ただそれだけ。

2025/11/17

この日、和多志は、自分優先の人生を歩むという事を決意しました。

これはワガママではなく、自分に優しく正直に生きるという事です。

嫌なことはやらない。

我慢しない。

そして、家族でも境界線を引く!

 

 

今まで、家族がしんどい時は寄り添うのが当たり前。だって家族だもん。そのための家族でしょ。ってずっと思ってきたというか、そんな事考えもしないほど、当たり前に反応してた。それに対して良いとか悪いとかではないんだけど…。

 

重い空気になってる時、無意識に明るく振る舞うとか…、泣き言を全部聴く、全ての要求に答えようとする…

わたしのなかの何とかしなきゃモードが勝手に発動して、これホントに無意識レベルで何十年もやってきた反応なんだと思う。

現家族に対しても、自分が育った元家族に対しても。

 

でもそれやって、自分の時間も気持ちも心と体さえも後回しにしてて、それで自分がね大丈夫なわけないのよね。

 

わたし、それで壊れる一歩手前までいった。

 

でも吐き出させてくれる友のおかげもあり、自分の気持ちや心を守ろうと思った。

 

だから、家族からは薄情にみえていたとしても、自分を守るための境界線は引こうと思う。

わたしの感情の波を自分でしっかり感じて見つめて冷静に観察できるように。

 

今までのように、すぐ反応して言葉を返すとか先回りして行動しちゃったりしたら、それこそまた、おんなじことの繰り返しになっちゃう。

 

今までと真逆をやってみようと思う。

 

見捨てるとかではないし、拒絶してるわけでもないし、出来る事はやるし、寄り添いもする。

 

でも心が嫌がってることはしない。自分にも優しく正直に生きたい。

 

 

みなさん、私は今キラキラの舞台に立って話そうとしてますが、

余裕があるように見えますか?

 

実は私にとってキラキラに挑戦することは、本当にコワイことで

今もすごくコワイです。

 

私は大勢の人の前で話すのは、得意でもないし、好きでもないし、ましてや自分の事をさらだすなんて、そんなの無理無理!

 

でも、自分がコワイと思っていることに、GOして挑戦することで、人生が変わるという事は色んな学びの中で頭では解っていて、

だから怖いけど、やってみよう!と何故か突き動かされたように、エントリーしていました。

 

そして、このキラキラに私がコワかったけど、GOしたことで、実はもう本当に大きな変化が起こり始めました。

 

今日、それをみなさんにシェアして、是非みなさんが何か一歩踏み出せなかったことにGOできるきっかけになればと思い、今日はお話をさせていただきます。

 

キラキラに挑戦すると決めたそのタイミングで父の体調が不安定になり入院することになりました。

 

父は寡黙で子どもの頃からあまり会話もなく私にとっては希薄な存在でした。

 

そんな父に膵臓がんが発覚し、入退院を繰り返す中、残された日々を悔いなくしっかりと関わりたいと、今までの関わりの薄さを取り戻すかのように父との時間を第1優先で過ごしてました。

 

父がベッドから起き上がれなくなってからは、ほぼ毎日病院へ通い、

今まで伝えられなかった一生分の想いを、ここで伝えなきゃと強く感じ、

父の耳元で『大丈夫、ありがとう、大好き』を伝えるようになりました。

 

そして父の口からも「ありがとう」が聴かれ、

全身からもありがとうが伝わってくるような気がしました。

 

だからこそ、父の全身から溢れるその言葉が聴きたくて、毎日毎日病院へ行き、手を握り、身体に触れてハグをして最期の最期まで、

それこそ一生分のありがとうを伝えきりました。

 

そして父は天国に旅立ちました。

 

今思うと、まるで私に家族の在り方を考えたり

『今、伝えたい思いや感情を今、伝えられるうちに伝えなさい!』と

命をかけて伝えてくれたかのような旅立ちのタイミングでした。

 

その父のメッセージをきっかけに

私にはずっと自分が小さいころから感じていたけど

見ないようにしていた心の奥底にあった傷に

目を向ける事ができるようになったのです。

 

その傷とは

どうしても乗り越えないといけない母との関係です。

 

 

私は、両親と5つ下の妹との4人家族で育ちました。

 

母は根っからの働き者で、私たちが小さい頃は内職をし、妹が小学2年生にあがると近くの産婦人科に看護師として復職し68歳まで勤めあげながら、家事も一切手を抜かず、趣味の畑仕事もし、絶えず動き回っていました。

何でもそつなくテキパキとこなす母。

 

そんな母に育てられた私は、思った事や本心をうまく母に伝えられず、

甘える事も出来ず、むしろ母の威圧感から

「お母さんみたいに何でもうまく出来ない」

「お母さんには分かってもらえない」という気持ちを

常に抱えるようになってしまいました。

 

特に私は親に褒められた記憶があまりなく、

むしろ母から言われ続けた

「あんたはだらしがない」「あんたは根気がない」「あんたはこらえ性がない」という

言葉の方が強く記憶に残っており、

自分はこの家に居場所がないという感覚を持っていました。

 

「私は本当にここに居ていいの?」

 

そんな気持ちが私の中にずっとあったので、

両親と腹を割って話をしたり、

自分の想いを伝えたりする事ができませんでした。

 

だからこそ父が亡くなったあと、

一人暮らしになる母親に一対一で関わるときに

そんな今までのうわべだけの関わり方では嫌だ!後悔する!

そう感じたから私は母に子どものころから感じてきた思いを

ラブレターにして直接母に読みました。

 

「私はお母さんみたいに色んな事をテキパキこなすことも出来なかったし、望むようなこどもではなかったかもしれない。大人になってからも「なんの役にもたたない」と言われた時は悲しくて涙が止まらなかった。でもね、私はお母さんの事が大好きだし、この年齢になっても好きだと言ってもらいたいし抱きしめてもらいたいと思っている」

 

少し割愛してますが、そのような事を伝えました。

 

ソファーに横並びに座って、前を向いて聞いていた母は、そのまま私には視線を合わせず、涙を浮かべて「あんたずっとつらかったんやねぇ、ごめんねぇ」「子育て間違ってたんやね」と言ってくれた。

そして翌日、母からは次のようなラインが届いた。

 

「私は子どもの気持ちを考えることなく自分の思いのまま行動してたんだよね。今になって気づいても後悔先にたたずで申し訳ない。重々反省してます、ごめんなさい、謝ります」と。

 

そんな風に謝ってほしかったわけじゃなかった。

間違っていたとは思ってほしくない。

 

子育てに間違いなんてない。いい悪いなんてない。

みんな親は子どもに良かれと思って、その時の精一杯の愛情で接してるし、

それは充分に分かっている。

 

だからこそ、私は母に

ただただ私の気持ちを受け止めてほしかっただけ。

そして受け止めて抱きしめてほしかっただけだった。

 

 

ずっと伝えたかった思いをラブレターにして伝えたはずなのに、

伝えきれてない気がした。

 

まだまだ本音でぶつかってない。

ちゃんと母の目をみて言えてなかった。

怖いから逃げている気がしていた。何から逃げてる?

またスルーされたら?もう傷つきたくない。もうこのままでいいかも。

言えるわけない。

 

色んな思いがあふれる中、父からの声が聴こえたような気がしました。

『お母さんにちゃんと伝えたらいいやん、お父さんがついている』と。

 

そうだ!怖いはGOサインやん!

もう一度だけ勇気をもって

『今思ってることを今伝えないと!』

 

 

そして、母と立ったまま向き合って、まっすぐに目を見て言った。

 

「お母さん、一つお願いがある、、、抱きしめてほしい!」

 

母はビックリしたように一瞬目を大きく見開いてから

一歩近づいて、しっかりと抱きしめてくれました

 

母は「こんなことしたことなかったね」と言いながら

ギュっと力を入れ、そして優しく体をさすってくれました。

 

なんともいえない溢れるような満ち足りた気持ちと温かい体感。

その体温を感じながら、50年前の小さな私が泣いていた。母も一緒に泣いていた。

 

 

私にとって、母に本心からの手紙を読んだり、

ましてや50代の私が80代の母親にハグをお願いするなんて、

こっぱずかしいを通り越して、怖くてできないことでした。

 

でも父の計らいなのか、私は母がまだ元気なうちに半世紀もの間、

心の奥底で願っていた自分の思いを伝えました。

 

 

今日のこのキラキラ講演に挑戦するのも怖くて嫌だった。

でも「怖いはG Oサイン」と思って一歩踏み出したことで、

思いもしない展開が巻き起こり、

父との別れもあったけど、それがあって母に本心を伝える事ができ、

私の人生の宝物が一つ増えました。

 

それこそ「コワイはGOサイン」で行動したから!

 

でも、私もすぐにGO出来るわけではありません。

私は怖いにGOを出す時、いつもやっていることがあります。

それは、自分自身に『大丈夫、大丈夫、大丈夫』と何回も、何十回も言い聞かせる事です。

 

みなさんも、何か挑戦したい事がある方や、もしかしたら誰かと本音でぶつかってなかったり、心の奥底に閉じ込めてしまった思いがある方は

『大丈夫』という魔法の言葉を自分自身に言ってあげながら、勇気をもって挑戦してみてください。

 

いつからでも大丈夫!私は50年かかりましたから。

 

「コワイはGOサイン」です。

 

 

これは、2024/8/17に、キラキラ女性講演会の関西予選会に挑戦したときの原稿。

12分間のスピーチだけど、私のタイムは9分台だった。どれだけ飛んでしまったんだろうびっくり

 

原稿が出来上がったのが1週間前。

この3カ月半、怒涛のような日々でした。

職場も変わったり、色々あったけれど、

その中で今の自分の全力を出し切った!

自分との約束果たせた!

今、自分によしよしハグハグしてあげたい気持ちでいっぱいですドキドキ

お父さん、お母さん、ありがとう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

父が、身体を、命を使って最期に私に教えようとしてくれたもの。

父の全身からは、『大丈夫だよ。大好きだったよ。ありがとう。愛してるよ。』と聴こえた氣がしました。

 

だからこそ、その全身から溢れる言葉を聴きたくて、毎日毎日病院に行き、手を握り、身体に触れ、耳元で、私もいつも「大丈夫、大丈夫。大好き。ありがとう。」と伝えていました。

それこそ、一生分の「大好き。ありがとう。」を伝えきりました。

 

だからこそ、私は今、生きている母、妹、娘達、夫、

そして全てのかけがえのない大好きな人達に伝えていきたい。

「大好きです。ありがとう。生きててくれて本当にありがとう。」

 



ご訪問ありがとうございます。


1年半以上もブログを書いてなかったら、すっかり書き方を忘れてしまいました💦


備忘録として、書き記しておきたい事があり、久々にパソコンに向かってます。



ESSE(エッシー)という、超簡単に端折って言うと、

身体の筋膜に働きかけ、身体の声を聴くセッションを受けました。


ファシリテートして頂きながら、私の身体が訴えた事…。


まず、一番初めにおばあちゃんと一緒にいる私の姿が見えたそうです。 


父方の祖母?母方の祖母?

色々探っていくと、それは主人の母。私のお義母さんのようでした。


穏やかに寄り添ってくれている…。


でも、主人に何か伝えたいようです。

 

17年前に他界したお義母さん。

膵臓がんでした。


通院で化学療法を受け、最期は自宅で過ごしました。


息子(主人)はなんらかの罪悪感のようなもの(すぐに見つけてあげられなかった等)を感じてるだろうから、それは手放して欲しいと…。



そして、実の母のところに、私が生まれた意味(目的)も解りました。


私が生まれる2年前に母は男の子を出産していました。

今の時代なら生きられる。

当時はあまりに小さすぎて、3日でお空に還って行きました。


きっと、色んな思いが母にはあったと思います。

私は母に寄り添い癒やすために、お腹に宿り長女として生まれ、母を強くするために、自分は何も出来ない(自己ジャッジ)を選択したようです。


何十年も自己ジャッジを重ねてきました。

もう、そこは必要ないし、自分の選択で母との関係も現実もいかようにも変えていけます。


主人に対しての怒り、イライラは、解ってもらえない悲しみからのものでした。

そして母親に言えなかった、出せなかった感情をぶつけてたようです。

これは以前から気づいてました。


怒りは第二感情。

全ては愛と言われても、今までなかなか腹落ち出来ずに、繰り返してました。


これも自分自身の選択。

このままずっと、これをやり続けるのか、手放すのか。


きっぱり今度こそ手放します。