どうも月静です。

 

今どきは、セール時期ですよね。

私もウキウキ♪でネットショッピングをしていて

(※セールでお得に買おうとするのは貧乏マインド。。。というのは、

もうスピリチュアルお金持ちの皆さんからしたら常識でしょうが。。。

お値下げのお知らせがくるとやっぱり覗きにいっちゃいます照れ

 

そこでかわいい~!ワンピを見つけました。

こういうやつ(伝われwとか言いつつ毎回マウス画w)↓

 

まあセールで半額になっても決してお安くない代物だったのですが

レビューが30件もついてたので、「どれどれ。。。」と眺めてました。

人のレビュー、めっちゃ好きです。用もないのにめっちゃ見ますw

 

そこで、こういったのを発見。ご本人が描きたかった意図はもしかしたら別のもの

かもしれませんが。

 

「とっても素敵なワンピースでした。でも家族に似合ってないと反対されたので、

泣く泣く返品しました。」

 

はい、ここでよく浮かぶだろう意見、言葉。

 

 ・似合ってないならしょうがないですね、似合う服を探しましょう。

 ・ダサい人は見ていられないので、返品して正解です。

 ・自分が好きなら、家族がどう言おうが着たらいいんじゃないですか?

 ・自分が好きで着るのはいいけど、家族がそうなら一緒に歩きたくないですね。

 

。。。とかでしょうか?

 

そして、この『シチュエーション』『シーン』に対する、問題点で論じようとするとこうなる。

 

 ◆ダサい人はおしゃれになる努力をしよう

 ◆清潔感がある服装なら、すごいおしゃれじゃなくてもいいじゃん

 ◆似合っている服を着るべき、似合っていない服は不快

 ◆自分だけじゃなく、家族や周りのことを考えるべきetc。。。。。

 

これらは一つの『解決策』ではありますが、

一体何の解決策なのか。

 

これは、自分以外の自分の外側(周りの人たち)の気分を良くしようとする「解決策」。

 

そして、例えば努力して、結果、おしゃれになった。

例えばおしゃれじゃなくても清潔感のある似合った服を着て

家族にも好評な結果になった。

 

結果が良くなった。そのために努力した、自分を評価した。

 

普通に聞いてると、いや、いいじゃん。となりますよね。

おしゃれになって、自信もついて、家族にも好評で~とか。

 

 

まてまてまて。違う、そうじゃない。そうじゃあない。

 

 

おしゃれとか、似合ってるとか、そんなんちゃうねん。

どーーーでもいいねんそんなん。

 

素敵なワンピースを泣く泣く返品した、

あの悲しい自分は、そこに置き去りよね????

 

なぜ、置き去りになっているのでしょうか。

ワンピース着れなくて悲しいから?違います。

 

それは、自分の選択の決定権を、家族に(他人に)委ねたから。

 

正しくは、家族のせいにした、かな。

 

結果はどうでもいいんです。結果に正解不正解もないんです。

 

似合ってない服を着るという結果、

家族の反対を押し切った、という結果

おしゃれになる努力をしておしゃれになったという結果

 

どれでもOK。

 

ただし、それは、その時その時、自分で意思決定をしたかどうかが大事。

 

 

家族に反対された、「私は、家族の意見を取り入れて、返品することを決めた」

家族に反対された、「私は、家族の意見は押し切って、着たいから着ることにした」

とする。

 

家族に反対された ”から”

私は ”本当は似合ってなくても着たかったのに” 返品した。

 

これだと、いつまでもいつまでも、どんな結果になろうとも

あの時の「自分」が決定権を与えられずに、悲しいままになるってこと。

 

あと「期待して頼んだ商品が似合わなかった事実」と、それに伴って出てきた「がっかり」した感情と、

「自分の選択権を他人に委ねた悲しみ」、をごっちゃにしないこと。

 

商品は悪くないし、素敵な品物でも似合わなくてがっかりすることだってある。そこはコントロールできないところ。

しかし他人に選択権を委ねることは、自分しかコントロールできない。

 

素敵な商品ばかり手にしたい!そうすれば気分も良くなるはず、と結果を渇望することよりも

まずは自分の選択権に注目すれば、どのような結果になろうとも

「選択したのは自分だから」というマインドになる。そうすれば「がっかり」も楽しめるようになるはず。

 

誰に何を言われようと、誰かの意見を取り入れようと、行動する決定権は自分。

自分に責任を持とう。