この世は謎だらけ

この世は謎だらけ

「謎」なものに興味があります

Amebaでブログを始めよう!
以下、http://blog.goo.ne.jp/blue77341/e/29ef6d4194bde3d62756469fcac20fe1 様よりお借りしましたm(_ _)m
------------------------------------------

座敷の主人公は仏壇だったこともあるが、今はたいてい床の間だ。

床に掛け軸をかけ、花を活け、香を焚く。
また達磨大師などの仏画をかける。

一方、仏壇は床の間に並べるか、あるいは奥に仏間を設けてそちらへ移している。

仏像などの他に、何人もの先祖のお位牌が祀られていて、毎月1日と15日にお経をあげる。

これは「畳の間」の話であって、家族みんなが炉のまわりに集まって食事をする“常居(じょうい)”などと言われる「板の間」にも、神様がいらっしゃる。

神棚が高い所にしつらえられてあって、家族全員を見下ろしているのである。

この様に「高床」(畳の間や板の間)には、いろいろの仏様や神様がたがいらっしゃる。


ところが神様がいらっしゃるのは「高床」だけではない。

実は「土間」にもまた、いろいろの神様がいらっしゃるのだ。

「板の間」にいらっしゃる神様は、由緒ある神社などからお札をもらってきて神棚にあげて祀られているものであるが、「土間」の神様は井戸の神様とか、かまどの神様とか、便所の神様とか、どのような姿かも分からなければお札もない、皆目出自のよく分からない神様たちだ。

正月に井戸やかまどや便所などの前にお餅が飾られるから、それと分かるのである。


そうすると家中に、達磨大師または掛け軸の画または書、先祖のほとけ様、神様、土間の神様と、都合4種類の神様がいらっしゃることになる。

しかも不思議なことに、それらの神様たちは決して一つの部屋に同居なさらない。

みな別々の部屋にあるいは別々の空間におさまっていらっしゃる。

“神座”である。

そうして一つの家の中で仲良く暮らしている。

みごとな共生と言う他ない。


ではどうして、4種類もの神様がいらっしゃるのか。

考えてみると、「土間」の神様は竪穴住居の神様であろう。

竪穴住居というと、縄文のころからその土地にいます神様だ。

人々に、この日本列島で生きて行くさまざまな術をさずけてくださった神様たちである。


これに対して、由緒ある「板の間」の神様は、あとからやってきた神様、あるいは支配者または征服者としてやってきた神様である。

弥生時代や古墳時代に出現した神様、あるいはその末裔の神様であることが多い。

そしてその土地に様々な制度をもたらし、発展させた神様である。


一方、ほとけ様はさらに新しい。

奈良時代や平安時代に大陸から、文字や仏像、建築をはじめ数々の文化を携えてやってきた外国の神様であり、かつ文化の神様である。

おかげで先祖もみな、“ほとけ様”になれたのである。


そして最後の禅宗の神様は、おなじ仏教の中でも比較的新しいものである。

鎌倉、室町、江戸の時代にやってこられた神様である。 

そして最早そこには、仏像のような偶像はない。

書や花や庭が、神様である。
これは美の神様と言ってもいい。

そして、神さまたちは登場してきた順にそれぞれの空間に収まっていらっしゃるのだ。


以下、wikiより拝借しましたm(_ _)m
------------------------------------------------------------------

八切史観

八切止夫は、これまでの歴史の常識を覆す様々な説を唱えていた。「日本原住民論」もその一つで、端的にいえば「大和朝廷 は外来政権であり、それ以前に存在していた先住民族の末裔が部落民サンカ である」というものであった。

ただ八切史観では、これらの「原住民」は、長い歴史を通じて皇統のいずれかに繋がっており、皇室 こそが原住民統合のシンボルであると想定していた。そのため、八切本人は左翼思想の持ち主というわけではなかった。

新左翼史観

ところが、この「日本原住民論」は、八切本人の与り知らぬところで、日本の新左翼 に利用されることになった。


潜伏中の赤軍派 幹部・梅内恒夫 は、八切の日本原住民論に触発され、「共産主義者同盟赤軍派より日帝打倒を志すすべての人々へ 」を発表した。ここに初めて「日帝打倒」の根拠が「明治 以降の大日本帝国 の悪行」から「日本建国時の原住民迫害」に大きくシフトすることになった。窮民革命論 を唱えた太田竜 も、八切を「真の人民的歴史家」と絶賛した。


こうして新左翼の活動家は「日本先住民の復権」を掲げる独自の史観を確立していった。その特徴は「大和朝廷 に滅ぼされた幻の地方政権」を称揚することで、「天皇制 の相対化」を図るというものであった。この史観に触発された加藤三郎 やその他ノンセクト・ラジカル 活動家による反日 テロ事件も発生している。そして「記紀 以前の歴史を伝える」とされる古史古伝 に関心を持つようになった。


そして、新左翼活動家の中には偽史 にのめり込み、1980年代のオカルト ブームを巻き起こすことに一役買ったものもあった。「東日流外三郡誌 」が当時、一世を風靡したのは決して偶然ではない。研究家の原田実 によると、オウム真理教 もこの風潮で台頭した一種の偽史運動 であり、国家転覆 をも企てた背景には、これらのイデオロギー が影響しているとしている。

歴史解釈

新左翼史観も基本的には八切の歴史解釈を援用しているため、個々の歴史的出来事に関する解釈は両者ともあまり差異はない。新左翼史観の特異点は、八切流歴史解釈を反日亡国論 を理論付ける政治的イデオロギーとして活用しているところにある。そのため八切流歴史解釈が新左翼史観に合わない場合、意図的に無視したり、改変したりしている。

アイヌ民族の出自
八切史観ではアイヌ民族 を太古から北海道にのみ居住する民族とし、「日本原住民」とは別の扱いにしている。しかし新左翼史観ではアイヌ民族も「日本原住民」を構成する民族とし、アイヌ民族を「奴隷化」した「日本の悪行」を糾弾する根拠としている。

皇室の出自
日本の皇室が君主 として歴史に登場した年代については両者の見解に差があるが、皇室の出自は「日本原住民」から出たのではなく、騎馬民族征服王朝説 に基づき、大陸からの渡来人 出身としているのは両者とも共通している。これを理由に、新左翼は天皇の君主としての正統性 を否定する根拠としている。

藤原氏の出自と律令制
白村江の戦い で倭国は敗れ、郭務率いる 軍の進駐を許す破目になった。唐軍は大海人 を担いで傀儡政権を樹立、旧支配層を一掃した。これが壬申の乱 である。「進駐軍」はそのまま居座り続け、「傀儡政権」の支配層として君臨することになった。彼らは「公家 」と自称した。藤原氏 の出自は「唐進駐軍」の司令官に他ならない。藤原氏はこれらの事実を隠蔽するために、彼らの本来の母語 である中国語漢文 )で「日本書紀 」を編纂し、歴史を歪曲した。そして「宗主国」唐の律令制 を直輸入し、急速に中国化を進めていった。」という解釈をしている。「そもそも日本書紀は純粋な漢文で書かれていない」「唐軍が日本に来た形跡がない」など、多くの矛盾があり、自分たちを正当化するための方便にすぎない。

以下、 http://www.geocities.jp/thorazrael/koushitugaikou.html様よりお借り致しましたm(_ _)m
----------------------------------------------------------

はじめに

陛下(皇族)が行ってきた諸外国への親善効果としてここに例を挙げる。 タイが国をあげての行ったプミポン国王陛下の御即位六十年記念式典の晩餐会のときの現地TVの動画 http://jp.youtube.com/watch?v=e8ckHZU0W3o TVに映ってるのは王家とタイ王家・官僚・警護のみ 天皇・皇后両陛下が映ってる時間は他のどの王家より長く映っていて、 他の王家では放映されてない車までの出迎えと(恐らく)王子との握手が放映され、 国王と后との握手がどの王家よりも長く放映されていて事実上クライマックス扱い。 外交席次が天皇≧国王>大統領>国家元首(首相・総理大臣)のため このような式典・葬儀などに陛下が参加した場合、 TV新聞などで当該国国民に日本が祝ってる(葬儀の場合は惜しんでる)ことをよりよくアピールできる。 天皇・皇族は税金の無駄とか、政教分離に反するとか、法の下の平等に反するとか様々な反対意見があるが、このような外交親善は誰がどのくらいの予算で引き継ぐべきか天皇廃止派に問いたい。

政治的に考えるならば何かを廃止するならそれに代わる策を用意しなければいけないし、 天皇を廃止するなら陛下が行ってきたものを同じレベルで誰かが引き継がなければならない。 廃止って声高に叫ぶのは自由であるが、廃止した後のことまで考えずに叫ぶのは政治のレベルではなく、思想のレベルに等しい。 日本は知ってのとおり国内で資源がほとんど産出されないため、諸外国との友好関係が非常に大切で、 未来の日本のためには少なくとも現在のレベルで外交親善を行う必要があるのは明白である。

 

天皇の外交上の位置づけ

 

やや攻撃的な論調になってしまったが、順を追っていわゆる皇室外交について論じていくことにする。

まずカナダのprotocol(外交儀礼)の公式席次を見てもらいたい。

http://www.pch.gc.ca/progs/cpsc-ccsp/pe/address4_e.cfm

これによるとカナダでは皇帝>王>王族>大統領>首相>その他となっていて、天皇は英語でEmperor of Japanなので公式席次は第一位となっている。

つまりカナダにおいて式典が開かれて陛下が参加した場合、式典の席・晩餐会の席・会談での席すべてにおいてローマ教皇を除き主催者の次の上座に座ることになる。(場合によっては主催者よりも上座)

で、他の国はどうかというと、その国との親密度で多少の公式 席次の入れ替わりもあるせいか、protocolを公開してない国が多いが、皇帝≧王>王族>大統領>首相>その他である。(皇帝≧王となっているのは皇 帝を王と同じ扱いとする場合があるから、その場合就任年数によって席次が前後する)

 

余談としてローマ教皇と陛下のどちらが公式席次が上か(外交上偉いか)考えると、

法王の場合なら僅差で天皇>教皇であるがカトリックの国やキリスト教徒の多い国ならば公式席次を教皇>天皇とする国もあるだろう(教皇と天皇の差が僅差だから)。または純粋に天皇を王と同格とみて公式席次を教皇より下と見るかもしれない。

逸話としてヨハネ・パウロ2世教皇が来日した際に、教皇は皇居に昭和天皇をお訪ねしている。

(国家元首自ら教皇をお迎えする国が多い中できわめて異例なこと)

 

結論からいうと天皇は反日の特定アジア(中国・韓国・北朝鮮)を除きすべての国で他国の大統領や首相より上の王またはそれ以上のクラスでの待遇を受ける。

 

 

陛下が諸外国を訪問したときの待遇

 

陛下が諸外国を訪問したときは反日の特定アジア(中国・韓国・北朝鮮)を除き必ず国賓で迎えられる。

というのはA国の大統領を国賓で迎えたのにB国の王様を国賓として扱わなかったら、「お前の国の外交儀礼はどうなっているんだ」って批判を受けたり、外交が未熟な後進国と見られてしまう。

外交とは国と国の社交であり、格・伝統・儀礼・歴史など今の日本人の常識からしたら古典的と思われる物を最重要視
しているからである。

というわけで陛下が諸外国を訪問する際は無条件にその国に訪問した国賓の中でも最高クラスの接遇が約束される(ただし特アを除く)。

国賓として迎えられるということは、両国の関係が良好だという証拠・象徴である。

興味深い事例としてアメリカ合衆国は2006年4月に胡錦濤国家主席を公賓(国賓の1ランク下)で迎え、6月に小泉首相を国賓として迎えた。中国側は事前交渉で胡主席「国賓待遇」にこだわったが実現しなかった。

これは「アジアでの米国とのパートナーは中国でなく日本である」という意味である。

 

で、国賓として迎えられる場合、その国の国家元首(その国で一番地位が高い人、イギリスならエリザベス女王)が出席する歓送迎会、儀杖兵の閲兵、国家元首主催の晩餐会への招待、式典への参加などがある。(ただし国によって行われないものもある)

ちなみに国賓は国賓でもどの程度のランクで迎えられているかの良い指標として儀杖兵の閲兵をその国の国家元首(国王、国王がいない場合は大統領や首相)の付き添いので行われているかどうかで判断できる。

胡錦濤国家主席が訪米した際は中国たっての希望で、公賓では異例の儀杖兵(国賓の警護を行う兵士)の閲兵は行われたがホワイトハウスの晩餐会は行われなかったが、小泉首相はその両方とも行われている。

米国に昭和天皇が訪米したのは2回(皇太子時代を含めれば3 回?)でそのいずれも国賓招待で晩餐会では大統領が最高級のもてなしであるホワイトタイをつけている。94年から07年までに晩餐会をホワイトタイでもて なされたのは、英国女王陛下とおそらくスペイン国王(未確認)のみ。スウェーデン国王が訪米した際はホワイトタイをつけていない。

また逸話をひとつ・・・。1975年の昭和天皇訪米の際、晩 餐会翌三日に日本側が、天皇、皇后両陛下ご宿泊所のブレア・ハウスから近い、S・Ⅰ・B(スミソニアン・インスティテューション・ビル)で、昭和天皇・皇 后主催の返礼晩餐会を催したところ、フォード大統領夫妻が出席した。しかも大統領はホワイトタイであり、ホワイトタイに正装した大統領が、返礼晩餐会に出 席されるのは例がないということで、ホワイトハウス担当の記者たちも驚いていた。また、戦後日本の首相が訪米してもニューヨークタイムズでは一面に載った こと無いのだが、そのときの天皇訪米時ではニューヨークタイムズをはじめ各新聞会社は一面に写真入で天皇陛下を載せている。しかもニューヨークタイムズで は8日連続一面に載せている。(どれくらいの親善効果があるかどうか計り知れない)

 

陛下が諸外国を訪問された場合先にあげたいくつかの行事に加え、病院や記念碑(慰霊碑など)や博物館などの両国の親善に効果が高いところに加え在外邦人の行事などをまわられ、それがその国のメディアを通じてその国の国民への親善効果を図る。

最近の例を出すと陛下がリトアニア訪問された時国営TVは連日ニュースで陛下のことを伝えたが、

(例:http://jp.youtube.com/watch?v=iTrIhEFO37o では4分以上、恐らく訪問初日の報道と思われる)

その後リトアニア大統領はhttp://jp.youtube.com/watch?v=FzLsfHbzxFY の 34秒付近で「リトアニアが国際的により認められるということを意味する」と発言している。これは日本という国力の影響もあるが、リトアニアという国が 「日本の皇帝(または王)が訪問した国」と位置づけるためである(特に王室を擁く国ほどリトアニアに対する好印象が期待できる)。(ヨーロッパの国民の王 室に対する憧れ・関心の高さはパパラッチなどに代表される)

 

陛下の他の外交関係の御仕事

 

1.他国の国家元首を迎える際に相手に失礼のないように陛下が迎える。(友好度・地位によって皇太子になる場合がある)

2.親書・親電を送る(年600通くらいらしい)

 

まとめ

 

外交にはとにかく格・歴史・儀礼・伝統などがとにかく重要で天皇陛下を外交使節とするだけでどの国でも対等以上で親善することができる。しかも陛下は外交権力と政治権力は一切ないため純粋な親善使節として受け入れられる。

日本国民の中の天皇に対する気持ちが年々小さくなっていくのをみると、

皇室制度・天皇は必ずしも日本に必須のものではないように感じられる。

しかしながら皇室制度・天皇を廃止するならば、陛下らが行っ てきた親善外交を同じレベルで引き継がなくてはならないのは明白である。特に外交交渉が下手といわれてる日本であるのに、アジアでは朝鮮・韓国・北朝鮮を 除いて親日であるのは日本の国際貢献だけでなく陛下や昭和天皇が行ってきた親善外交によるものが大きい。

~~~だから天皇廃止に賛成、皇室制度廃止に賛成など真剣に 日本の将来を思って様々な人が色々考えてくれるのは非常に良いことだと思う。しかし、政治は「~~~だから廃止」だけでなく「廃止したあとは~~~で補 う」ということも考えなければならない。天皇廃止した後の外交親善を同じレベルで引き継ぐには、現在の皇室制度を維持するのにかかってる税金以上に予算が 必要であろう。しかも天皇を廃止したら二度と復古できないだろうから、広い視野・長い目で考える必要がある。

特に日本は資源がほとんど産出されず諸外国との友好な関係の維持・向上は日本の繁栄にとって生命線に等しい。私は少なくとも外交面だけでもまだまだ日本には陛下は必要であると私は考える。

 


以下、http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1190.html 様よりお借り致しましたm(_ _)m
-----------------------------------------------------------

若き日の東条英機閣下
若き日の東条英機閣下


東条英機元総理は、昭和23(1948)年12月23日に、東京巣鴨において刑死されました。64歳でした。

東条英機閣下は、明治17年生まれ。陸軍大学を卒業し、陸軍大将となられ、改選前の昭和16(1941)年10月に、勅命をもって内閣総理大臣に就任されました。

その東条英機閣下の遺言状をここに掲載します。
死の直前の文です。

なお、東条英機閣下の遺言として出回っているものには、故意に文脈に変更を加えたり、一部分だけを取り出して掲載しているものがあるけれど、以下の文は、東条英機閣下の直筆の遺書の文章を、ほぼそのまま掲載させていただきました。

~~~~~~~~~~~
【遺言】

開戦当時の責任者として敗戦のあとをみると、実に断腸の思いがする。

今回の刑死は、個人的には慰められておるが、国内的の自らの責任は、死をもって贖(あがな)えるものではない。
しかし国際的の犯罪としては、無罪を主張した。いまも同感である。

ただ力の前に屈服した。

自分としては国民に対する責任を負って、満足して刑場に行く。
ただこれにつき、同僚に責任を及ぼしたこと、また下級者にまでも刑が及んだことは実に残念である。
天皇陛下に対し、また国民に対しても申し訳ないことで、深く謝罪する。

元来、日本の軍隊は、陛下の仁慈の御志により行動すべきものであったが、一部過ち犯し、世界の誤解を受けたのは遺憾であった。

このたびの戦争に従軍して斃れた人、およびこれらの人々の遺家族に対しては、実に相済まぬと思っている。心から陳謝する。
 
今回の裁判の是非に関しては、もとより歴史の批判に待つ。
もしこれが永久平和のためということであったら、も少し大きな態度で事に臨まなければならぬのではないか。
この裁判は、結局は政治裁判に終わった。
勝者の裁判たる性質を脱却せぬ。
 
天皇陛下の御地位および陛下の御存在は、動かすべからざるものである。
天皇存在の形式については、あえて言わぬ。
存在そのものが絶対に必要なのである。

それは私だけでなく多くの者は同感と思う。
空間や地面のごとき大きな恩は、忘れられぬものである。

東亜の諸民族は今回のことを忘れて、将来相協力すべきものである。
東亜民族もまた他の民族と同様、この天地に生きる権利を有つべきものであって、その有色たることを、むしろ神の恵みとしている。

インドの判事には、尊敬の念を禁じ得ない。
これをもって東亜民族の誇りと感じた。
今回の戦争によりて東亜民族の生存の権利が了解せられ始めたのであったら、幸である。
列国も排他的の感情を忘れて、共栄の心持をもって進むべきである。

現在の日本の事実上の統治者である米国人に対して一言するが、どうか日本の米人に対する心持ちを離れしめざるように願いたい。
また、日本人が赤化しないように頼む。

東亜民族の誠意を認識して、これと協力して行くようにされなければならぬ。

実は東亜の多民族の協力を得ることができなかったことが、今回の敗戦の原因であると考えている。
今後、日本は米国の保護の下に生活していくのであらうが、極東の大勢はどうであらうか。

終戦後わずか3年にして、亜細亜大陸赤化の形勢は斯くの如くである。
今後のことを考えれば、実に憂慮にたえぬ。
もし日本が赤化の温床ともならば、危険この上ないではないか。

今、日本は米国よりの食糧の供給その他の援助につき感謝している。
しかし一般が、もし自己に直接なる生活の困難やインフレや、食糧の不足等が、米軍が日本に在るがためなりというような感想をもつようになったならば、それは危険である。

実際は、かかる宣伝をなしつつある者があるのである。
よって米軍が、日本人の心を失わぬよう希望する。

今次戦争の指導者たる米英側の指導者は、大きな失敗を犯した。

第一は、日本といふ赤化の防壁を破壊し去ったことである。
第二は、満州を赤化の根拠地たらしめた。
第三は、朝鮮を二分して東亜紛糾の因たらしめた。

米英の指導者は、これを救済する責任を負うて居る。
従ってトルーマン大統領が再選せられたことは、この点に関して有り難いと思ふ。

日本は米国の指導に基づき、武力を全面的に抛棄(ほうき)した。これは賢明であったと思う。
しかし、世界全国家が、全面的に武装を排除するならばよい。
然(しか)らざれば、盗人がばっこする形となる。泥棒がまだいるのに警察をやめるやうなものである。

私は、戦争を根絶するには欲心を取り払わねばならぬと思う。
現に世界各国は、いずれも自国の存在や自衛権の確保を主としている。これはお互いに欲心を抛棄(ほうき)して居らぬ証拠である。

国家から欲心を除くということは、不可能のことである。
されば世界より今後も戦争を除くということは不可能のことである。

これでは結局は人類の自滅に陥るのであるかも判らぬが、事実はこの通りである。それゆえ第3次世界大戦は避けることができない。

第3次世界大戦に於いて主なる立場に立つものは、米国およびソ連である。
日本とドイツというものが取り去られてしまった。

それがため米国とソ連というものが直接に接触することとなった。
米・ソ2国の思想上の相違はやむを得ぬ。
この見地からみても、第3次世界大戦は避けることはできぬ。

第3次世界大戦において極東、日本と支那と朝鮮が、その戦場となる。
この時にあって、米国は武力なき日本を守の策を立てなければならぬ。
これは当然米国の責任である。

日本を属領と考えるのであったならば、また何をかいわんや。
そうでなしとすれば、米国は何等かの考えがなければならぬ。

米国は、日本人8千万国民の生きて行ける道を考えてくれねばならない。
およそ生物として、自ら生きる生命は、神の恵みである。
産児制限の如きは神意に反するもので、行うべきでない。

なお言いたきことは、公・教職追放や戦犯容疑者の逮捕の件である。
いまは既に、戦後3年を経過しているのではないか。
従ってこれは速やかに止めてほしい。
日本国民が正業に安心して就くよう、米国は寛容な気持ちをもってもらいたい。

我々の処刑をもって一段落として、戦死病者、戦災死者、ソ連抑留者の遺家族を慰安すること。
戦死者、戦災死者の霊は、遺族の申出あらば、これを靖国神社に合祀せられたし。
出征地に在る戦死者の墓には保護を与えられたし。
従って遺族の希望申出あらば、これを内地へ返還されたし。
戦犯者の家族には保護を与えられたし。

青少年男女の教育は注意を要する。将来大事なことである。
近時、いかがわしき風潮あるは、占領軍の影響からきているものが少なくない。
この点については、我国の古来の美風を保つことが大切である。

今回の処刑を機として、敵・味方・中立国の国民罹災者の一大追悼慰安会を行われたし。
世界平和の精神的礎石としたいのである。

もちろん、日本軍人の一部の間に間違いを犯した者はあらう。
これらについては衷心謝罪する。

これと同時に無差別爆撃の投下による悲惨な結果については、米軍側も大いに同情し憐憫して悔悟あるべきである。

最後に、最後に軍事的問題について一言する。

我国従来の統帥権独立の思想は確かに間違っている。
あれでは陸海軍一本の行動は採れない。

兵役制については徴兵制によるか、傭兵制によるかは考えなければならない。
我が国民性に鑑みて、再建軍の際に考慮すべし。

再建軍隊の教育は、精神教育を採らなければならぬ。
忠君愛国を基礎としなければならぬが、責任観念のないことは淋しさを感じた。
この点については、大いに米国に学ぶべきである。

学校教育は従前の質朴剛健のみでは足らぬ。
人として完成を図る教育が大切だ。
いいかえれば宗教教育である。
欧米の風俗を知らすことも必要である。

俘虜のことについては、研究して、国際間の俘虜の観念を徹底せしめる必要がある。

 辞 世

我ゆくも
またこの土地に かへり来ん
国に酬ゆることの足らねば

さらばなり
苔の下にて われ待たん
大和島根に 花薫るとき

散る花も
落つる木の実も 心なき
さそうはただに 嵐のみかは

今ははや
心にかかる 雲もなし
心豊かに 西へぞ急ぐ

~~~~~~~~~~~~~

この東条英機閣下の遺稿については、最近の本などでは、かなり改ざんが目立つものとなっています。

たとえば、

「今回の処刑を機として、敵・味方・中立国の国民罹災者の一大追悼慰安会を行われたし。世界平和の精神的礎石としたいのである。」

の文は、肝心の「世界平和の精神的礎石としたいのである」や、「慰安会」が取り払われて、

「今回の処刑を機として敵、味方、中立国の罹災者の一大追悼会を発起せられたし」とされていたりします。

あるいは、

「再建軍隊の教育は、精神教育を採らなければならぬ。忠君愛国を基礎としなければならぬが、責任観念のないことは淋しさを感じた」

の文は、将来再建する軍のことを言っているにもかかわらず、主語が「再建軍隊」ではなく、単に「教育」にされたうえ、「責任観念のないことは淋しさを感じた」が「責任感をゆるがせにしてはならぬ」に変えられています。

東条英機閣下の遺書では、軍の責任観念について「大いに米国に学ぶべきである」と書いているのに対し、最近のものでは、「教育は大いに米国に学ぶべきである」と勝手にすり替えられたりしています。

こ の一文は、戦争遂行責任者としての東条英機元首相からみた、陸海軍への感想で、両軍ともに忠君愛国の念は非常に堅牢なものがあったにもかかわらず、本部命 令に現場が背き、進撃すべきものを現場指揮官の判断で勝手に逗留したり、反転したりするような事態が、特にインパール陸戦やレイテ沖海戦などの前線におい て顕著にみられたことへの反省があったものと思います。

それが単に、
「教育は精神教育を大いにとらなければならぬ。忠君愛国を基礎としなければならぬが、責任感をゆるがせにしてはならぬ。この点については、大いに米国に学ぶべきである」と書き換えられているのには「?」を感じてしまいます。

東条英機閣下については、現代日本ではA級戦犯であり戦争犯罪者であるという評価をする方も多いです。

けれど、ひとこと申し上げるならば、まず第一に、ひとつの時代を責任者として真剣に生きた人を、後世の平和な日本という環境の中で、裁いたり評価したりするのは間違っている。

日 本は、明治維新以来、欧米列強の植民地奴隷になるか、自存自衛を図るか、そして有色人種である近隣のアジア諸国の解放を願って日清、日露、第二次世界大 戦、大東亜戦争を戦ったのであり、とりわけ大東亜戦争では、まさにやむにやまれぬところまで追いつめられ、追いこめられて、やむなく乾坤一擲立ち上がった 勝負でもあったのです。

第二に、東条英機閣下は「戦争犯罪者」ではなく、日本の「戦争責任者」です。
戦争犯罪者というのは、非常に偏った内容を持つ東京裁判史観による一方的な評価であって、これは正しくない。

ところで東条英機閣下は、明治17(1884)年の生まれで、もともとは盛岡藩に仕えた家柄です。

父の東条英教氏は、陸大の一期生を首席した人で、同期には日露戦争の奉天戦で活躍した秋山好古などがいます。

英機氏は、その三男で、陸軍士官学校を卒業後、関東軍参謀、陸軍次官、陸軍大臣を経て、首相に就任しています。

日本国中が、鬼畜米英と開戦やむなし!という壮気に沸きかえる中、昭和天皇から、その壮気を抑えれるのは東条しかいない、と言われて総理の任命を受けたというのは、有名な話です。

昭和20年12月8日、真珠湾攻撃成功。

その日の明け方、開戦回避を熱望していた昭和天皇の期待に応えることができなかったと、東条英機氏は、懺悔の念に耐えかねて、首相官邸において皇居の方角に向かって号泣したという。

そして総理の職を辞した時、昭和天皇から前例のない感謝の勅語が贈られたというのも、有名な話です。

日米が開戦してから、約100日、日本は東南アジアではなく、米国領だったフィリピンや太平洋において、米陸海軍をことごとく粉砕しています。

日本国中が勝った勝ったと沸き立った。
同じころ、米国内では、負けた、また負けたという報告ばかりです。
米国内は、負け戦のたびに失われる米兵の生命で、、内世論は日米開戦に踏み切ったルーズベルト大統領に対して怨嗟の声が満ち溢れる状況となった。

これを巻き返すために、とにかく話題だけでもと行われたのが、ドーリットル空襲です。

これは、米陸軍の長距離爆撃機を、米海軍の空母から飛ばし、日本の東京や名古屋などの都市を空爆しようというもので、米側は、これが明らかなハーグ陸戦条約違反である(一般人への無差別攻撃)ことを承知で、この空襲を実現した。

空爆の被害はたいしたことはなく、「ドゥ、リトルだった」という軽口も出るほどだったのだけれど、米国内では、開戦後、はじめて日本をやっつけた快挙として、おおいに戦意高揚に寄与したという作戦です。

この空爆の際に撃ち落された米軍機の乗員が日本の捕虜になっていますが、これに対して、参謀本部が死刑にすべし!と建言したものを、東条英機氏は許さず、世界中のだれが見ても正当な軍事裁判を行って、ことを処理した。

また、いま映画「太平洋の奇跡」で描かれているサイパン戦においては、たとえ何があっても、民間人を玉砕させてはならないと、東条英機閣下が、玉砕にひどく反対されています。

ボクは、東条英機氏は、尊敬すべき立派な人であったと思う。

みなさんは、東条英機氏の遺文を読んで、どんなことをお感じになりましたか?

以下、http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1416.html 様よりお借り致しましたm(_ _)m
-----------------------------------------------------------

市丸利之助海軍中将
市丸利之助中将


上の写真は、市丸利之助(いちまるりのすけ)海軍中将のことを書いてみようと思います。
市丸中将といえば、「ルーズベルトニ与フル書」が有名です。

この「書」は、市丸中将の死後、「死に臨んだ日本の一提督の米国大統領宛の手紙」と題されて、米国の各大手新聞で、その全文が紹介されました。
また、戦後ベストセラーになったジョン・トーランドの「昇る太陽-日本帝国滅亡史」でも紹介された。
そして全米で、大絶賛されています。
「書」はいまも、ナポリスの海軍兵学校の博物館に展示されている。

市丸中将は、硫黄島の戦いで散華された方です。

硫黄島の戦いは、昭和20(1945)年2月19日の米軍上陸から、3月26日の玉砕まで繰り広げられました。
日米の島しょに置ける戦いでは、唯一、米軍の死傷者数が日本軍のそれを上回った戦いです。


島にいた日本の守備隊は、陸軍が栗林忠道中将率いる1万3,586名、海軍が市丸利之助中将率いる7,347名、合計2万933名です。
米軍は、そこに11万の大軍をもって挑みました。

武力においても、火力においても、兵員の数においても、はるかに勝る米軍との激戦において、市丸中将は、最後の総員突撃を敢行するに際して、「ルーズベルトに与うる書」を遺されています。

そ の内容は、ひとことで要約すれば、強国が弱国を蹂躙し、支配し、奪うのが当たり前とする19世紀的覇権主義を否定し、世界の人種それぞれがそれぞれの地域 で自主独立し、もって恒久的世界平和を実現するという、まさに現代の世界の人々にとって立派に通用する内容のものとなっています。

市丸中将は、なぜ、死に臨んでこの「書」をしたためられたのでしょうか。
それは単なる遺書だったのでしょうか。
かなわぬ敵と戦うに際しての単なる愚痴だったのでしょうか。

当時、米軍は、戦いの後、日本兵の遺体から所持品を確かめていました。
市丸中将は、それを知って、この「書」をしたためられています。

市丸中将が、最後の突撃攻撃を行って散華されたのは、3月26日です。
その9日前の3月17日、中将は、地下20メートルの洞穴に、動けるものを全員集めました。

そして副官である間瀬式次中佐が、一歩前に出て、「ルーズベルトニ与フル書」を読み上げた。

朗読が済むと、この書の和文のほうを通信将校の村上大尉が腹に巻きつけました。
英文のものは赤田邦夫中佐(二七航戦参謀)が身に付けた。

そして市丸中将は、栗林中将とともに、軍服にある一切の肩章を外し、ひとりの皇国臣民として、最後の突撃を行っい、散華されています。

この最後の突撃のときの遺体の数は、わずか196柱でした。
陸海合わせて2万933名いた守備隊は、3月26日の吶喊攻撃のとき、動ける者は、すでに196名になっていたのです。

「ルーズベルトに与うる書」は、米海兵隊員の手で二人の遺体から発見されました。
従軍記者エメット・クロージャーは、発見の経緯と手紙の本文を4月4日、本国に向けて打電した。

そして「書」は、米国内の様々なメディアで紹介され、「書」に書かれた理想は、形を変えて米国の理想となり、いまや世界の人類の常識とまでなっている。

軍人にとっての勝敗は、もちろん戦いに勝つことです。
それが島の守備隊であれば、島を敵の手に渡さない、島を守りきることが軍人としての使命です。

けれど国を挙げての戦争は、国家の目的と目的がぶつかったときに、その紛争を解決するための最後の手段です。
大東亜戦争に関していえば、「優秀な白人種」が「劣勢民族である有色人種」を絶対的に支配し、蹂躙し、奪うのが当然とする価値観と、人種の平等と合い共に繁栄することを求める理想との戦いです。

戦いに「かつ」ということは、単に戦闘に勝つということだけを意味しません。
「克つ」は「勝つ」と同じで「かつ」と読みます。
「克つ」は、成し難きことをしおおすことを意味し、戦いに「克つ(かつ)」ことは、戦いの究極の目的を遂げることです。

思うに、市丸中将は、自らの死を目前として、たとえ硫黄島が奪われ、我が身が土に還ったとしても、人が人として生きることの大切さをこの「書」にしたためることで、死して尚、日本の描いた壮大な理想、悠久の大義のために戦い続けようとしたのではないか。
そう、思うのです。

当時の駐米英国公使であるロナルド・キャンベルは、ルーズベルトについて、英国外務省に宛てた手紙で次のように書いています。
~~~~~~~~~~
ルーズベルト米大統領は、優秀な白人種とアジア人との交配によって新しいアジア系民族を産み出し、立派な文明と社会をアジアに建設しようと考えている。
 ~~~
ただ大統領は、白人より二千年も遅れた頭がい骨をもつ日本人はこの対象から除外し、もとの四つの島に隔離して次第に衰えさせようと考えている。
~~~~~~~~~~

残念ながら、ルーズベルト大統領その人は、市丸中将の書簡が米本国に打電された8日後に他界しています。
けれど、市丸中将の「書」は、全米の良心を動かし、いまや人類の常識として後世に立派に生き残っている。

そこで今日は、市丸中将の遺稿となった、その「ルーズベルトに与うる書」の全文を、口語訳、原文、英文の3つでご紹介しようと思います。

まだこの「ルーズベルトに与うる書」をお読みになったことのない方は、是非、ご一読されてみることをお勧めします。
死してなお戦い続けた中将の心は、ついに世界を動かした。
市丸中将のまさに血を吐く思いで書き綴ったこの「書」は、当時の日本の心を描いた普及の名著だと思います。

尚、口語訳は、できるだけ原文に忠実にボクなりに訳させていただきました。
訳の不備は、すべてボクにありますことをお許しください。
尚、口語訳の下線も、ボクです。

============
【口語訳】ルーズベルトに与うる書

日本海軍市丸海軍少将が、フランクリン・ルーズベルト君に、この手紙を送ります。
私はいま、この硫黄島での戦いを終わらせるにあたり、一言あなたに告げたいのです。

日本がペリー提督の下田入港を機として、世界と広く国交を結ぶようになって約百年、この間、日本国の歩みとは難儀を極め、自らが望んでいるわけでもないのに、日清、日露、第一次世界大戦、満州事変、支那事変を経て、不幸なことに貴国と交戦するに至りました。

これについてあなたがたは、日本人は好戦的であるとか、これは黄色人種の禍いである、あるいは日本の軍閥の専断等としています。
けれどそれは、思いもかけない的外れなものといわざるをえません。

あなたは、真珠湾の不意打ちを対日戦争開戦の唯一つの宣伝材料としていますが、日本が自滅から逃れるため、このような戦争を始めるところまで追い詰めらた事情は、あなた自身が最もよく知っているところです。

お それ多くも日本の天皇は、皇祖皇宗建国の大詔に明らかなように、養正(正義)、重暉(明智)、積慶(仁慈)を三綱とする八紘一宇という言葉で表現される国 家統治計画に基づき、地球上のあらゆる人々はその自らの分に従ってそれぞれの郷土でむつまじく暮らし、恒久的な世界平和の確立を唯一の念願とされているに 他なりません。

このことはかつて、

 四方の海
 皆はらからと 思ふ世に
 など波風の 立ちさわぐらむ

という明治天皇の御製(日露戦争中御製)が、あなたの叔父であるセオドア・ルーズベルト閣下の感嘆を招いたことで、あなたもまた良く知っていることです。

わたしたち日本人にはいろいろな階級の人がいます。
けれどわたしたち日本人は、さまざまな職業につきながら、この天業を助けるために生きています。
わたしたち軍人もまた、干戈(かんか)をもって、この天業を広く推し進める助けをさせて頂いています。

わたしたちはいま、豊富な物量をたのみとした貴下の空軍の爆撃や、艦砲射撃のもと、外形的には圧倒されていますが、精神的には充実し、心地はますます明朗で歓喜に溢れています。

なぜならそれは、天業を助ける信念に燃える日本国民の共通の心理だからです。
けれどその心理は、あなたやチャーチル殿には理解できないかもしれません。
わたしたちは、そんなあなた方の心の弱さを悲しく思い、一言したいのです。

あなた方のすることは、白人、とくにアングロサクソンによって世界の利益を独り占めにしようとし、有色人種をもって、その野望の前に奴隷としようとするものに他なりません。

そのためにあなたがたは、奸策もって有色人種を騙し、いわゆる「悪意ある善政」によって彼らから考える力を奪い、無力にしようとしてきました。

近 世になって、日本があなた方の野望に抵抗して、有色人種、ことに東洋民族をして、あなた方の束縛から解放しようとすると、あなた方は日本の真意を少しも理 解しようとはせず、ひたすら日本を有害な存在であるとして、かつては友邦であったはずの日本人を野蛮人として、公然と日本人種の絶滅を口にするようになり ました。
それは、あなたがたの神の意向に叶うものなのですか?

大東亜戦争によって、いわゆる大東亜共栄圏が成立すれば、それぞれの民族が善政を謳歌します。
あなた方がこれを破壊さえしなければ、全世界が、恒久的平和を招くことができる。
それは決して遠い未来のことではないのです。

あなた方白人はすでに充分な繁栄を遂げているではありませんか。
数百年来あなた方の搾取から逃れようとしてきた哀れな人類の希望の芽を、どうしてあなたがたは若葉のうちに摘み取ってしまおうとするのでしょうか。

ただ東洋のものを東洋に返すということに過ぎないではありませんか。
あなたはどうして、そうも貪欲で狭量なのでしょうか。

大東亜共栄圏の存在は、いささかもあなた方の存在を否定しません。
むしろ、世界平和の一翼として、世界人類の安寧幸福を保障するものなのです。
日本天皇の神意は、その外にはない。
たったそれだけのことを、あなたに理解する雅量を示してもらいたいと、わたしたちは希望しているにすぎないのです。

ひるがえって欧州の情勢をみても、相互の無理解による人類の闘争が、どれだけ悲惨なものか、痛嘆せざるを得ません。

今 ここでヒトラー総統の行動についての是非を云々することは慎みますが、彼が第二次世界大戦を引き起こした原因は、一次大戦終結に際して、その開戦の責任一 切を敗戦国であるドイツ一国に被せ、極端な圧迫をするあなた方の戦後処置に対する反動であることは看過すことのできない事実です。

あなたがたが善戦してヒトラーを倒したとしても、その後、どうやってスターリンを首領とするソビエトと協調するおつもりなのですか?

およそ世界が強者の独占するものであるならば、その闘争は永遠に繰り返され、いつまでたっても世界の人類に安寧幸福の日は来ることはありません。

あなた方は今、世界制覇の野望を一応は実現しようとしています。
あなた方はきっと、得意になっていることでしょう。

けれど、あなたの先輩であるウィルソン大統領は、そういった得意の絶頂の時に失脚したのです。
願わくば、私の言外の意を汲んでいただき、その轍を踏むことがないようにしていただきたいと願います。

市丸海軍少将
==========
以下、http://ameblo.jp/porupapa/entry-11136985431.html 様と、http://jjtaro.cocolog-nifty.com/nippon/2012/10/post-914a.html 様からお借り致しましたm(_ _)m
------------------------------------------------------------------


日本のパスポートのお話。

日本のパスポート!!



ポルパパのブログ(tikitiki52papa)

パスポートの表紙は日の丸ではなく
十六菊、御皇室の紋章です。

海外で
日本人一人一人の身元を保証し護って下さっているのは天皇陛下です。

上記からわかる通り、日本の国体は天皇陛下です。
2671年、変わらず続いてきました。

国体
国体とは、その国の基礎的な政治の原則を指し、
日本語の文脈で使用される際には「天皇を中心とした秩序」を意味する語となっている

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E4%BD%93

日本のパスポートは、査証取得免除で訪問できる国が多いです

理由は 日本 だから。

「理由は日本だから」
>日本人の身元保証人が天皇陛下であられること、
>祖先達が築きあげた信用という名の貯金があること。

「理由 日本だから」
これは、当たり前のことではありません。
2671年、変わらない」ものが「変わって」しまえば日本が日本としての体(てい)を成さなくなれば 「理由 日本だから」は成立しなくなるでしょう。

だからこそ反日国家は日本の国体を煙たがり排除しようとし戦後の占領下で、
日本の国体を「天皇制」などと位置づけたのでしょう。

パスポート1つが、こんなに重みがあるとは・・・・・



------------------------------------------

日本のパスポートの実力、国家のありがたさ

世界に冠たるわが日本。

S20063ic_10_authmuttleycc


 先月、コンサルタント会社ヘンリー&パートナーズが「パスポートの能力」ランキングを発表していました。日本はアジア最上位の5位です。 ビザなしで入国できる国の数を反映した「ビザ規制指数」から決められたと報じています。デンマークが1位。スウェーデン、フィンランド、ドイツが同列で2 位。3位はイギリス、オランダ、フランス、ベルギー。4位はルクセンブルク、イタリア、アメリカです。


 実感として日本のパスポートの実力はどうなのでしょう。台湾出身の評論家・金美齢さんは日本国籍を取得しました。自身の子供たちには早くから日本 国籍をとらせたものの自分たち夫婦は台湾籍(中華民国)のままでした。しかし、平成20年(2008年)の民進党の敗北により、これまでの努力や矜持、そ ういうものが一気に弾けたような気がした、と述べています。


 金さんは「日本のパスポートはミシュランガイドの星三つより実力がある。五つ星といえる価値がある」と述べています。中華民国籍だったときはビザを取るのに非常に苦労されており、外国で足止めをくったりしました。


  スペインのビザでポルトガルへ行こうとしたときのことです。イミグレーション(出入国管理)がないだから大丈夫だろうと思っていたところ、飛行機内でイミ グレーションを通るようアナウンスがありました。同じラテンの国だから何とかなるだろうと期待していましたが、やはりイミグレーションで止められ、オフィ スに連れていかれました。

「私たちはフォルモサ(台湾の別称)の人間です。かつてポルトガル船が台湾を通った時に、台湾を"フォルモサ"(美しい国)と呼んだんですよね」

金さんはこう説明しましたが、台湾とは国交がないとして帰るよう命じられました。


 イタリアのビザをとるときも、現金から通帳まで見せなければならなく、職業欄に「作家」と書いても、在日イタリア大使館の窓口で「作家かどうか、どうやって証明するんですか?」といわれて完全に頭に来ました。「どうして真面目に生きてきた私が、こんな屈辱的な目に遭わされるのか」と思ったそうです。


 上智大学名誉教授の渡部昇一さんは50年前にアジア・アフリカ学生会議に日本代表として参加したときのこと、当日にもなってこない国があったそう で、国境からなかなか先に入れなくて足止めを喰らっていたのだそうです。鉄のカーテン下のブタペストで開催された書物の学会に参加すべく、入国審査をする と他の国の人は手荷物の中まで調べられているのに、自分はパスポートひとつでどこでもスイスイと通れたと述べています。前述の金さんは「日本人はパスポートのありがたみを知るべきです。そのありがたみがわからない人は『国家』というものがわからないでしょう」「日本という国に生まれたことを日本人は感謝すべき」と述べています。


 先人たちの知恵と努力によって築かれたわが国日本は世界に冠たるものです。現在を見れば経済大国、技術大国としての日本があります。日本独自の優 れた文化も評価されていることでしょう。民度の高さも評価されているでしょう。そして日露戦争、大東亜戦争で白人とがっぷり四つで戦い、「カミカゼ」を生 んだという歴史も世界は畏敬の目を持っていることでしょう。ローマ法王と並ぶかそれ以上の権威である天皇陛下の存在も大きいでしょう。


 日本国内を良く見てみると長寿の国であり、娯楽もあり食べ物もあります。教育も充実しており、セーフネットも生活保護年収約300万(障害2級、 3人家族の場合)と充実しており、障害者福祉も充実しています(現在負担になっていますが)。そして世界一治安がよい国です。マスコミのいう犯罪の急増、 凶悪化、低年齢化は統計を見ればウソということがわかります。保険証さえあれば自己負担3割ですむ健康保険制度は世界でも珍しい優れたものです。月額自己 負担が8万円超えればストップするシステムも大したものでしょう。


 日本はすばらしい国です。世界が認めています。しかし、日本のマスコミは悲観論、自虐説ばかり流してウケを狙います。「格差」だ、「貧困」だ、姥 捨て山だ、学級崩壊だ・・・等など。NGOセーブ・ザ・チルドレン調査(07年)「子どもの発達指標」137カ国中1位。「環境的にすみやすい国」(米 リーダーズダイジェスト調査)12位、英BBCの「世界によい影響を与えている国」は常時ベスト3入り、今年は第一位。・・・こうしたことは一つも報道し ません。

 「国というものがわからない」というトボけたことをいう政治家や自分は"地球市民"などとほざくような人、国旗掲揚、国歌斉唱に反対する"あんぽんたん"は一度日本国籍を捨ててみるといいでしょう。日本国家の良さ、ありがたさが良くわかるでしょう。


以下、http://b.hatena.ne.jp/entry/members3.jcom.home.ne.jp/hutomani/ 様よりお借りしましたm(_ _)m
(※ 尚、上記のサイト様は現在閉鎖中のようではありますが…orz)
--------------------------------------------------------------

【フトマニの大意】



フトマニ和歌は何のために作られたか?

フトマニ和歌128首を
①天・朝廷
②トノヲシヱ・天成る道
③個人倫理
④仕事
⑤宗教・輪廻転生・常識・その他
⑥不明の項目

で分類すると構成比は次のように成った。

番号項目和歌数構成比%備考
1 天・朝廷1310朝廷の恵み・朝廷の働き・朝廷を崇めよ
2 トノヲシヱ・天成る道2822上の恵み・和(やわ)し・上の働き・民の崇めの確保
3 個人倫理1411嘘つくな・欲の抑制
4 仕事4233計画の実行・仕事で欲張るな・公を守れ・仕事に励め
5 宗教・輪廻転生・常識・その他2217先祖崇拝・家族を守れ・諌めを聞け・フトマニを学べ
6 不明97-

-計128100-

--------------------------------------------------------------
以上、転載はここまで。

上記のサイト様の内容からも覗えますように、日本という国は「アマテル様など歴代の天皇(アマスベラギ)を中心として、秩序を重んじ、規律正しく、アマテル様の教えを守りながら、各氏族から選ばれた執政者達によって、素晴らしい国家を営んで来た」という事になりましょうかね(vv)v

尚、「天皇(アマスベラギ)」とは、

天つ君 (和つ君)。 天君。

 
  1. 和つ君。
    和して照らす日月。中央政府の総帥。 =和つ日月
      
  2. 天君。
    天神が業神霊 として支援する君。天神の現れ。
      
    この初は、ニニキネ の『別雷の天君 』。 
    次は、ホオテミ の『御祖に継がふ天君 』。 
    次が、ウガヤ の『御祖天君 』。
      
    いずれもアマテル から賜っている。
    神武以降は誰に授与されることなくみな天君となる。これがすなわち天皇(アマスベラギ)   である。

『君が政を聞くときは神も下って敬うので君は『神の御祖』だと言う。またこの道 (神ですら人に下って敬う精神) に地を治めれば、臣たちも子の如くにその道を慕うので、この意味でも君は『臣たちの御祖』だと言う。さらにその子(臣)の末である民も子の如くに撫で愛でれば、人草にすら御祖の心が萌して、御祖の精神は循環するものだと言う。』


(http://gejirin.com/ 様より)


と書かれてありますように、『和して照らす日月』という意味が込められてるそうです(*^-^*)

さて、ここからが今回の本題になりますが、では、先に述べさせて頂いた「各氏族から選ばれた…」の「各氏族」とは誰ぞや??といった疑問が生じて参りますよね…?(^^;)
そこで、ご紹介させて頂きたいのが、引き続き、上記のサイト様からの情報なのですが、

物部 (守の侍)。 
君に仕えて民を治める者。 の別名。 =モノノフ・モノフ・モノ。
(中央政府) に直属し、軍事・警察・裁判などの行政を担当した役人で、オオモノヌシ が統括する。
時代が下って、神武ウマシマチ に『代々モノベ継げ』と授けたモノベは、いわゆる『武士』だと思われる。」

(※ ↓は、上記の補足情報ですm(_ _)m

大物主 (央守主・皇守主)。 
=右の臣=剣の臣=八重垣の臣。 
中央政権(皇)のモノヌシ をいう。はじめは単にモノヌシと言われたが、アスカ 政権が独立して以降、区別のためにオオモノヌシと呼ぶようになったのだろう。

 

八百人のモノノベ を総括し、地の政を司る (司法・行政・軍事長官)。 
コトシロヌシ
副モノヌシ (ムラジ) とが補佐する。

この職は八重垣の臣  (初代はソサノヲ ) の長男によって世襲され、同時に二人はいない。)

大国主 (大地主)。 
ヲヲコヌシ、オオクンヌシ、ヲヲクヌカミ、クニヌシ とも。
大地 (土・埴) を治める者。
オオモノヌシ として地の政を司り、また「埴祭の法」や「宮造り法」を定めた功に対し、ニニキネクシヒコ に与えた名。」

大山祇神・大山津見神・大山積神
オオヤマズミというのは『大山統み』という意味で、オオ山 (ハラミ山あるいは神奈川県伊勢原市の大山) 周辺を治める国守の姓であり個人名ではないようだ。 
サクラウチ
オオヤマカグツミマウラ と代々オオヤマズミを名宣る。」

事代主 (事知主・言領主)。   → コトシロ
コトシロヌシとは大物主 の業務を代行・補佐する役職。 ツリ( )と呼ばれることもある。
オホナムチがクシヒコをコトシロヌシとしたことに始まる。」

(※ ↓は、上記の補足情報ですm(_ _)m

積羽 (八重事代主神)。 
コモリ
の次男。 三島大明神。 
ニニキネ
オオモノヌシ ・コモリのコトシロヌシ となる。
ホオテミ
の時、弟のタケフツ と共にイフキの宮 にて四国24県を治める。
その後、筑紫に行ったカンタチ (アスカ君モノヌシ ) のコトシロとして、アスカの宮 にも侍る。
その後は 阿波ハラミシマ → ハラ → ミシマ → 伊予 と通い勤め、ミシマミゾクイ の娘のタマクシ姫 との間に、クシミカタマクシナシタタライソスズ姫 を儲ける。)

大連。    ムラジ

アマテルの頃は、ムラジオオモノヌシ の補佐職であったが、神武 以降はオオモノヌシ、モノノベ氏、オオムラジと並立するのだからややこしい。タカクラシタ が初めて、そして唯一のオオムラジとして現れる。それ以降、ホツマの中でムラジと呼ばれるのはタカクラシタの子孫であるオハリ連 だけとなる。
  

【大連】オホムラジ -広辞苑より-
大和朝廷の執政者。連の姓(かばね)を持つ諸氏中の最有力者が任ぜられ、ふつう世襲する。記紀伝承では物部・大伴両氏から出て大臣(おおおみ)と共に執政したが、六世紀末に大連物部守屋が大臣蘇我馬子らに滅ぼされたのを最後とする。」

(※ ↓は、上記の補足情報ですm(_ _)m

■「オハリ(尾張) 」は葛城の「タカオハリ 」と同根と思われる。
葛城を治めるツルギネ 一族とタカクラシタ の一族との婚姻によって発生したのが尾張連だと推測する。
★『旧事』天忍男命 は、葛木の剣根命 の娘の賀奈良知姫(かならちひめ) を妻とし二男一女を生む。即ち尾張連の祖の瀛津世襲命 、建額赤命(たけぬかあかのみこと)世襲足姫命 。瀛津世襲命または葛木彦命(かつらぎひこのみこと) は、池心朝 (孝昭天皇 ) の御世に大連 と成った。
熱田神宮 の大宮司家は、当初尾張氏で火明命 の後裔と伝え、大和国葛城郡高尾張邑に起こったという。尾張国造として尾張の古豪となり、熱田大宮司職を世襲した。
★崇神天皇の頃は大和国葛城郡高尾張邑を本拠とする。以後は美濃、飛騨などに移居するが、14世孫乎止与命が尾張国造となる。尾張の地名は、尾張氏の移住により生じたものと思われる。尾張国造の末裔は熱田大宮司となる。)


宗像。 
シマツヒコ
の子孫でカナサキ の枝姓。  
アマテルの后
オサコアヤコ の父。 
イサナキ
の命により底ワタツミ・中ワタツミ・上ワタツミ を統括。
カナサキ・アツミ と共に筑紫を治める。」


安曇命。 
イサナキ
の命で、シマツヒコオキツヒコシガヒコ の三守を統括する。 
船霊シマツヒコ の子孫でカナサキ の枝姓。カナサキムナカタ と共に筑紫を治める。」

金折命。 
スミヨシ。スミヨロシスミノヱ。スミヱの翁 。 
ハヤアキツ姫ミヤツヒコ の父。孫にハデズミホタカミ がいる。
イワクス船 で流されたヒルコ を、妻と共にヒロタ宮 で育てる。 
イサナキ の命により、底ツツヲ・中ツツヲ・上ツツヲ を政る (福岡市博多区住吉神社)。 
アマテル
の即位時、『日を写します大老臣』。 」

(※ ↓は、上記の補足情報ですm(_ _)m

■『日を写します大老臣』とは、アマテルの光をカナサキに写して、筑紫を照らすという意味だと思う。つまりカナサキはアマテルの代理として、九州を治める役を仰せつかったということ。これは『スミヨロシ 』と同義であり、その象徴として『御衣の末 』の授与である。またツハモノヌシ が賜った『写し日代治人』とも同義。)


といった感じで、以上が、主な各要人の氏族の方達となります(^^)v

このように、古代から「日本(ヤマト)」という国は、天皇を中心として、各氏族達が互いに協力し合いながら、約2700年間もの長きに渡って延々と営まれて来た”和の国”という事になりますかね~(^^)/

※1 「ヤマト」の国名は、二神 が本州の葦原中国 において、「調和と秩序(マト ・ヤマト・ヰヤマト )」を民に教え、それが浸透したことに発する。したがって奈良県の旧名のヤマトは中国を意味する。そして「調和と秩序」が全国に及ぶに至って日本の国号となったものと思われる。

※2 補足→地理的な位置と君が坐す国ということから「ナカクニ(中国) 」であり、また二神が陽陰歌 で民の言葉を直したことから「アワ国 」ともいう。 さらにマトの教え(和の教え) が徹って「ヤマト 」となる。


上記の情報からしましても、「日本」は古代から本当に素晴らしい国だったのだと、つくづく実感致しますです…(人)

早速ですが、以下に探し求めていた答えが書かれてありましたので、ご紹介させて頂きたいと思います~m(_ _)m


以下、http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1049.html 様よりお借り致しましたm(_ _)m

----------------------------------------------------------------


秦氏と賀茂(鴨)氏を結びつけるために、怪しげな思い込みの理論を展開している本を見かけますが、事実は極めてシンプルで、両家は婚姻関係で結ばれた同じ一族であります。


「 伏見稲荷大社 」 は、全国の稲荷大社の総本山でありますが、それを創建したのが 「 秦伊呂具  」、その伊呂具の父の名は 「 秦鯨 」 。


伏見稲荷大社
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1035.html


賀茂氏には、 「 賀茂久治良 」 なる人物がおり、賀茂氏の伝承によれば、両者は同一人物で、秦伊呂具も、もとは 「 賀茂伊呂具 」 といい、その兄弟が 「 賀茂都理 」 で、後に 「 秦都理 」 を名乗ったとされ、彼らは、同じ一族で、姓を使い分けていたようで、

そして、下鴨神社は、最初に秦氏が祀っていましたが、賀茂氏が秦氏の婿となり、祭祀権を賀茂氏に譲ったと伝承されています。


(中略)


伏見稲荷の祠官家大西家の家系図によれば、伏見稲荷の創始者・秦伊侶具は鴨県主久治良の子であり、松尾大社の創始者・秦都理は鴨禰宜板持と兄弟であるとされ、

また鴨県主家伝では、賀茂社の禰宜黒彦の弟の伊侶具・都理が秦の姓を賜り、それぞれ伏見稲荷・松尾大社を作ったとあり、

秦氏本系帳では 「 鴨氏人を秦氏の聟(むこ)とし、秦氏、愛聟に鴨祭を譲り与う。故に今鴨氏禰宜として祭り奉るのはこの縁なり 」 としています。

----------------------------------------------------------------

以上、ここまで。


上記によりますと、『鴨県主家伝』という古文献に、しっかり


「賀茂社の禰宜黒彦の弟の伊侶具・都理が秦の姓を賜り、それぞれ伏見稲荷・松尾大社を作った」


と書かれてあるようですので、この方で間違いないと思われます(^^)v

あぁ~スッキリした~(= ̄▽ ̄=)♪

この世は謎だらけ
(上記の画像も、地元の田村神社で撮影しました^^)



今回も、前回の続きからとなりますm(_ _)m


まずは、前回の最後に


「鴨氏の息子様と秦氏の娘様がご結婚して、鴨氏と秦氏は縁続きになった模様」


といった情報を書かせて頂きましたが、今回は、では、その「鴨氏と波多氏の繋がりとは?」といった話題からにさせて頂きたいと思いますm(_ _)m


以下は、wikiからと、http://www17.ocn.ne.jp/~kanada/1234-7-1.html 様よりお借り致しましたm(_ _)m

------------------------------------------------------------------


武内宿禰


系譜


・父母 父は孝元天皇の皇孫、屋主忍男武雄心命(『古事記』は孝元天皇の皇子、比古布都押之信命とする)


・母は木国造(紀伊国造)の女・影媛


・兄弟 異母弟に甘美内宿禰(うましうちのすくね)


・子

 ・波多八代宿禰[2](はたのやしろのすくね) - 波多臣、林臣、波美臣、星川臣、淡海臣、長谷部臣、熊懐氏の祖
 ・巨勢小柄宿禰(こせのおからのすくね) - 巨勢臣、雀部臣、軽部臣の祖
 ・蘇我石川宿禰 - 蘇我臣、川辺臣、田中臣、高向臣、小治田臣、桜井臣、岸田臣の祖
 ・平群木菟宿禰(へぐりのつくのすくね) - 平群臣、佐和良臣、馬御織連の祖
 ・紀角宿禰(きのつののすくね) - 紀臣、都奴臣、坂本臣の祖
 ・久米能摩伊刀比売(くめのまいとひめ)
 ・怒能伊呂比売(ののいろひめ)
 ・葛城襲津彦 - 玉手臣、的臣、生江臣、阿藝那臣の祖
 ・若子宿禰(わくごのすくね) - 江野財臣、利波臣、射水臣の祖


* * * * * * * * * *


賀茂族と葛城氏関係系図


この世は謎だらけ
上記の系図の補足をさせて頂きますと、


八咫烏」の子の「玉依彦」の子の「剣根命」の子の「葛城国造荒田彦」の娘の「葛比売」と、「武内宿禰」との間に生まれた子が「葛城襲津彦」


となるようです(^^)v


------------------------------------------------------------------

以上、ここまで。


さて、それでは最後に、これまでの情報を一気にまとめさせて頂きますと、


「鴨氏系の何方かと秦氏の娘さんがご結婚して縁続きとなり、これによって、スサノオ系のご支族である鴨建津之身命(ヤタガラス氏)や鴨氏などとも繋がりが出来た」


という結果に相成りましたm(_ _)m


以上のような事から、


「秦氏と波多氏と鴨氏は、マクロな視点から見てみると、”各氏族間の婚姻関係により、一つの大氏族となった”と言っても過言ではないかも(^^)v」


といった結論に到達させて頂きましたが、どうか、皆々様にもご承諾頂けましたら、幸いでございます…(人)


それでは、ここまで長々とお付き合い下さりまして、誠に有難うございましたm(_ _)m

心より厚く御礼申し上げます…(人)

この世は謎だらけ
(上記の画像も、地元の田村神社で撮影しました^^)



今回は、前回の続きである「波多」氏に関する話題からにさせて頂きたいと思いますm(_ _)m


では、早速ですが、以下から「波多氏とヤタガラス」についてなど…


以下、wikiより。

------------------------------------------------------------------


賀茂神社 (うきは市)


主祭神

神日本磐余彦尊(神武天皇)

賀茂下上大神(賀茂建角身命、玉依姫命、賀茂別雷命)


* * * * * * * * * *


当社の行直大宮司が慶安4年(1651年)に誌した旧記には、


「賀茂大神は最初にこの地に天降り鎮座され、神武天皇が日向から大和へ御東遷のみぎり、宇佐から山北へ来られ賀茂大神は八咫烏(やたがらす)となって御東幸を助け奉られたので、今も神武天皇と賀茂大神を奉祀する」


と述べている。


境内では縄文土器、石器、群集石棺群などが出土している事から鑑みこの旧記が有る真実を伝えているものと考えられる。


賀茂神社社家の初代は、武内宿禰(たけうちのすくね)(孝元天皇の曾孫)19世 波多臣広庭(はたのおみひろにわ)の後裔、波多次郎救家の嫡男 久家和州 としている。(熊懐氏参照)


------------------------------------------------------------------


賀茂別雷命とは?


『山城国風土記』逸文には、賀茂別雷命について次のような記述がある。賀茂建角身命の娘の玉依姫が石川の瀬見の小川(鴨川)で遊んでいたところ、川上から丹塗矢が流れてきた。


それを持ち帰って寝床の近くに置いたところ玉依日売は懐妊し、男の子が生まれた。これが賀茂別雷命である。賀茂別雷命が成人し、その祝宴の席で賀茂建角身命が「お前のお父さんにもこの酒をあげなさい」と言ったところ、賀茂別雷命は屋根を突き抜け天に昇っていったので、この子の父が神であることがわかったという。丹塗矢の正体は乙訓神社の火雷神であったという。


------------------------------------------------------------------

以上、ここまで。


さてさて、上記の情報から、「ヤタガラスは波多氏(後に、熊懐氏と改姓)や賀茂神社と関係があるらしい」という事が分りました(^^)v


では、次に、ここからいよいよ「秦氏と波多氏の関連」へと移らさせて頂きたいと思いますが、まずは、上記の「賀茂神社(うきは市)」が祀っている「賀茂別雷命」につきまして、『秦氏本系帳』という古文書の中に、以下のような記述があります。


以下、http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/55289940.html 様よりお借り致しましたm(_ _)m

------------------------------------------------------------------



この世は謎だらけ

上記より抜粋

「(秦氏本系帳に云はく、)又云はく、「鴨上社を別雷神となづけ、下社を御祖となづく。戸の上の矢は、松尾大明神、是なり。秦氏をもちて、二所の大明神を奉祭る。しかあるに、鴨氏の人、秦氏の婿となる。(後略)」


------------------------------------------------------------------

以上、ここまで。


上記によりますと、どうやら秦氏のご血統は、別雷命を祀っている鴨氏とのご結婚によって、鴨氏に移った??という事になるようですね(^^;)


…またまた長くなりそうですので、続きは次回にさせて頂きたいと思いますm(_ _)m