占星術は、自分の身に起きることや自分自身の精神活動などと太陽系の惑星を照らし合わせて読み解くものですが、

ひとつだけ何の象意も与えられていない惑星があります。

それがホロスコープのど真ん中に位置している

地球です。


自分がいる場所を表しています。

自分を見つめる目であり

感情を感じている自分を見ている自分。

思考している自分を見ている自分。

目標を定めている自分を見ている自分。


不思議なことに、そこには何のタイプ分けもないのです。





ホロスコープに記載されるのは、地球以外の10個の天体と、日の出、日の入り、正午、月と太陽の軌道の交わりなどです。



このホロスコープの真ん中に地球があることになっています。


占星術は未だに天動説を採用している。
とどの本にも書いてあります。

主観で成り立っています。


これが占星術のミソだと思うのです。


とても主観的ではあるけど、
その中心にいる自分は空っぽです。

そこには、現実を客観視しようという冷静な謙虚さが現れているように思います。


自分を知るための中心点を持つことは、

自分というものさえも観察者の自分と切り離す行為です。


自分の特徴を惑星や12星座の象意に落とし込み、

自分を外化する術。


自分というものを何かに例えた時、
それを観察している視点だけがそこに残ります。


地球が表しているのは、そんなものです。


自分という存在は、本来空っぽです。


人間として生まれて、さまざまな環境により人格が形成され、
人間として生きていく間に、
他者との関わりによって
自分というものが出来上がっていきます。


それらは死んだら失われるものです。


その人が生きた証や、思想、残した物、思い出、成果などは、他の生きた人間たちに受け継がれますが

死んだ本人は持っていくことができません。


自分だと思っているものは、ここで生きているからこそ持てている外殻のような自分なのです。


けれど、

それらを失ってもなお、自分というものが中心にあります。


空っぽであるように見えて、しっかりとした存在があります。


そこには、人間らしさは微塵もありません。



生命そのもの。


宇宙そのもの。


偶像ではない、唯一の創造主と言われるものが自分の中心に座しています。



どんなひとも、
どんな生き物も、
どんな植物も、
どんな鉱物も、

そんな不思議な生命の力を中心に秘めています。



私のホロスコープの解釈は、
外側から惑星が並んでいます。

外側から、月、太陽、水星、金星、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星の順番です。

中心にいくほど遠くなり、宇宙は濃くなります。



本来は中心に地球があるように読むのが普通ですが


地球の中心に神を見るという風に解釈すると、


人間としての自分の視線は、ホロスコープの外側から見ているような感じになるのです。

中心にいるのは、自分の中にいる神であり、観察者の視点です。



こうなると、ホロスコープ上でも地動説が成り立ちます。


ホロスコープが一つの銀河系で、
中心にブラックホールがあるような感じにも見えます。





ホロスコープに記載される自分らしきものは、この世に生きているからこそ持っているもの。


それが全てを決めてしまうわけではありません。


それは、観察者の自分という絶対的な存在が中心にいるからです。


この絶対的な存在としての自分が全てを決めることができます。


他人と比較して浮かび上がった自分というものを客観視する主観。


地球が他の天体に影響を受けることがあっても、
地球自体がそれと同一なわけではない。


自分の存在そのものというものを地球は表しているのです。

自分の真ん中は、他の天体には務まりません。



この空っぽの地球という自分の存在を忘れると


時には、月が中心に陣取っている人がいたりします。


火星や金星や土星が中心に居座っていることもあります。



これは、他の惑星に象徴される価値を

自分という絶対的な存在の上に置いてしまっているという例え話ですが、


感情や思考や美や、情熱や、社会的なものを自分の中心に据えると、


観察者としての絶対的な地球は埋もれています。


他の惑星に主導権を渡してしまう。


これは、あらゆる問題を起こします。


占星術は、このことを見える形で表してくれているようです。


人は、心の中にその人の銀河系を持っているということを1年前くらいにもブログかどこかに書いた気がします。



その時は占星術などには興味が無かったけど

あの時のイメージのまま、その銀河を詳しく知るための完成された技術がここに用意されたような感じがします。