〜死生観について〜



私はあくまで、

職人を目指しています。


実用的で

無駄のない

暮らしとともにあるもの


そんな物を

無心で

ひたすら作れるような

職人になりたいです。


でも、ボケ~っと作ってたって

そうはなれない。


今、インスピレーションとして湧いてくる想いを出来る限り受け取ることがわたしには必要です。


それは思想となり

作品に込められます。


わざわざそんなもの

込めなくても

いいくらいに

身体に染み付けば

芯のある職人になれると思う。





前置きしたけど、

今日は死生観のことです。


私にとって、死とは。


役目の終わりです。


そして、平等です。


目の前に、救えない命があってもしょうがないと思います。


私は蚊を潰すことだってあるし、

蛇を退治することだってある。


救えないという概念が私にとっては気持ち悪いです。


その命が終わるなら、

役目を果たしたということ。


もし、役目を果たせていないのなら


必ず生まれ変わると信じています。


自ら命を絶つなどして

その宿命を全うできなかったときには


また、同じ境遇、同じ不幸を背負って生まれてきます。


だから命を絶つかどうかは本人が決めればいい。


ただ、また、同じ地点にくることになるよ。

というだけです。

また、同じ人生をやり直すことになる。

それは、その人生での学び、喜び、生きがいを見つけるために。


だから心配しません。

今回はゲームオーバーだっただけ。


若くして死のうが

役目を全うしたならば

それ以上何を心配しなきゃならないのか。

心配するということは

その能力を見くびることになる。


必ず、役目を果たせるだけの能力を持って生まれてきます。


私は、

見守ることが

愛だと思う。


それは、

自分の思考が

魂に向ける目線と同じものです。


自分の思考がグダグダ悩まずに、

本心を探るときの在り方と同じものです。


見守る、待つ。


これは信頼がないとできません。


愛と信頼のやりとり。


私は、自分の魂に絶対の信頼を置いています。


だから、どんな人間の魂も信頼できる。


どんな命の源も信頼できる。


その源は、宇宙という一つのものだと知っているから。




ニュースで、若くして亡くなった。

周りが

誰々のせいだ。

どうしてくれるんだ

というのを聞くたびに腹が立ちます。


この怒りは、

私の魂の怒りです。


その命が何を経験するのかは

周りが決められることじゃない。

周りがよくしようと思ったから

よくなるものでもない。

そこに良いも悪いもない。

ただそうなった。

それが

その命の在り方だった。


そして、

そんなことに気をとられて、

自分の人生の宿命を他人の人生と取り違えていることに

腹が立ちます。


これも、私の魂の怒り。


他人を信頼して、

自分の人生生きなよって思う。


他人の人生に口出しできると思ってるなんて傲慢だよ。


だから、

私は目の前に

終わろうとしている命があったら、


どんな人生だったか聞くだけ、想像するだけ。


やり残したことがあるのか、

幸せだったのか、

何を経験したのか。


それは本来の弔いだと思う。






その経験が

何より宝物。


どんな不幸な出来事も、

どんな苦痛も、

どんな破壊も、

どんなしあわせも、

どんな喜びも

どんな創造も。


全部宝物。


それは、草木も、動物も魚も虫もみんな一緒です。

惑星の一生も。細胞の一生も。宇宙の一生も。



自分を知ると、

自分への信頼を思い出す。

その信頼は命に対する信頼。

全ての命に対する信頼。



だから、

目の前の終わる命だろうが、

今始まった命だろうが、

佳境に入る命だろうが

何か手伝おうとは思いません。

コントロールもしません。

心配もしません。

態度は冷たく見えるかもしれない。

でも、それは

全幅の信頼を寄せているからです。

自分でなんとかできると知っているからです。



ただ、生き延びる手助けができる状況に居合わせば、最善をつくします。それは、生き延びようとすることが自然だから。




これは、私の姿勢だけど。


私の思考の姿勢と一緒です。


私の思考が魂に対する在り方と一緒です。


自分に能力が無いと決めつけて情報を詰め込もうとか計画や規律でがんじがらめにしない。




これは、私の針目に対する姿勢でもあります。

自分の針目が乱れるといって操作しようとしない。



流れ星【月野瀬刺し子】流れ星


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