凪川月乃オフィシャルブログ

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まっさら、まっすぐ、
笑って転んで、また笑って。

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先日、ピーターラビットを初めてちゃんと読んで、

驚きました。

 

 

お話が、可愛くない!!!!!!!

 

 

いや、

モアプリサイスリー、

 

結果として、なぜか可愛いのだけど、

単純に可愛いだけの話ではないのですね。

 

ピーターたちが暮しているのは、

マクレガーさんという農夫の農場なのですが、

 

マクレガーさんにとって、

ウサギはただの害獣。

 

残り物のレタスをあさっていた子ウサギたちを

憎々しげにつぎつぎと袋詰めにして、

毛皮を売り飛ばしてタバコ代にしようとしたりする。

 

ひとつもファンシーではありません。笑

 

 

でも、逆に、

 

ああそうか、だから世界中で年月を超えて人気があるのだな…

 

と理解できた気がするのです。

 

 

わたしの大好きなムーミンも、

原作マンガを読んだとき、似たような衝撃を受けました。

 

 

登場人物が誰ひとり、性格がよくない!

登場人物が誰ひとり、頭もよくない!

 

 

全員が全員、

わがままで、

自己中で、

おまけに視野も狭いときている。

 

 

まともなのは、スナフキンとミイくらいかな?

 

 

お話のテーマも、

人間的な欲望を描くものが多くて、

 

統治欲、自己顕示欲、

人よりも上に立ちたい欲、

自分だけが得をできればいい欲…

などなど、

 

こちらもひとつもファンシーではない。

 

 

可愛い妖精さんたちが可愛く

うふふあははとふんわり過ごしている世界を

想像していた私は、

初読時、けっこうぎょっとしたのでした。

 

 

でもなぜか読み進めるにつれ、

どんどん脳の芯がマヒしていくような

妙な心地よさ、癒され感に浸されてゆき、

 

わたしはすぐに夢中になってしまったのです。

 

 

 

これは、水曜どうでしょうの世界にも、

通じるものがあります。

 

 

けして「可愛い」とは言えない、

さえない4人のおっさんが、

 

お互いを罵倒しながら

ダル着でどっちでもいいことを

延々やってるだけの世界なのに、

 

 

なぜか癒されるし、なぜか愛らしい。

 

 

 

この境地よ。

 

 

人生の幸せとは、

そういうものなのではないかと思うのです。

 

 

 

つまり、

 

【本当は何も起こっていない】

 

のだ、と気づくこと。

 

 


本当は、何も、起こっていない。

 

 

 

人間は、

目の前の大事件や喜怒哀楽に

あっちゃこっちゃと振り回され、

洗濯機か乾燥機かなにかに放り込まれたように、

自分の人生に右往左往するものです。

 

 

そういう近い目線では、

人間の人生は、ほとんどの場合、悲劇です。

 

 

でも、

ふんわりと浮上して眺めると、

 

じつは、

「大変なことが起きている」と見えるのは

ほとんどの場合、当人の認識の世界だけであることが多い。

 

 

内側の世界がどれほど

嵐のように荒れ狂って難破寸前であろうとも、

 

外から見ると、

その人が自分で作った牢屋に

自分で閉じ込められて、

出られない!苦しい!と

もがいているだけなのです。

 

その外側からの目線は、

喜劇的。

 

本人は深刻でも、

周りから見れば、哀愁こそ漂えど、

ぷっと笑ってしまうような

マンガ的な光景なのです。

 

 

 

ピーターラビットも、

ムーミンも、

水曜どうでしょうも、

 

大変な目にあって

ああだこうだと騒いでいても、

どこか、巻き込まれすぎない。

 

 

 

ああ、たいへんだ!!!!

と言ってる本人が

いちばん呑気、みたいな、

不思議なバランス。

 

 

それはどこかで、

どんなにドラマが起こっていようとも、

 

本当は、

何ひとつかき乱されない平和な世界が

いつも自分を養ってくれているのだ、という

根本的な安心感のようなものが、

無意識に背景を満たしているから。

 

 

 

子どもがバーンとこけて、

痛いよーーーー!!!!って泣いていて、

本人は本気で痛くてびっくりしてるんだけど、

周りから見たら可愛くて笑っちゃう、みたいな。

 

 

 

人間はいつも、

本当は安心な生き物。

 

 

 

大したことは起こっていない。

どんなに大変なことも、

神様が右往左往する人間たちを

見下ろすように、愛情たっぷりに眺めれば、

 

まるで荒れ狂う海の水底が

しんと動かず凪いでいるかのような、

悠久の幸福感に満ちた、

すべてが受け入れられた世界が広がっている。

 

 

 

 

【本当は、何も、起ってはいない。】

 

 

 

 

仏陀の説いた「涅槃」も、

ようするに、この境地に至るというだけのこと。

 

 

 

 

でも、これは、

簡単でもあるし、

簡単でもないことでもあります。

 

 

 

りくつはシンプルで簡単だけど、

りくつが分かればいい、というものでもないからです。

 

 

このニルヴァーナに至るということは、

この目線を、知識としてでなく、

【肉感的な体感として】生きること。

 

 

幸せになる、というのは、そうした目線の

「肉感的な体得」にあります。

 

 

勉強したり、知ったりして得るものではなく、

生理的にそのような状態になること。

 

 

心の底から、体の細胞全体で、

どんな状態の自分も、

可愛いな、と感じていること。

 

 

近視眼的にみれば悲劇にしか見えなかろうとも、

俯瞰的にみれば、人間はいつも一生懸命で、愛らしい。

 

 

どんなときも。

 

 

 

友人のお母さまが、

 

「悲劇の中にも喜劇性があり、

喜劇の中にも悲劇性があるような、

そんな映画がリアリティがあって好き」

 

とおっしゃっていたそうです。

 

 

 

 

人間の世界は、たくさんの感情や出来事に満ちた、

豊かな世界。

 

人間の実感を生きつつ、そのすべてを肯定し、

慈しみ、

 

「いい・悪い」の向こう側を生きる。

 

 

けして、「善なる人間」「よい人間」になるのではなく、

 

どこまでもただの自分で、

リアルなわたしで、

 

日々、わちゃわちゃと日常を生きながらも、

神様の目にいつも慈しまれているような、

そんな安心感を生きること。

 

 

そこに、リアルで地に足の着いた、

ニルヴァーナがある。

 

 

そんなふうに思います。