村上龍のイビサに
恐怖を取り除くには、自分自身で何かを見つけるしかない
みたいな事が書いてあった

他人の助言は助言でしかない
助言はその人の記憶をもとにして作られるけど
記憶なんてそもそも知らない間に自由に脚色されているだろうから
何かを言う時に一番真実味を帯びるのは
その何かの渦中にいる人の言葉かもしれない
でも、何かを言えるようなものの渦中にいる人は
言葉を持たないのかもしれない
と思った


イビサには
人が何かを作るのは恐怖から逃げるためだとも書いてあった
多分私はこれを理解出来てないだろうけど
やっぱ村上龍好きです



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神経症になった事がある
対人恐怖ほどではないにしろ、視線恐怖その他諸々は精神的にきついものがある

今でも少しあるかもしれないが
前よりは付き合い方が上手くなった
神経症を治す治さないという表現は間違っている
でもそれを治そうとする姿勢は正しい

自分を大事にしろとよく巷で言われる
特に神経症を取り扱う場所では必ずといっていいほど言われる
あれの意味を自分なりに解釈すると
自分の「…たい」を「…べき」よりも優先しろという事だと思う

こう解釈すると
「…べき」の代表格であるマナーや法律を無視する事になる
例えば、「人殺しはすべきではないとされているが、殺したかったから殺してしまいました」
というのもアリではないかという事になる

ところで
人殺しをしてはいけないのはどうしてだろう
一体何に人殺しを禁止されているのだろうか
やりたかったらやればいいじゃないか
飯を食うのは食いたいから
歌を歌うのは歌いたいから
被害者が迷惑だからか
他人に迷惑をかけるのは
生きてるなら五秒に一回くらいはしてると思う
迷惑という表現はなんか合わないけど

結論勿体ぶって書くの疲れてきた
静かな部屋で打っているのでポチポチ音が異様にデカイ

自分のモラルに人を殺すことを禁止されている
私的モラルだから結果は自己責任だ
疲れた

勉強法の本に従って、第一ステップである赤本に取り掛かる。

名市大(医)の2009年版。
今まで赤本をまともに解いたことがない。

が、程なくして空想を始める。時間だけがすぎていく。
妄想しているのに気づいてまた取り掛かるが、英単語が目に入ってきても、頭の中で翻訳されない。ないしは、翻訳速度が異様に遅い。
脳が問題を拒否ってるらしい。

別に問題が難しすぎてちんぷんかんぷんなわけでもない、妄想癖も以前ほど酷くはない。

原因は、模試が嫌いだからだ。
偏差値50以下を何度も積み重ねると、模試が段々嫌いになる。
当たり前である。
模試が嫌なら赤本も嫌。


なので、まず基本に戻ることにした。
ベクトルでわり算をしようとした私である。
未だに「慣れている」をユーズド…イングに訳す私である。
基本が出来ているはずがない。