We must develop and maintain the capacity to forgive. He who is devoid of the power to forgive is devoid of the power to love. There is some good in the worst of us and some evil in the best of us. When we discover this, we are less prone to hate our enemies.
わたしたちは許す能力を育て、それを保たなければなりません。許す力が欠けているひとは愛する力も欠けています。もっとも悪い人たちだって善いところはあり、もっとも善良な人たちにだって、邪なところはあります。それを見つけることができれば、憎しみがちな敵への心を和らげることができるのです。(キャロル訳)
最近、ネットに登場する色んなニユースへの書き込みを読んでいて思うのは、それが匿名のコメントであることを隠れ蓑にしたような、酷い物言いが目につくようになったことだ。日頃、なにかに不満を感じているのか、それともプレッシャーに押しつぶされそうになり、相手をこき下ろすことによって憂さを晴らしているのか。内情は知らないが、そのようにしている自分の卑小さに思いが至らない。少しでも自分の意に染まない言葉に出会うと、それが敵に見えるのだろう。容赦なく叩く。残念ながら、そんな人にもおそらく「善いところもある」のだろう。悲しいけれど、本人がその悪意を善意に変えられる日を願うしかない。