もうだいぶ前のことだから、忘れたよ。
20年も30年も前のことだよ、もう何とも思ってないよ。
嫌な思い出はね忘れることにしてるから。もう大丈夫。
今は、ね。
『今』はそうかもしれないけれど。
頭の中ではそう思うようにしているかもしれないけれど。
『あの時』の気持ちはどうなるんだろう。
『あの時』思ったことや感じたことはそのまんまでいい?
『あの時』思ったことや感じたこと、20年も30年も抑え込んだまんまだよ?
それ、あの時から全く解決してないんだってことを知ってください。
忘れることイコール解決 ではないことを知ってください。
『あの時』のことが誰かしら相手が絡んでいることだとしたら、先ずはその相手に対する文句でもいい。
言わずに呑み込んだ『あの時本当は言いたかったこと』、今からでもいいから口にしてみてください。実際に自分に聞かせてあげて。
そして、知ってほしいの。
それはあなたが本当に言いたかったことではないということを。
あの時の自分が本当に言いたかったこと。
誰かに対しての文句もあるかもしれないけれど、
誰かに対する思いが勝って
『あの人ムカつく』
『こんな気持ちになるのはあの人のせい』
という記憶しかないかもしれないけれど、
その奥にある『自分の気持ち』が、あの時『本当に言いたかったこと』です。
悔しい
寂しい
悲しい
怖い
・・・ ←言葉では表現できないけれど感じたこと
仲間に入れて
一緒に居て
大好きだよ
ごめんね
ここを観ることが大事だなんてあの時は知らなかったから。
だから、あの時はつい目の前の誰かだけに焦点合わせてしまったけれど。
両方観て。
そして、最後は自分を観て。
文句があるなら言っていい。
でも、それが『自分が本当に出したい言葉ではない』ことを自分で把握するんだ。
私は、あなたと一緒に居たい。
あなたは、私と一緒に居たくない。
こんなふうに互い違うこともたくさんある。
それは、仕方がないことでもある。
人に気持ちは違うから。
仕方がないと思えるのは、自分の本当の思いを自分が把握できているから、です。
(相手に対する文句だけが浮上している間は、絶対に辿り着くことが出来ない領域です。)
気付かないふりをしているけれど、ずっと『取れないささくれ』のように気になる引っかかる『あの時のこと』。
相手への文句ではなく自分はどう思ったのか。
を、今からでもいいから拾ってあげてください。
今日から、あなたの気持ちが深呼吸できるようにするために。
もし、
今年の桜をモヤモヤした気持ちで見たとしたら。
来年の桜は、気持ち良く見よう。
身体の中に残っている嫌なことを、一つずつ減らしていく一年にしよう。