どうしてこんなことを書こうと思ったのか。

それは、ふと思ったその『ふ』を見逃さないようにしたいと思ったから。こういう時が、整理整頓の、『認める』のチャンスだから。

 

 

 

 

 

 

そう、認める。

 

 

 

 

 

自覚した瞬間は言葉がなくなる。

鳥肌が立つ時もある。

思わず拒絶したくなるくらい、うわわわわわーーーーーーーってなる。←語彙力、苦笑

 

 

 

 

 

初めて、離婚から19年が過ぎ初めて、腑に落ちたと言うか、すんなり認めた(降参したとも言うかも)自分に気付いた。

 

 

結婚していた時、もちろん(もちろん?笑)早い時期から、『この結婚は違った(失敗した)』と思ったし、何かはわからないけれどでも確かに『何か』不安がある中で結婚してしまったことを本当に本当に後悔していた。

 

 

良い車買えば変わるかも

家買えば変わるかも

子供生まれれば変わるかも

 

そう『何か』にすがりながら、あの頃はとにかく心が辛い日々を生きていた。

いつか絶対に別れると決めて、そのタイミングを見計らいながら、いつかくるであろうタイミングを見つけることを支えに生きていた。


 

 

 

 

失敗したと思ったのはいろいろあったけど、大きな一つは義母だった。(細かいことは書かないけど)


 

 

 

19年が過ぎ、もうすぐ20年を迎えようとしている中で気付いたこと。それは、あの時のお義母さんは、あの時のわたしだ、ということに。

 

 

 

 

例えば、

お義母さんは、旦那(お義父さん)を立てているように見せかけて、本当の本当は自分では何も決められず自分で決めることからは逃げていて、何か問題が起こった時は『決めたのは自分じゃないから』と逃げていたこと。

 

例えば、

何をするにも必ず、わたしや元旦那を『誰か』と比べていたことも。勉強が出来る出来ないとか、常識がどうだとか、周りの人たちの幸せそうな度合いとか。←そんなの、比べたところでわかるわけないのに。

 


 

 

 

まんま、わたし。

あの時のわたしだよ。

お義母さんに対して不快に思っていたところは、全て自分のことだった。

下手すりゃ、離婚してから何も学ばずにいたら、今も変わらずそうなっていたところだった。

 



 

…何も言えねえ。苦笑

 

 

 

 



すごくすごく苦手に感じていたのは、出来ることなら関わりたくないと思っていたのは、まんまわたしだったから。上っ面は良くて本心は隠して生きていたまんまわたしだったから、なんだよ。

 

 

 

 

 

良かった、自覚出来て。

ここまでがものすごく長かったけど、笑