幼少期の闘病記録(書いたのは40歳前後なのでかなり記憶が薄れているが、笑)を覗いてくださって、本当にありがとうございます。
わたしの記録は、何の抗がん剤を何回使ったとか、そういうのじゃないです。頭に心に残ったことを書き留めています。
薬は、10人居たら10通りの症状があって、薬のいわゆる『効く』『効かない』も10通りあります。
要は、他人の情報は何の参考にもならないとわたしは思っていて、どちらかというと、調子が優れない時はどんなふうに過ごしていたのかとか、どんな食べ物で不調期を乗り切ったかとか、行動や意識のほうが参考になると個人的に思っているんですね。
傷も然りで。
生き抜くと決めた証しですから、仕方がないことで。
もちろん、少しでも目立たないようにしたいという気持ちはあるけれど(わたしは一切気にしていませんが)、どうしたって体質も関係してくるし、傷を気にし始めるともうずっと傷のことが頭から離れないんですよ。
わたしは、がん治療したことを本当に忘れていた時期があって(20代前半のピチピチギャルだった頃)、だから、足が悪かろうが傷がどれだけあろうが、たくさんの男性と遊びました。笑
足のことをバカにしたりする男は、すぐにポイしたよ。当たり前だよ、そんなの。(←言い方ね、笑
どうして病気になったのか、
ではなく
病気になった自分でどう過ごすのか生きるのか、
をね、見られるようになりたいよね。
病気になった事実は変えることはできないからこそ。
せっかく病気になったのだから、何年掛かってもさ、病気を悪にしない自分になれたらいいよね
自分で決めるチカラ
自分を疑わないチカラ
自分を許すチカラ
自分をおっ広げるチカラ
他人を受け入れるチカラ
病気をすることで初めて、自分のことを自分で決めることができない自分を知るじゃない?がっかりするけどさ。
でも、病気をしたおかげで気付くことができた『自分の本能をちっとも活かしていない自分』なんだよね。
病気は、たくさんの気付きをくれる。
自分が気付きだと気付けば、ね。