10年前のわたし。37歳。
あの頃のわたしは、常に、常に常に常に、24時間365日携帯電話を気にしながら生きていた。
理由はただ一つ。
いつ、あの人(不倫相手)から連絡来てもいいように。
電話じゃなくてもメールでもいい、直ぐにチェックできるように。
メール一つが届いた届かないで一喜一憂して。
愛されているのかを確認したくて、ワザと素っ気ない対応したり返信しなかったりして。
メールがほしくて、ワザと質問メールを送ったりして。
返信の数で愛され度数を確認したつもりになったり。
もうさ、本当にバカでしょ。苦笑
※っつーか、これ、不倫相手じゃなくても普段から彼とか旦那さんとかにしている人、いるはずだよ。こうして駆け引きしていることはおかしいんだということに気付いてね。
夜中に目が覚めたら携帯電話見て、朝起きたら携帯電話見て、ちょっとガチャガチャ音がするところにいると『着信に気付いていないかも』と携帯電話見て、お風呂の前にも後にも携帯電話見て、テレビ見ながらも目線はチラチラ携帯電話に行き、寝る直前まで携帯電話見て、1日の繋がり回数でまた一喜一憂する。
超極細糸の繋がりが途絶えないようにするための必需品だったから、携帯電話が。
こんなことを、24時間365日やってるの。そりゃ、脳が狂うわ。笑
今ならわかるよ。
そんな繋がりでしか得られない安心なんて、本当の安心じゃないって。安心風だって。
でも。
でも。
あの時はそれが愛だと思っていたし、それが愛されている証しだと思っていたし、例えちょっとの時間でもわたしのことを想って連絡してくれることが愛されている証しだと思ってたし。
いや、正しくは、
そう思うようにしないと『もう嫌われちゃったんじゃないか』と不安で不安でたまらなくて、
そんな不安がいつもいつもつきまとうから心が折れちゃいそうなくらい何もかもに疲れ果てしまって、
だから、
大丈夫大丈夫愛されてると思うようにして思い込むようにして自分を何とか支えているつもりでいた。
だな。
だから、
なかなか会えなくても信じようって思うようにしていた。そう、『思うように』していた。思い込ませていた。少しでも不安になるとどんどん辛くなるから。どんどん不安が自分を襲ってくるから。
電話が、メールのやりとりが、心の拠り所だったし精神安定剤だった。
今思うとちゃんちゃらおかしい話なんだけどさ。
そんな不安定を精神安定剤にしている自分のおかしさに気付くまでに、まあ、時間掛かりました。苦笑
わたしの場合、この関係は安心風なものでしかなかったんだと自覚するまでに、8年。
8年間夢中だった。苦しいのに、辛いのに、本物の愛じゃないと頭ではわかっていたのに。
8年も掛けないと自覚出来なかった。自覚するって認めることだからさ。
認めるって、わたしは1番じゃないってことを改めて知るってことだからさ。
で、今度は、8年間の刷り込みを身体の中から意識から脳から解毒させるのに、2年。
その後も時々顔出していたよ。染み付いた『曲がった愛情』を求める癖がね。無意識でね。
不倫てね、感覚をおかしくするの。
脳をおかしくしちゃうの。
ひん曲がった愛を『これが真実の愛だ』『運命だ』と思い込んでしまうの。
麻薬だよ。
だって考えてみ?
自分はさ、旦那さんより不倫相手に夢中でしょ?子供のことよりも不倫相手のこと考えていることの時間が多いでしょ?
『旦那さんも不倫相手も同じくらい大事』なんてないはずよ、絶対にどちらかが気持ちが大きいはずなんだ。
良い悪いの話ではなくて。
そういう結婚生活をしたくて結婚したの?って話でね。
だーかーら、言うの。不倫は勧めないって。狂うから、何もかもが。
いや、愛されていたと思うよ。多分ね、多分。
ただ、奥さんのことも愛していたはず。間違いなく。だから、ちゃんと家に帰るじゃん。
じゃ、おうちがどーでも良ければ帰らないの?って話だけど、そんな男もどおよ?って話じゃん?
好きな時って、何やっても好きだから、どんな言葉でも愛に思えるし、嘘偽りのないものだと思えるんだよ。恐ろしいのよ、マジで。
上手く(長く)付き合ってる云々ではなく。
相手が誰であれ、なんか、似たようなパターンの恋愛を繰り返している自分にそろそろ気付くことができたらいいよね。
そして、そこから抜け出そう卒業しようと思えるようになれたらいいよね。
恋愛パターンは、自分の生き方のパターンでもあります。
いくらでもね、変えられるの。方向転換できるよ。人生って。