10年前は37歳。
あの頃は、10年後のわたしが穏やかに日々を生きているなんて、1ミリも想像できなかった。
いつまでこの苦しくて抜けられない恋愛(不倫)を続けるんだろう。
いつまで子供のことで悩まなくちゃいけないんだろう。
いつになったら悩みがなくなるんだろう。
そんな思いで頭ん中いっぱいで、
ただただ幸せになりたくて、ただただ幸せを味わいたくて、
幸せを目指して好きな人のブログ読んだり、勉強したことを必死に実践したり、言葉を変えて行動を変えて、出来ることをひたすら実践し続けて。
やるから、実践するから、ある程度のラインまでは向上するし、変化も起こる。
しかし、知識だけで動くから、『ある程度のライン』から先にいくことができない。
だから、またもどかしさが生まれる。
やってるのに、せっかくやってるのに、ここまでやってるのに、気持ち良く変わらない。
なんで?
どうして?
何がいけない?
何が悪い?
そんな『壁』から長いこと抜け出せずにいた、あの頃。
やり方が違うのなら、別のやり方を取り入れる。
本当にそれだけで。
それも『認める』だし、『降参』だし、『受け入れる』だし、『意地張ること比べることを辞める』なんだよ。
だから、自分の視点を自分で変えることが出来た。生き方を見直すきっかけを見逃さないことができた。
マジでさ、子供が小さい時にこの感覚を掴みたかったなあ。
笑
見て見ぬふりすることをやめた。
ちゃんと見て、知って、そこからどうしたいのかどうするのかを決めて、行動することにした。
そのために必要なことが、頭の中の整理整頓だと気付いたから、ひたすら整理整頓し続けた。もちろん、今も。
続けているから、こんなに穏やかな日々を生きることが出来ているし、何か問題になることが起こったとしても対処できるようになっている。
というか、
問題だと感じる事柄がほとんど起こらない。それが『今やるべきこと』というだけで、問題だと思わなくなったから。
思わないようにする、ではないよ。
思わなくなったから、だよ。
この違いが、この10年で体感覚としてしっかり身についたことです。
初めは、こんなに幸せでいいのか?と戸惑いもしたけれど。
次に必要なことは『それを受け取ること』だからね、素直に受け取ることを続けています
ダメな自分を認めること、そこからなんだよな、本当に。責めるんじゃなくて、認める、のよ。
この体感覚を知って自分を生きると決めて生きていく人とわたしは関わっていくと決めてるの。
今日新たに、50代前半までに叶えたいなあという夢を描いてしまってね。笑
あとでダーリンに話聞いてもらおうっと