味方。

 

 

 

 

 

 

◯◯ちゃんは、わたしの味方だと思っていたのに。

 

 

 

そんなふうに思っていたことがあったなあ

って、ふと思い出したので、書いてみる。

 

 

 

 

 

」」」」」」」

 

 

 

 

 

多分、ね。

 

 

若い頃のわたしは、40歳くらいまでのわたしは、

 

『わたしが好き』な仲良しさんや友だちだと思っている人に対して、『みんなわたしの味方』だと思っていたんだと思います。

 

 

だから、

『わたしは好きじゃない』と自覚している人のことは味方には思えなくて、

 

 

でも、本当に時々、

『わたしは好きじゃない』と自覚している人と意見が合ったりすると、「あれ?この人思っているほど悪い人じゃないのかも?」みたいに思い始めたりして、何となく味方になってくれたような意識に勝手になる。



 

 

 

 

 

ここだよ、ここ。

『意見が似ている、同じ』とか、『話が合う』とか。

 

 

 

 

 

自分一人だけの意見では、考えでは、心許無い時ほど、勝手にその人を自分の味方に作り上げる癖がわたしたちにはあるんだな。

 

ということを、改めて言葉にしてみたらものすごくしっくりきたぞ。笑

 

 




 

 

 

改めて考えてみると、

 

人は、相手に対して賛同できる内容とそうじゃない内容があって、相手の『全て』を賛同できるかどうかは、また別の話なんだよ。

 

 

 

 

しかし、

 

勝手にその人を自分の味方に作り上げる癖がわたしたちにはあるから、

 

Aの話は意見が合うけど、Bの意見は正反対の意見だったりすると、

「え?◯◯さん、私の味方じゃなかったの??」

ってなる。

 

で、

勝手に◯◯さんに嫌悪感を抱くようになり、敵対心に変わり、『嫌な人』『嫌いな人』『嘘つく人』の括りになる。

 

 

 

 

と分析してみたら、過去の自分、ひどっ。爆笑

 

 

勝手に誰かを味方にして、勝手に好きになって、勝手に疑って、勝手に嫌悪感抱いて、勝手に心のシャッター閉店ガラガラして………

 

 

 

 

 

 

 

 

うわわわわーーーーーーーー

 

 

 

 

 

ダサいわ、今までのわたし。

恥ずいわ。

ダサっ。

どんだけよ??

 

 

 

 

うおおおーーーーー良かったよお、良かったねえ、気付いてさあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パートナー=味方

という思い込みにも同時に気付いたよ。

 

パートナーとも意見の違いはある。あって当たり前。なくても変じゃないけど。

 

 

味方な時もあるし、そうじゃない時だってある。

いやいや、全部味方しろよ!って思うのも自由。笑

 

 

 

だから、

「パートナーに意見反対された。味方だと思っていたのにぃ」

は通じないということがわかる。

 

 

 

反対意見だから味方じゃない。

この方程式は成り立たない。それぞれ別の話で、くっつけて考える問題じゃない

 


 

《参考》

心の目盛り幅 
https://ameblo.jp/tsukiakari-hoshinohikari/entry-12292461895.html

 

 

 

 

 

 

って改めて考えてみると、

このところのわたしは、自分辞書に『味方』の文字が無くなりつつある言葉になっている気がした。

 

 

 

 

今までの自分辞書には、

味方

とデカデカと表示されていた。間違いなく。

味方をいつも探していたし、上に書いたような過去があったわけだから。

 

 

 

それが、

 

味方

味方

味方

味方

味方

味方

味方

味方

味方

味方

 

と、薄字になって、そのうち辞書からなくなるくらいまでの段階に進んでいたのかもしれない。

 

なぜなら、最近『味方』を求める自分がいないということに、これを書いていて気付いたから。

 


 

 

 


味方とか味方じゃないとか、そういうジャッジをしない自分になろうと、『わたしの味方はわたし』だと自分に言い聞かせ始めてから、7〜8年。

 

味方という文字が自分辞書から消えたであろう、今。

 

 

これで初めて、本当の味方を自覚したんだと思うよ。

 

 

 

 

 

こうして、脳みそを変えていくんだなあ。


自分がどういう世界を見たいのか、なんだなあ、本当にキラキラ