毎週末あちらこちらに出掛けるデートプランを考えてくれて連れ出してくれる人が「私を愛してくれている人」だと思っていたし、
例えば、
週に何回、月に何回、と
ラブラブちゅっちゅ(せっくすのこと、笑)の『回数』で「私をどのくらい愛してくれているか」を計ったり、
例えば、
自分の友だちに親に紹介してくれたら「私は彼に認められてるんだ、愛されているんだ」と不安が解消されたり、
振り返ると、
「愛されているという目に見える証拠」を求めていた時期があったと思う。
何か物をプレゼントしてもらったり、
どこかへ食事に連れて行ってもらったり、
そういうのも「愛されているという目に見える証拠になること」だと思っていた。
いろんな男性とお付き合いして、結婚離婚を経験して、不倫も経験して。
30過ぎても「愛する」「愛される」の捉え方が一向に変わらないことに、わたし、気付いたんだ。
いやーーーー、
気付いてよかった。
気付かなきゃ危なかった。
一緒に居る相手がどれだけ変わろうが、「愛されてない」を理由に、40歳50歳過ぎても若い頃と全く変わらない恋愛結婚をするところだった。
愛するほうが楽 とか
愛することのが慣れてるから とか
愛されるより愛したい とか
愛されるのは苦手 とか
そんなこと思ったり言ってた過去の自分を、心底恥じた。
愛される自信がないだけじゃん。
ダサっ、わたし。
ここを越えない限り、わたしが求めている『パートナーシップ』のスタートラインに立てないよなって本気で思った。
どうして、出会いがあっても長続きしないのか。
どうして、嫌われないように『イイ人』を演じてしまうのか。
そもそも、どうして『嫌われないようにしなくちゃ』と思うのか。
その前に、わたしは一体
どんな恋愛がしたいのか。
どんな再婚がしたいのか。
どんな未来を送りたいのか。
どんな生き方をしたいのか。
様々なことを振り返り見つめ直す作業が始まった。
当たり前だけど、自己内観は一人でなんてとてもできない。
今までの生き方が癖になっているわけだから、パターンについ呑まれてしまう。
それに、慣れるまでは誰かに支えてほしいなって思う。
だからこそ、
信頼できるセラピストさんやヒーラーさんにしっかりみっちりべったり依存しながら、癖を直すことに取り組んだ。
あ、ほら、
歩行訓練する時に理学療法士さん付いてくれるでしょ?
あんな感じで。
本気で死ぬ気で『自己内観とは?』に取り組んで5年が経った時、彼と出会った。
そこからは、毎日が実験。笑
今までの古いパターンがうっかりひょっこり顔出すから、
内観して表現して、また内観して表現して、またまた内観して表現して…
それをひたすら繰り返して繰り返して、時には古いパターンにやられたり(笑)、不安になりながらも、
もう昔の恋愛パターンは要らない
その軸だけはブレることなく、これから迎える彼と過ごす未来を楽しむために、今をしっかり感じで生きることをコツコツ続け、彼との時間は5年目を迎えた。
愛すること と愛されること の表現法っていうのかな。
愛することは得意だけど愛されることに苦手意識があるというか、
恥ずかしい?
照れくさい?
申し訳なさ?
疑い?
どこまでがどう本気なのか?
なんて、
愛されることに対して「相手は無理してるんじゃないか」なんて思い始めてみたりして。
ややこしい。笑
まだまだ、無意識で彼に変に気を使うわたしがいる。
そこに、わたし自身が気付くことができるか。
これからもその確認作業はずっと続く。
なぜなら、わたしは楽に楽しく生きる老後を過ごしたいから。
彼と仲良くいたいから、わたしをしっかり観るの。
愛って、地味です。
愛されるって、自分で自分を認めた瞬間無限に入ってくるエネルギー。
愛したいから愛されるし、愛されるから愛したいし、
愛することも愛されることも、自分で制限を設けてるだけ。
愛されるって、どんなかよくわからなかったけど、わたし、この正月でやっとわかったよ。←相変わらず気付くの遅い、笑
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