わたし、今44ちゃい。
 
 
もうすぐ40歳というあたりまで、
わたしは周りの人に嫌われないように嫌われないように生きてきた。
 
 
特に、彼に。旦那に。
 
 
 
 
 
なぜなら。

せっかくわたしのことを好きって言ってくれる人がいるのに、この人を逃したら誰もわたしを愛してくれないかもしれないんだよ?
 
って常に思っていたから。
 
 



だからね、
本当は苦手なことも嫌われたくないから頑張ってやるの。
 
 
 
 
やってみたら、
 
苦手だと思っていたことが割とすんなりできたり、思っていたほど嫌じゃなくなっていたりした出来るようになったことも多分あった。
 
多分、ね。
  
 
 
 


それなら良かったじゃん、
っつー話じゃなくてね。
 
 
 
 


根底にあるのは「嫌われないように頑張る」わけだから、その時点で素のわたしではないんだよね。
 
 
 
 
しかし、
当時はそこに気付いていなかったから、何をやっても狂う。
 
 
 




褒めてもらえない。貴方に嫌われないように一所懸命いろいろ頑張ってるのに)
 
わたしのほうが「好き」が大きい気がする。貴方に嫌われないように一所懸命好きを頑張ってるのに)
 
私ばっかり我慢してる気がする。貴方に嫌われないように一所懸命我慢してるのに)
 
他にイイ人が出来るってどういうこと?貴方に嫌われないように一所懸命頑張ってるのに)




   



これら。
 


これらをやめない限り、今までと変わらない異性関係で終わる。

再婚したいと思ってるのに。




 
 

 
じゃあ、これらをこれからも続けるのか…?
 
 
 
 
 
  
 
 
貴方に嫌われないように一所懸命頑張ってきて、わたしが納得できる異性関係が築けないのであれば、
 
その逆をやる。
 
 

 
それだけ。
 
 
 
  
 




 
それだけだけど、それってわたしにとっては超怖いこと。
 
だって、未経験の域だから。
 
 
 
 
それに、ほら、
 
せっかくわたしのことを好きって言ってくれる人がいるのに、この人を逃したら誰もわたしを愛してくれないかもしれないんだよ?
 
って思いもあるから。


 
 
 

 
 
で、ここで初めてチャレンジした。
「嫌われるくらいのわたしで生きる」ことを。
 
 
 


 
嫌われるようなことをわざわざするわけじゃないよ。
 
 
そうじゃないんだけど、
 
 

嫌われないようにするということは好かれようとしているわけだから、
好かれようとすることをやめることにしたの。
 
 

それは、同性に対してもね。
 
 
 

 
同性に出来ないことは、異性にも出来ない。
 
逆に、
同性に出来ることは、異性にも出来るから。
 
 
 
 
 

みんなに好かれようとしている自分を嫌うことにした。
 
 
ちゃんと嫌って、
何のために好かれようとしているのかを自分に認識させて、
それは本当に必要なことなのか、
 
自分といっぱい話す。
それをひたすら繰り返す。
 
 
 
 
 
それを徹底的にやったら。そしたら、
半年も経たずに今の彼に出会った。
周りの人間関係がガラリと変わった。 
 
同性にも異性にもチャレンジした証しが目に見える形で現れた。
 
 
 
 
 
 
本来の自分じゃない自分をどれだけ嫌うことができるのか。

どれだけ「それ、本当のわたしじゃないよね?」って偽物のわたしにダメ出しできるか。
 





これから先も彼と一緒に居たいから、
彼に嫌われてもいい覚悟でわたしを出していく。
 
ただそれだけ。
 
 
 
怖いけどね。
大好きな人と一緒に居たいから、出すの。
 
 
今までは「大好きな人と一緒に居たいから自分を出さないわたし」だったから。
  
 
  
 

 
今のやり方で上手くいかないのなら、違うやり方をやってみる。
わかりやすいのは、今の真逆をやる。

それで違ったら、次は左斜め後ろの案を採用すればいい。←左斜め後ろって、笑