わたしは愛されている。

だから、少しくらいイヤなコトもちょっとくらい我慢できる。









これ、心の勉強する前のわたしのことですが、なにか?爆笑








これが失敗だった。


っつーか、
この失敗があったからこそ、
妥協する生き方は辞めようと心から思えたので、
今になれば失敗ではないんですけどね。







愛されているコトは事実。


ただ、
その「愛されている」から引き起こす勘違いが怖いんだ。




愛されているから、ま、いいか。




妥協したり、
我慢したり、
耐えたり、
従ったり、
許せないと思っているコトを許した気になったり。






愛されていても、妥協や我慢や耐えは別よ。





愛されてることはわかった。



けれど、

はっきりさせたいこと
すっきりさせたいこと

あるならちゃんとさせようよ。


ということです。






一緒に居られる「好き」と、一緒に居られない「好き」。 |自分のことを好きになりたいあなたへ。-義足のセラピスト-
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愛してくれているなら、許す。



これ、交換条件のように聞こえる。




愛してくれなかったら許さない、ってコトになる。







骨の芯から許すことができて初めて、愛することができるの。


愛することができて初めて、愛されるようになるの。







苦しいしかない。
本当に苦しい。
苦しかった、わたしも。



けれど、
先ずは自分から、なの。

未来を変えるには、自分から変わるしかないの。






期待はね、血栓を作る。

血液の流れを滞らせたり止めてしまう。







愛されていることはわかった。




あなたは?

あなたは、あなた自身を愛してる?





心に不安虫が住み着いていても
泣き虫でも
後ろ向きになること多くても
他人のせいにしてしまう自分でも
自分のコトが大嫌いでも


それでもそれが自分で、
自分を自分で否定しない自分になる。






頭でわかっているんだよね。

頭ではね。







心のプログラムを替えること、


苦しいから辞めるのか。

苦しいけど続けるのか。





いつでも選ぶことができる、どちらでも。




妥協ではなく、胸を張って選んでね。