わたしは愛されている。
だから、少しくらいイヤなコトもちょっとくらい我慢できる。
これ、心の勉強する前のわたしのことですが、なにか?爆笑
これが失敗だった。
っつーか、
この失敗があったからこそ、
妥協する生き方は辞めようと心から思えたので、
今になれば失敗ではないんですけどね。
愛されているコトは事実。
ただ、
その「愛されている」から引き起こす勘違いが怖いんだ。
愛されているから、ま、いいか。
と
妥協したり、
我慢したり、
耐えたり、
従ったり、
許せないと思っているコトを許した気になったり。
愛されていても、妥協や我慢や耐えは別よ。
愛されてることはわかった。
けれど、
はっきりさせたいこと
すっきりさせたいこと
あるならちゃんとさせようよ。
ということです。
一緒に居られる「好き」と、一緒に居られない「好き」。 |自分のことを好きになりたいあなたへ。-義足のセラピスト-
/tsukiakari-hoshinohikari/entry-12135433064.html
/tsukiakari-hoshinohikari/entry-12135433064.html
愛してくれているなら、許す。
これ、交換条件のように聞こえる。
愛してくれなかったら許さない、ってコトになる。
骨の芯から許すことができて初めて、愛することができるの。
愛することができて初めて、愛されるようになるの。
苦しいしかない。
本当に苦しい。
苦しかった、わたしも。
けれど、
先ずは自分から、なの。
未来を変えるには、自分から変わるしかないの。
期待はね、血栓を作る。
血液の流れを滞らせたり止めてしまう。
愛されていることはわかった。
あなたは?
あなたは、あなた自身を愛してる?
心に不安虫が住み着いていても
泣き虫でも
後ろ向きになること多くても
他人のせいにしてしまう自分でも
自分のコトが大嫌いでも
それでもそれが自分で、
自分を自分で否定しない自分になる。
頭でわかっているんだよね。
頭ではね。
心のプログラムを替えること、
苦しいから辞めるのか。
苦しいけど続けるのか。
いつでも選ぶことができる、どちらでも。
妥協ではなく、胸を張って選んでね。