自分のために綴っています。
新しい人工関節と入れ換える?それとも、切断する?
7.http://ameblo.jp/tsukiakari-hoshinohikari/entry-12060897255.html
平年元年9月に病気が見つかり、翌年平成2年7月に全ての治療が終了した。
ただ、血液の状態が悪く、退院はまだ当分無理。
けれども、沼津に帰りたいよねという主治医他先生や看護師さんの配慮で、地元の病院に転院。
血液の状態が落ち着くまで1ヶ月程入院していた。
退院後も、1ヶ月毎の検診。
レントゲン・CT検査が一番怖かった。
もしだよ、
もし、何か写っていたら、また「あれら」が待ってるんだよ・・・??←「あれら」とは、この約1年間の話ね。
「何か写ってたらどうしよう・・・」
って、いつもいつもレントゲン・CTの検査は生きた心地がしなかった。
退院後5年は、、、、そんな感じだったな。
通院から1ヶ月と感覚が開き、
1ヶ月から2ヶ月、3ヶ月・・・半年・・・1年・・・になるまでは、本当に長く感じた。
5年も不安なんだよ。
・・・・仕方ないけど、よくない精神状態だよね。
血液の状態が戻ってからは、人工関節が入った足で歩くという訓練。
・・・リハビリも結構辛かったな・・・。
けどね、松葉杖なしで歩くことが目標だったから、やった、真面目に。
こうして思い返していると、子供だったからというのもあるかも。
たぶん、普段は考えてないというか。意識していないというか。
ほら、やることいっぱいあるのよ!
高校も毎日楽しいし
部活終わって、みんなで教室でお菓子食べるのも楽しくて←早く家に帰れよって?笑
ウゴウゴルーガが好きで毎日観なくちゃいけないし
光GENJIの曲も聴きたいし
東京ラブストーリーとか、高校教師とか、ドラマにハマっていたし←かなりのミーハー。笑
それにね、星になった戦友の分も、楽しく生きようって決めてるから。
んもうね、
毎日楽しいことに忙しくて、普段は病気のことなーーーーんにも考えてないの~~!!
高校はね、入院中に同級生と一緒に受験して、入学と同時に休学。
翌年、一つ年下のみんなと1年から一緒に始めたのね。
髪の毛、まだまだ短かったけれど、しっかりと生えてきて
もちろん、杖なしで歩けるようになって
学校の配慮で、3年間、1階の教室にしてもらえたり、
クラスのみんなも、
そして、先に2年になった同級生のみんなも、
いつも気にかけてくれて、本当によくしてもらったの。
んでね、んでね、
光GENJI貯金していたわたしは(小遣いとかお年玉とか一生懸命貯金していた)、
横浜アリーナの光GENJIコンサートに、ついに行けたのだ~~!!!
もう、嬉しすぎて声も出なくて、涙しか出なくて、鳥肌止まんないし(笑)、
光GENJIのみんなが本当にかっこよくて、
ああ、頑張ってよかった・・・!
って、心から思った時間だった。
それからも、光GENJI貯金はコツコツ続け、何度も横浜アリーナに通ったわよ
段々人気なくなってきちゃったけれど、 わたしはずっと応援してたのよ
わたしにとって、命の恩人なんだもん。
あ、この写真は、光とGENJIの映画。
実家にビデオがあるから、見る?
っつーか、ビデオテープだ。
VHS。