『このままじゃイヤだ』

 

『自分を変えなくちゃこの負のループからは抜け出せない』

 

『自分を変えるきっかけが欲しい』

 

 

そんな思いを抱いた人が心の世界の扉を叩き、様々な角度から観る心の世界を、様々な入り口から学ぶことを始めると思います。

 

わたしもその一人です。

 

 

 

 

新しい知識を得る度に、感動やワクワクやドキドキを味わったり、

 

『もっと早く知りたかった』という意味のがっかりのような、失望のような、脱力ともいうか、何とも表現し難い思いや体感覚を味わうこともあったり。

 

 

学びの世界の扉を開けてからは、変化したようなしていないような、それでも、苦しくて苦しくて何とかしたくてどうにかしたくて学びを始めたあの頃と今の自分を観察するとね、

 

 

ぐんと勢いがある時もあれば

 

後退しているように感じる時もあるし

 

『あ、、、数年前に聞いたあのことって、、、もしかしたらこういうことかも、、、、』という、いわゆる気付きの瞬間を味わう回数が増えてきたり

 

『あーまたやっちゃったー、せっかく勉強して頭ではわかってるのに行動に移さなかったー』って自分にがっかりすることもたくさんあるし

 

 

それでも、

それぞれがそれぞれの想いを胸に、そして、『こうなりたい』『ああなりたい』の理想を胸にひたすら学び続けていると思います。

 

 

 

  

『はっっ!!!』と閃く(気付く)瞬間は、何度経験しても良いくらい素敵な時間で、

 

心臓が口からこぼれ落ちるんじゃないかってくらいの大きな閃きや、

身体が積み木のように崩れ落ちるような感覚になるくらいの大きな大きな閃きや、

 

骨の芯から皮膚の正面に知りたかったことがジワジワと表れるよう答えの見つけ方もあれば、

 

たまたま落としたものを拾う時に答えも一緒に拾っていたりすることもあるし、

 

運の世界のように感じることも時にはあったけど、それも違った。

 

 

  

表現方法が違うだけで、伝えていることはみんな大体同じで、

どの表現方法が自分にはしっくりくるかを見つけるのが割と大変な作業でもあるんだけれど、

 

今回、わかった。

はっきりわかった。

こういうことなんだ、って。

こういうことなのか、って。

 

 

心のことを学び始め、目には見えないけれど在る世界のことも知り、学んだことをひたすら自分に落とし込むことを続けて10年以上が経ち、都度『わかった!』とか『あー!こういうことかーーー!!』とか、嬉しくて楽しくて次の気付きを楽しみにまた学びを繰り返してきて、

 

何十回何百回とそれを繰り返し、

 

やっと、やっとやっとやっと、『あ、ここなのかあ』という領域に辿り着くことが出来たことに気付いたのは、数日前。

 

 

もう、大丈夫な領域を知った。

一度補助なし自転車に乗れたら、しばらく乗らなくても乗り方を身体が覚えているのと同じで、もうわかったからもう戻ることはない。

 

この新たな領域で自分を実験するだけ。

もう、もう大丈夫。

 


この領域で生きたいと思っている人に伝えていくことをするために、この領域で更に進化(深化)するの。

 

 

 

 

頭の声

身体の感覚

そして現れる状態や症状

 

わかった。

やっとわかった。

もうわかった。

みんな、できる。

ただただリアルな世界だったよ。

 


数日前の朝霧高原から見た富士山。

夕空が綺麗な日でした。