7月2日土曜、また曇り空。
 旧豊郷小では、講堂でclammbonのライブが、観光案内所ではムギ(琴吹紬)の誕生会が開催されている日。
 こっちは豊郷行きは目的が写真撮影なので、天気の悪い日には行く必要なし(^ ^;)

 7日、豪雨。
 うわぁ……。

 ここまで天候に恵まれないと、手持ちのカットで何とかしなきゃなことも考えないと。
 たとえば、フォトスタンドに豊郷の写真を入れて、それを撮影する手も。
 結露した飲み物入りのグラスとか、撮影に使っているカメラとかを合わせて、簡易スタジオを使って、テーブルフォト(静物写真)として、作品にしてみるとかね。

 となると、窓際を演出してストロボ光は白いスクリーン越しに後ろからか。
 露出はオーバー気味の方が“らしい”かな。
 グラスの水滴にはキャッチライト(ポートレートで、人の瞳などに光を入れる技のこと)も要る?

 ━━って、アイデアとテクニックを見せるような趣旨の写真コンテストじゃないと思うけどね。
 本当、これは最後の手段だな(^ ^;)


 11日、やっと天気が良い日に。
 クルマのラゲッジには、フォールティングバイクのBD-1を積み込み、いざ撮影へ。

 観光案内所に寄ると、着ぐるみが陰干し中。
 とよさとのイメージキャラ、「よいとちゃん」だ。

 ……多分、帽子(傘)を外した様子を見られるのは、レアなケースなんだろうな。
 17日に町内で公式デビューとなる「ゆるキャラと夏まつり」があるので、そのスタンバイかと思われた。


 今日の空は雲が結構あって、白だけじゃなく、灰色の厚めなものも混じっている。
 空の色も水色が薄めかな。

 豊郷小の白い校舎に露出を合わせると、空の色が薄すぎて白っぽくなるし、空に合わせると、雲の灰色部分が目立ってしまう上に、校舎が暗く写る。
 こ、困った。露出が合わない(^ ^;)

 もうちょっと雲が少ないと良かったんだけど、こればっかりはね。
 晴れればいいってことでもないか。

 校舎内も撮って、更に自転車で町内を走り回って撮影対象を探すことに。
 ロードバイクのアレーの方が機動力は高いんだけど、BD-1にはキックスタンドがあるので、こういった使い方には向いている。
 カメラバッグの角度も立ち気味になるので、背負い易いしね。
 前傾姿勢の強いアレーでは、背中への負担が大きい。

 自分の地元に比べると、稲の生長が遅いな。
 天候の違いか。

 広角レンズで空を狙うが、雲が多過ぎる。

 小学校に戻ると、雲が減っている上に、太陽の角度が順光になって、空はいい感じの濃い目な色に変わっていた。
 やっと空と校舎の光と色が揃った。


 この日は全部で92ショット。
 何カット使えるかは微妙だけど、実験的に撮ったカットで面白いものもあり、作品候補に。


 さて、あとは15日がラストチャンス。
 天気は、ただもう祈るばかり。
 コンテスト応募作撮影期間中の最初の休みとなった6月12日は、雨だった(^ ^;)
 6月の雨ともなると、イメージ的に初夏というより梅雨なので、撮影には行かなかった。
 天気ばかりは、どうしようもないからね。

 次の休みは17日。
 雨こそ降らなかったが、空には雲が立ち込め、これもダメ。

 19日、また雨。
 季節的に天候が安定しないのは仕方ないか。


 26・27日と連休。
 26日の日曜日には、クルマ関係のオフ会に参戦していて、その翌日、自宅へは戻らずにそのまま豊郷へと向かった。

 曇り空。
 一応カメラを取り出して撮影にかかるものの、グレイの空に初夏らしさはなく、作品作りには不向きな日だと認識させられただけだった。

 ならば、次回の撮影用にと、何かヒントになるものをとあちこちを見て回ることに。

 何が初夏らしいんだろう?
 植物? 生物?

 豊郷らしい、豊郷にしかないものに、初夏限定なものを組み合わせるのが定石だろう。
 季節の花が一番分かりやすいかなと思うが、植物と空と何か建造物を同じ画面内に収めるのは、結構工夫が要る。
 何処に露出を合わせるのかも問題だな。
 空に合わせると他が露出不足になるし、その逆だと空の色が白っぽく飛んでしまうしね。
 PLフィルタを使って何とか?

 もっと分かりやすいのが水田か。
 稲の育ち具合は、まさに季節限定だ。
 豊郷は近江線とJR東海道新幹線が併走する町なので、水田に鉄道という手は使えるかもとか思うが、下手するとただの鉄道写真になりかねないという危険性も。

 星空に鉄道、手前の水田にスローシンクロフラッシュで長時間露出なんてのも考えたが、明日は5時出勤で3時起床と、長居が出来ないので却下だ。
夜まで待って晴れるとは限らないしね。


 次回の撮影は来月2日か。
 あとは7日、11日、15日が休み。
 4日間で撮影して、作品を作り上げる必要がある。

 天候を考えると、思ったよりもチャンスは少ないのかも知れないと思った。
 コンテストに応募出来る作品の撮影期間は、6月11日から7月18日までと決まっていた。
 その他の条件としては、デジカメ撮影作品は、デジタル処理不可だとか。

 これはちょっと悩んだ。
 というのも、デジタルカメラで撮影した画像は、まずレンズから入った光が、撮像素子表面に並んだ色の三原色なフィルタを通したフォトダイオード:光の量を感知するセンサを反応させ、それをカメラの画像エンジンで「デジタル処理」して作り上げる仕組みだからだ。
 デジタル処理を行っていないものは、ただの様々な色の光の量を示した数字データでしかないわけで~(^ ^;)

 そのファイル、RAWは、カメラメーカーの純正現像ソフト上では画像として見ることが出来るが、普通にPC上では開けないデータだったりする(一部、サムネイル表示だけは可能なように、カメラメーカーがOSメーカーにデータ処理情報を公開している場合もある)

 ま、まぁイベント開催する側もそういった専門的な知識は無いのではと思い、多分これは、普通の写真データ:jpegファイルを画像処理ソフト、例えばフォトショップとかで、エフェクトをかけたりすることをデジタル処理だと考えているんだろうと想像し、普段どおりにカメラで撮ってPCに移したRAWファイルを、PC上で現像というデジタル処理してjpegファイルにし、プリントしようと決定した(笑)

 RAWファイルだと、ホワイトバランスの調節や露出補正、色調や彩度、コントラストや諧調、ノイズ処理といった、本来カメラ側の画像エンジンが自動で行う処理のパラメータ値を、自分で決めることが可能になるので、デジイチを使い始めて直ぐに、自動的にカメラ側で現像処理することはしなくなっていたんだよね。

 カメラの操作より先に、現像処理に慣れてしまう自分って一体……。

 あ、上記のことを読んでもらうと、5円玉の穴サイズのレンズを通した光を0.5センチ四方程度の撮像素子に1000万とかな数のフォトダイオードを並べまくった作りな携帯電話のカメラが、まともな写真を取れない理由が分かってもらえるかと思う。
 せめて100円玉サイズのレンズで光を集めて、切手サイズの大きさな撮像素子を使わないとね。

 画質に拘ったデジイチが、大きなレンズと撮像素子を使う理由がこれだ。
 多量の光を大きなフォトダイオードで受けて初めて、豊かな表現が出来る。

 最近のコンデジが画質を落としている理由も同じ。
 レンズが小さいのに撮像素子の画素数を多くするばかりだと、少ない光を小さなフォトダイオードで受けて強く増幅する羽目になり、余計なノイズばかりが増えてしまう。

 画質こそが一番のデジイチは、その信号の増幅に余計なノイズが乗らないようになるまでは、決して画素数を増やしたりしない。
 デジイチを作る方がわかってるんだよね、写真画質というものを。
 当然、買うユーザーも。

 で、そのことを知らない人たちは、画素数が大きいほどいいとの誤解があり、メーカーもそういったターゲットに向けて製品を作るから、より画素数が大きく、画質はそれなりなコンパクトデジカメを開発量産することになる。

 でも、写真データを見るディスプレイが大画面化してくると、画質の悪さが次第に目に付いてくるわけで。

 スマートフォンが携帯カメラの半分ほどの500万画素まで画素数を落としたカメラを搭載してきているのは、そういった理由なんだと思う。


 あああ、写真コンテストの話が進まない(^ ^;)
 まだまだ続くっ。
 さあ、久々の更新は、またまたネタが変わって、今度は写真だ(^ ^;)

 高校生の頃、例の自転車で通学していた時ね、丸3年間、写真部に在籍していた。

 中学3年の終わりに買ってもらった、コンパクトな一眼レフカメラ、「ペンタックス MEsuper+標準レンズのペンタックスSMC 50mmF2.0」は、高1高2の夏のアルバイトで稼いだお金で追加された単焦点望遠レンズのSMC135mmF3.5とタムロン製テレコンバータ、ワインダー(自動巻き上げ+連写機能)、デート記録装置(撮影年月日や時間を写真に写し込む)、ナショナル製のクリップオン(外部)ストロボが追加されて、父から譲り受けた三脚と、300mmの望遠レンズ(M42マウントという、ねじ込み式だったが、これにKマウント用アダプタを付けてMEsuperに対応)、もプラスして、恐らく、80年代の高校生にしては、かなりの装備を誇っていたのではと思う。

 それでも、部員たち全員が一眼レフユーザーだった。
 キヤノンとニコンが圧倒的に多く、ペンタックスは自分だけだったような(笑)


 大昔のことなので、記憶は結構あいまいだが、少ない小遣いからフィルム代を捻出し、自前でフィルム現像して、部室内の暗室でプリントしていたっけ。
 自己現像&プリントといえば、まだモノクロがメインで、カラーは現像液の温度管理がモノクロよりもシビアな上、ケミカルそのものの値段が更に高価で、とても手が出せない状態だった。

 何しろ、ショップに依頼するカラー同時プリントの写真1枚分が40円とかした頃だから。
 高校卒業してからケミカル類の革命があって、一気に値下がりしたんだよなぁ。

 1枚撮るだけでも、思いっ切り集中してシャッターに触れてたっけ。
 今のミスショットは速消すみたいなことは、出来ないわけだし、何しろまともに財布に響くわけだからね。

 高3の頃にオートフォーカスの一眼レフが登場し、何故か体操部の友人がそれをゲット(^ ^;)
 レンズ下部にモーターが内蔵されていて、重く不恰好だった印象がある。

 自分のは絞り優先機能:レンズの絞り環を回すと、自動でシャッター速度が変化する、があるだけで、あとはマニュアルで操作するしかなかったけど、当時は何とも思わなかったっけ。


 そういや、’86年の専門学校時代にはもう、写真を撮った記憶がない。

 社会人になって写真を取り始めたのは、もう20世紀も終わろうかという’99年の時で、今はデジカメ事業から撤退した東芝のコンパクトデジカメを買ってからだった。
 その前年の’98年にPCを使うようになって、その延長といった感じだった。

 自転車ほどではないけど、こっちも随分ブランクがあったわけだ。

 このカメラは初期から不調で、一度中身を保障修理で総取替えして、更にその後でも不調だった。
 2001年に2台目のコンデジ・同じ東芝製を購入、これもあまり調子が良くなく、1代目と併用が多かったが、再修理で調子が良くなった1台目のバッテリーに寿命が訪れ、2台目も2005年にはレンズが繰り出さなくなるというメカニカルトラブルが起きてしまい、急遽3台目のオリンパス製コンデジを購入。

 もうその時には、東芝はデジタルカメラ事業からは撤退していたというのと、オリンパス製デジカメに防水機能があり、自転車に乗って使うにはもってこいだったというのも大きかった。

 その頃デジタル一眼レフカメラは登場していたけど、まだまだ値段が高く、興味はあるけど手が出せなかったな。 

 コンデジでの撮影は、メモ帳代わりに近いもので、かつてアナログの一眼レフで撮っていた頃とは感覚が違い、身構えることはなかった。

 2009年の12月、オリンパスからのメールで、デジタル福袋の限定個数でデジイチが売られることを知り、それが少々旧いモデル(2007年製)とはいえ、レンズ2本付きで、ボディジャケット&レンズケースも一緒、ちょっとしたメンテナンスグッズも入っていて、それで税込み送料なしの4万円と、充分手が出せる値段で。

 買ってしまったんだよなぁ。

 あの頃の感覚が一気に蘇った。
 写真がデジタルになって、もう真剣に風景を切り取ることに集中することはないんじゃないかと思っていたけど、それは違った。

 それからは転がるように(^ ^;)
 何分元々は一眼レフ使い、自分が写真を撮るのに必要なものが何かとかは分かり切っていて。

 付いていたレンズは14-42mmF3.5-5.6の標準ズームと、40-150mmF4.0-5.6の望遠ズームレンズ。
 イメージセンサ:撮像素子のサイズの都合、旧来の35mmフィルムカメラに換算すると、それぞれ28-84mmと、80-300mmという焦点距離のレンズということになる。

 追加したのは、70-300mmF4.0-5.6(換算140-600mm)の超望遠レンズ、純正フラッシュ、昔欲しくても買えなかった広角レンズな9-18mmF4.0-5.6(18-36mm)、更に2009年製のデジイチボディを中古で、接写リング、35mmF3.5(70mm)中望遠マクロレンズに、25mmF2.8(50mm)標準レンズと、一気にボディ2台、レンズ6本というシステムに膨れ上がった。
 3脚も新しいのを追加し、テーブルフォト(静物撮影)用に簡易スタジオまで揃える始末。

 撮影データをPC上で現像するソフトも、カメラボディに添付されている一般用だけではなく、プロ用の有料ソフトをゲットした。

 まさに始末に終えない状態(笑)
 貯金が一気に無くなったっけ(>_<)

 ショップに現像を依頼して、上がってきたプリントを見(て後悔す)る、もしくは自分でモノクロプリントを現像して以下略するのが昔だったが、今はPC上で処理する時代。

 ……今使っているPCでは、処理速度が足りない(^ ^;)
 複数現像に、こんなに時間がかかっては~。
 それはまぁ、今後の課題か。

 そして、腕の足りなさやイマドキのカメラの機能を使いこなすノウハウの無さ、センスの不足っぷりを、今更ながらにまざまざと思い知るわけで。

 それでも、「この写真ってどう?」と、誰かに見てもらいたくなることもあり。
 滋賀県犬上郡豊郷町で、夏に写真コンテストが行われるという情報が。

 「やってみようかな」

 高校時代でもなかった、写真イベントへの参戦だった。

 無論、小さなイベントとはいえ、自分に入賞する力はないだろうなというのは自覚していたが、他の人の作品と見比べるのもいい経験になるかなと。
 そして、やるからには納得したもの(に近い)作品を出したいなと思った。
 13ヶ月も放置(^ ^;)
 ま、まぁ、メインはちゃんと更新しているってことで。
 今年初の連休で時間が浮き、ちょっと更新しようかな~と。


 自動車に乗るようになって自転車から離れ、幾年月。
 次第に燃費に拘るようになり、出先で駐車場を探してうろうろしたり、細かい移動をする効率の悪さを嘆くようになって、ふと思い付いたのは、自転車をクルマに積んで、出先でそれを使うこと。
 当然、あまり積載空間を取らないフォールディングバイク(折り畳み自転車)が、購入対象になった。

 2004年、ン十年振りかに自分の自転車になったのは、青いアルミフレームを横折りにする、英国自転車ブランドの名前が付いた20インチ車だった。
 設計は日本の大手自転車メーカーで、生産は中国工場のものだったけどね。

 今はもう、それを販売していた会社は解散して、その自転車・ジャガースポーツ ナイトボーイXは、レア車になってしまったけど。
 その頃、それを盗難されたっていう情報が、結構ネットに上がってたっけ。

 リア7速のギヤを搭載し、比較的ローギヤな比率だったおかげで、高速巡航は不得手なものの、坂道でそうは困らないもので、それなりに重宝したのだが、根っからの凝り性が災いし、もっと軽くてコンパクトなものを求めてしまうことに。

 次に買ったのは、ドイツで設計され、自転車大国な台湾で生産された、r&mのBD-1スタンダード 2005年モデルだった。
 購入直後に改造、シマノから出ていた小径車用のコンポーネント(ブレーキやギヤ等の部品群)に組み替え、車載されることに。

 しかし、18インチタイヤなことが災いし、出だしや加速は軽さと低慣性モーメントのおかげで鋭かったものの、やはり高速巡航性能が不足。
 自転車そのものの知識が増えたこともあり、もう1台、本気乗りするための本格的に走る車体が欲しくなってきた。


 そして候補に挙がったのは、かつて乗っていたドロップハンドルのスポーツ車。

 高校時代に乗っていたモデルは、ランドナーやスポルティーフといった、いわば遠乗り用のものだったけど、今の時代ではもうそういうジャンルはほぼ絶滅し、スポーツ車でドロップハンドルといえば、もう純ロードレーサー(レース用)か、楽しんで乗るためのファンライド用ロードバイクくらいしかなくなっていた。

 年齢的にも体力的にも、ファンライド用が良かろうと、ある程度知識を付け、かつてBD-1を購入したショップに行き、店内に置かれた車体を見て回っていると、1台、目に付いたフレームが。

 フレームのあちこちに透明な樹脂が埋め込まれ、他のモデルとは明らかに感じが違うそれは、販売元のダイワが正規輸入から撤退するとかでお値打ち価格が付けられていて、充分購入出来る値段で。

 店主に色々聞いてみると、在庫の1つだけ置かれたそのフレームのサイズは、自身の体に丁度合っているという偶然もあって。

 約2週間後、組み付けられていなかったコンポもちゃんと組まれ、完成車になってそれは、自分の手元にやってきた。

 スペシャライズド アレーPRO 2007年モデル。(>_<)$夢街道 束のブログ『STUDIO・STAMPEDE出張版』



 あとで分かったことだが、これって、ファンライド用じゃなく、レース用だったりして(^ ^;)
 何やら名スプリンターが乗ってて、世界選手権や大レースで勝利を量産していたモデルの直系らしい。
 時代を経て、レース車の素材がアルミからカーボンに替わることになり、アルミモデルのかつてのワークス車が、名前を換え、一部アマチュア用に仕様変更して普及価格になったのが、自分の元にやってきたモデルとか。

 昔軽々と上っていた坂道を何とか上がり切り、そこからペダルを一切漕がずに惰性で降りてみたら、取り付けたメーターの数字は軽く50km/hを超えた。
 車体は一切暴れることもなく、そんな速度でも完全に安定していて、欲しかった高速巡航性能は必要以上に持っていることを確認。

 同時に、エンジンな自分の体の衰えを、思う存分味わうことに。

 そして、沼に嵌っていくのであったとさ
 放置長っ(笑)

 とはいえ、ちゃんと本家(?)はマメに更新しているので~(>_<)

 中学が自転車通学になるということで、新しく通学用の自転車を買ってもらうことになった。
 確か新聞広告にあった中で、隣町の自転車屋さんのものを選んだんだと。

 父に連れられていって買ったのは、富士自転車という、今ではアメリカンブランドになってしまったメーカーの、24インチホイールを付けた子供向けスポーツ車だった。

 当時は丁度フラッシャー付きのモデルが終焉を向かえ、スーパーカーブームもあって、左右2灯式のリトラクタブルライトや、油圧ブレーキ(ドラムかディスク式)、メーター付きコンソールや、インデックス式変速といったメカが搭載されていた時代。

 ああ、トシがばれるな(笑)

 買ってもらったモデルは、油圧のブレーキは付いていなかったけど(それでも、ブレーキに付いたステーがシートステーに押し付けられることでブレーキシューが強くリムに当たる、パワータイトブレーキという名前のシステムが搭載)、収納時はイエローのレンズを通してフォグに、せり上がるとホワイトになるリトラクタブライトが付き、リアではなくフロントにフリーがあって、クランクを止めても前後のギヤが回り続けるので変速が可能なFF(フロントフリー)だったり、メインチューブ上にある、自動車のATセレクトレバーを思わせる大型のシフトレバーがインデックス式だったりと、当時のトレンドは抑えた製品になっているものだった。

 リトラ機能は、3年持たずに早々と壊れ、普通の固定ライトになってしまったっけ。
 多分、シール材の劣化で雨が浸水したんだろうね。

 リアキャリア横に付く折りたたみ式のカゴ(学生鞄が丁度納まる)のも、もう今は無いものかもだね。
 これにバレンタインのチョコが入っていたりしたっけ━━<遠い目。

 

 3年間、通学と遊びに走り回ったこの自転車も、自分の体が大きくなり、段々合わなくなるように。

 ちょっと距離がある高校に入学が決まり、最初は電車とバスを乗り継ぐ通学だったのだが、1時間以上かかるその通学に早々と嫌気が差したのは、まだ入学1ヶ月も経ってない頃。

 自転車で行けない距離でもなかろうと、近所の大型スーパーの2階にあった自転車売り場で、青いダイヤモンド型フレームの通学用自転車、確か29800円だったっけ、それを買い、GW明けくらいから、自転車通学が始まった。

 これも当時のトレンド、男性用通勤通学といえば、ドロップハンドルのスポーツ車という頃、いわゆるロードマン世代というものだった。
 フロント2速、リア6速のダブルレバー・フリクション式変速というタイプだ。

 初めは約10kmの上りが多い道を40分ちょっとかかっていた(それでも公的交通機関を使うより早いし、写真部と図書委員の活動が一気にし易くなった)のが、アシが鍛えられたのか、やがて30分を切るまでになっていった。

 最短では25分! ちょっと寝坊して、ぶっ飛ばしたんだっけ(^_^;)
 今チャレンジしても、40分を切るのが難しい……。

 そんなアシになったせいか、高2の頃に後ろのギヤを踏み壊してしまったりして、6速のものが手に入らず、リア5速のものに交換する羽目になってしまったっけ。

 タイヤも年に1回は交換していたな~。
 何度かパンクして、2時間以上かけて歩いて帰ったことも良い思い出かもね(^_^;)

 鈴鹿山脈の麓というか、ほとんど山の中までツーリングにも行ったっけ。
 あの登りを友人と談笑しながら登ったのかと。
 今じゃとてもっ(>_<)

 高校を卒業して専門学校に進み、同時に自動車の運転免許を得、祖母に頭金を出してもらってクルマを買い、ここから自転車から離れることになる━━。


 青いフレームの自転車は乗り手を失い、タイヤはひび割れ、ギヤはさび付いてガレージの隅に追いやられ、いつしかその姿を見なくなってしまった。

 写真に残っている最初の1台目は、まだ補助輪の付いた子供用自転車だ。

 サイクロン号風なカウルが付いていたりする(^ ^;)

 つまり、それくらい昔。


 もう全然覚えてないけど、多分これが最初の「公道を走行出来る自転車」なんだろう。

 つまり、公道デビューな車体だね。


 で、唯一のこれの記憶が、この自転車との最後だったりする。

 近所に高校があるんだけど、そこの校庭にこの自転車で遊びに行って、そのまま徒歩で家に戻ってきてしまい、その後取りに行ったらなくなっていた、といいうもの。


 特にショックを受けた覚えはないけど、実際に当時はどうだったんだろうね?

 無くしたことだけは覚えているので、やっぱりショックだったのかも知れない。


 当時は学校というものは、小学校だけではんく、中学や高校ですら子供の遊び場で、放課後や休日はそこで遊びまわっていたものだ。

 高校の敷地内で、小学生が自転車の競争とかしているのが、普通だった時代。

 子供の母親たちが、遊んでいる子供を迎えに来たついでに、校庭で井戸端会議をしていたっけ。

 今じゃ考えられないね。



 2代目は、父が何処からか貰ってきた中古の自転車だった。

 これは写真も何も残ってないけど、私の体にその思い出の欠片が刻まれている。


 小学校5年生の時、6kmほど離れた青少年公園で遊んだ帰り、結構長い坂道があるんだけど、というか、はっきり道を言ってしまうと、鈴鹿サーキットからR23に向かうサーキット道路の下り坂なんだけど(^ ^;)、ここで全力全開走行をして、落車してしまったんだよね。

 左膝に結構酷く擦り傷を作ってしまい、それが●十数年経った今でも薄い傷跡として残っている。


 速度を上げていったら、車体が次第に左右にぶれ始めて、最後は制御不能になったというのが落車の理由。

 多分、ホイールがちゃんと円になっていない状態、左右に振れが出ていたんだと思う。

 当時はフレームもヤワだったんで、車体の暴れが更に酷く出てしまったんだろう。

 第一、正体不明の中古車だったもんな~。



 次回、中学~高校編に続く。

 これが初の記事っ(笑)


 さて、去る9月17日にネット放送された『東洋☆旋風 』、これにチャット参戦したわけなんだけど。


 パーソナリティは大久保ちかさん 、ゲストは片岡あづささん


 仕事が19時半まで、更に帰宅するのに35kmをクルマで1時間かかり、家に戻ったのは20時半。

 夕食を取ってPCを立ち上げ、ネットに繋いだのは21時過ぎ、そして東洋☆旋風の放送があることを思い出して、そこにたどり着いたのは、━━さて、どれくらいになってたんだっけ?(^ ^;)


 もう始まっていたのは間違いない。

 番組は22時からの開始だったから、そう遅れてはないと思う。


 「あづ子クイズ」が始まったので、軽い気持ちで参戦。

 実は他の窓で、ブログやメールのチェックを同時進行していた(^ ^;)

 クイズが出る度に東洋☆旋風の表示を前に出してね。


 ……気が付くと勝ち残り!

 放送とチャット窓でお祝いの言葉を頂いたっけ。



 そんなこともあったな~とかな気分になっていた今日、仕事を終えて自宅に戻るとメール便が届いてた。

 東洋☆旋風の大久保ちかさんからだ。

 あれが来たのか!


 まずは開封。


夢街道 束のブログ『STUDIO・STAMPEDE出張版』-中身

 中身は、賞品と、あづ子さんからのホワイトなメッセージカード、ちかさんのブラウンなメッセージカード。

 あづ子さんの日記 によると、大仏やら寿司らやのカードを選びかけたらしいのだが(^ ^;)



夢街道 束のブログ『STUDIO・STAMPEDE出張版』-ヤンデレメッセージカード

 ……うん、ちょっと怖いかも(^ ^;)

 ヤンデレというわけね(>_<)


 ちかさんのは、ピンクのウサギがカードに貼られている、可愛らしいものだった。


 んで、賞品はというと。

 触った感じ、本っぽいな。



夢街道 束のブログ『STUDIO・STAMPEDE出張版』-ちょっと嘘

 おおっ、これか~!


 って、嘘ついてみた(笑)

 これじゃ、本の方がラッピングのサイズよりも大きいってばよ。

 これは手近にあったものをテキトーに使っただけね。


 突っ込みOKだから、うん!(笑)


 しかし、私の趣味が良く分かる写真だこと(^ ^;)

 本当にこれ を選んでくるなら、それはきっとちかさんの方なんだろうなと<をい。



夢街道 束のブログ『STUDIO・STAMPEDE出張版』-これが本当

 実際に入ってたのは、これ。

 安達哲氏の本は、かつて「ホワイトアルバム」「キラキラ!」「さくらの唄」「お天気お姉さん」の単行本を読んでいたので、この作品が初めてというわけじゃない。


 コアな部分、ちょっと趣味が被ってるかもだよあづ子さん(笑)


 これ、「ご兄弟物語 」というタイトルで、この10月からアニメ化されているね。


 ……ゲストキャラとして出るとか?(^ ^;)

 まぁ単に、おススメということなんだろうと予想!


 広いおでこだなぁ(笑)



 ということで、送ってくださった大久保ちかさん、プレゼントを選んでくださった片岡あづささん、ありがとでした!

 色々とネタにさせてもらいます(笑)<をいをい。