これから自殺するM氏へ。
仮に数年前へ戻れるのなら私はあなたに強くこう言うだろう。
『ヴィッパーサナ行ってからでも遅くないですよ』『とりあえず行ってから決めましょうよ』と。
もちろん人生に『もしも』はないし、実際にそのとき私が経験していたとしてもM氏へ告げることなどできるような間柄でもなかっただろう。
けれど、10日間に及ぶ瞑想のコース、その山場では強く、切にそう思った。
理由は簡単だ。決断するまでの時間の猶予。そして、心を、現実を見つめ直すことができる明晰さを得ることができるから。そして、執着する心が弱くなるから。
熟考の果てにすら自殺という選択肢があるかもしれない。
けれど、今よりもほんの少し明晰で平静であるということは、自殺への一歩を強く引き止めるものになるだろう。
本で読んだり、カウンセリングを受けたり、薬を飲んだりすることも効果的だろう。けれど、そこには体験が伴わない。
ただ、外的な要因で心を操作しようとするだけだ。
この瞑想は違う。
ただひたすら観察し続ける。
どんな痛みにも平静であり続ける。
感覚を研ぎ澄ませ、皮膚の上で起こるすべてを感じようとする。
そこに『移り変わり』の体験がある。執着をなくした世界がある。
座り続けた先に何を感じるかは各々違う感想を抱くのは当然だが、そこに何らかの気付きがあることは間違いないだろう。
誰にも悩みを言えず、悶々とし、苦しさを繰り返し、消えてなくなってしまいたくなる夜にいらつき、膨れ上がった思いに押しつぶされ絡みつかれ、絶望し、耐え切れなくなり、自暴自棄になり発作的にその命を絶つ選択をするのなら、あと10日間(正確には申し込み日からの1,2ヶ月間)だけ自分に猶予を与えてあげてほしい。
今となっては自殺してしまったM氏にこの言葉は届かないけれど、こうして記せば誰かに届くかもしれない。
これから自殺しようとしているあなたへ。
本当にあなたが選ぶ道はそこにしかないのだろうか?
見ず知らずの他人が口を挟むことではないし、絶望的な状況は変わらないかもしれないけれど、どうせ捨ててしまおうとしているその命をあと少しだけつなぎとめ、その後に決断してもいいのではないだろうか。
その他感想は後日