今年は初日の出を見ようと大晦日は何時もより早めに床につきました。
と言っても、そうぐっすり眠れもしないので、3時位には目が覚めてしまい、
そのまま、読了したのが、この蛍の森です。
結果、布団の中で号泣する事に。
それが一年のスタートとして、良いのか悪いのかは置いといて、かなり衝撃的な変化がありました。
私には生理的に苦手なものというのがあり、何か、虫とか穴とかが密集しているものがどうしても克服出来ないものの一つです。
調子の悪い時ではトウモロコシでさえ凝視出来なくなります。
一時期話題になったツリーマンも苦手です。
そして、ハンセン病もその一つです。
知識として伝染しないと分かっていてもいざ目の前にしたら、言い知れぬ嫌悪感を抱くだろうと想像し、また、それを隠すことも出来ない自分を許容していました。
しかし、読み終えてからは殆どハンセン病の症状に対して嫌悪感を抱かなくなりました。
そもそも自分の考えていたハンセン病は実際も病状とは違っていたし、自分の生理的な拒絶感などその病気というだけで強いられた過酷な運命を前にしてしまえばなんとも矮小なものでしかありませんでした。
もちろん、実際私はハンセン病の方々と直にお会いした事がないので実際その場でどんな表情をするのかは想像できませんが・・・。
さて、
物語は現代の殺人事件とその発端となった過去の出来事と交互に語られます。その過去の出来事はハンセン病患者の歴史でもあります。病気である事で苛烈な運命を強いられた人々の物語です。
冒頭から人間の目を逸らしたくなるような残虐性を目の当たりにします。
ここで興味深かったのは読み手である自分自身の心持ちで、
こんな暴力的で差別的な発想は正しい知識を持ち得なかった遥か遠い昔だろうと、
時代が語られるまでは江戸時代などの文明開化以前だと思っていました。
もしかしたら、章の題命に書かれていたかもしれませんが・・・。
程なくして、それが数十年前の話だとわかります。
そこで、思い直します。
いつの時代も人は残酷だ、と。
極端な話、差別とは、
数十年後、ゴキブリが実は第3の性別だったとした時、過去を振り返る様なものではないかと思います。
今、ほとんどの人間がゴキブリは昆虫であると信じている。
そして、その挙動が恐怖を与え、人は罠を仕掛け、薬を散布し、そして、逃がさぬよう叩き潰す。
しかし、ゴキブリが人間と同種であり、男でも女でもないもう一つの性のあり方と再定義されたとき、上記のようなゴキブリへの対処法は差別であり、リンチであり、当然ながら人としてみていなかったということになります。
ほとんどの人が反省することでしょう。
知らなかった、仕方なかった。そう皆が皆慰めあうことでしょう。
そうして、より一層人間は残酷な存在になるのだと思います。
今でこそ、ハンセン病者に対する苛烈な差別はなくなったのかもしれません。
しかし、当時は国が隔離政策を立ち上げ、国民はそれに従い、拒絶反応を示すようになり、恐れは広く伝播して行く。
そして、恐れは人を残酷にします。
これは勝手な私の考えですが、
こういった状況の事、恐れに取り付かれてしまった状況を考える時、ポルポトを思い描きます。
彼がどうしてあれ程まで無茶苦茶な虐殺を行ったのか?
やり始めたら止まらなくなった。
止まらなくなったら止めてくれる人がいなくなった。
だから、やり続けた。
自分より優れている人間が怖い。
今後自分より優れてくるであろう子供が怖い。
だから、殺さなきゃ。
想像でしか有りませんが、
背筋が冷たくなるような思考です。
ただ、多かれ少なかれ大きかれ小さかれ誰にでもある思考だと思います。
恐怖に取り付かれ、それ以外見えなくなって、その恐怖の対象を忌み嫌い、排除しようとしてしまう。
実際に数十年前の日本のある地域では起こっていた事なのだと思うといたたまれない気持ちになります。
きっと、その時代に私が生きていたら、きっとハンセン病者を嫌っていたに違いありません。
足蹴にし、この物語で出てくるようにひどいことをしていたかもしれません。
そう思うと一概に差別してきた人間たちを一方的に責める気持ちにもなれず、かといって、ハンセン病者の耐え難い境遇には憤りを感じ、そして、表に出てくる人が本当に苦しめられた人では無いのかも知れない。本当に過酷な運命を強いられた人は表に出てくることなど出来ないのかもしれない。
この物語を読んでいるとあらゆる方向からレンガで頭を殴られたような衝撃を受けます。
人ってなんだろう?
差別ってなんだろう?
蹂躙ってどうしてするんだろう?
どうしてそんな残酷な事するんだろう?
テレビの向こうで被害者面していた人は実はうまく立ち回っていただけなのかも…。
全員が被害者ではないのか…でも、だからって…。
この著者の凄いところは、
文章で人を殴る術を知っているということでしょう。
それも、ノンフィクションで。
殴られた後は放心します。
そして、殴られた意味を考えます。
でも、分からないし解決のしようもなかったりします。
ただ、そういう世界も、事実もあるよね。と割り切る事が出来なくなります。
面倒臭い話ですが、
書き手には書き手の責任があり、
読み手には読み手の責任があります。
読んだからには考えなくてはならない。
と言ってもそんな強制されなくとも、
自分の知らない世界を知れば知ったことに対して思考し、行動するのは人の性でしょう。
新たな問題提起してくれる大変良い本でした。
蛍の森/新潮社

¥1,785
Amazon.co.jp
と言っても、そうぐっすり眠れもしないので、3時位には目が覚めてしまい、
そのまま、読了したのが、この蛍の森です。
結果、布団の中で号泣する事に。
それが一年のスタートとして、良いのか悪いのかは置いといて、かなり衝撃的な変化がありました。
私には生理的に苦手なものというのがあり、何か、虫とか穴とかが密集しているものがどうしても克服出来ないものの一つです。
調子の悪い時ではトウモロコシでさえ凝視出来なくなります。
一時期話題になったツリーマンも苦手です。
そして、ハンセン病もその一つです。
知識として伝染しないと分かっていてもいざ目の前にしたら、言い知れぬ嫌悪感を抱くだろうと想像し、また、それを隠すことも出来ない自分を許容していました。
しかし、読み終えてからは殆どハンセン病の症状に対して嫌悪感を抱かなくなりました。
そもそも自分の考えていたハンセン病は実際も病状とは違っていたし、自分の生理的な拒絶感などその病気というだけで強いられた過酷な運命を前にしてしまえばなんとも矮小なものでしかありませんでした。
もちろん、実際私はハンセン病の方々と直にお会いした事がないので実際その場でどんな表情をするのかは想像できませんが・・・。
さて、
物語は現代の殺人事件とその発端となった過去の出来事と交互に語られます。その過去の出来事はハンセン病患者の歴史でもあります。病気である事で苛烈な運命を強いられた人々の物語です。
冒頭から人間の目を逸らしたくなるような残虐性を目の当たりにします。
ここで興味深かったのは読み手である自分自身の心持ちで、
こんな暴力的で差別的な発想は正しい知識を持ち得なかった遥か遠い昔だろうと、
時代が語られるまでは江戸時代などの文明開化以前だと思っていました。
もしかしたら、章の題命に書かれていたかもしれませんが・・・。
程なくして、それが数十年前の話だとわかります。
そこで、思い直します。
いつの時代も人は残酷だ、と。
極端な話、差別とは、
数十年後、ゴキブリが実は第3の性別だったとした時、過去を振り返る様なものではないかと思います。
今、ほとんどの人間がゴキブリは昆虫であると信じている。
そして、その挙動が恐怖を与え、人は罠を仕掛け、薬を散布し、そして、逃がさぬよう叩き潰す。
しかし、ゴキブリが人間と同種であり、男でも女でもないもう一つの性のあり方と再定義されたとき、上記のようなゴキブリへの対処法は差別であり、リンチであり、当然ながら人としてみていなかったということになります。
ほとんどの人が反省することでしょう。
知らなかった、仕方なかった。そう皆が皆慰めあうことでしょう。
そうして、より一層人間は残酷な存在になるのだと思います。
今でこそ、ハンセン病者に対する苛烈な差別はなくなったのかもしれません。
しかし、当時は国が隔離政策を立ち上げ、国民はそれに従い、拒絶反応を示すようになり、恐れは広く伝播して行く。
そして、恐れは人を残酷にします。
これは勝手な私の考えですが、
こういった状況の事、恐れに取り付かれてしまった状況を考える時、ポルポトを思い描きます。
彼がどうしてあれ程まで無茶苦茶な虐殺を行ったのか?
やり始めたら止まらなくなった。
止まらなくなったら止めてくれる人がいなくなった。
だから、やり続けた。
自分より優れている人間が怖い。
今後自分より優れてくるであろう子供が怖い。
だから、殺さなきゃ。
想像でしか有りませんが、
背筋が冷たくなるような思考です。
ただ、多かれ少なかれ大きかれ小さかれ誰にでもある思考だと思います。
恐怖に取り付かれ、それ以外見えなくなって、その恐怖の対象を忌み嫌い、排除しようとしてしまう。
実際に数十年前の日本のある地域では起こっていた事なのだと思うといたたまれない気持ちになります。
きっと、その時代に私が生きていたら、きっとハンセン病者を嫌っていたに違いありません。
足蹴にし、この物語で出てくるようにひどいことをしていたかもしれません。
そう思うと一概に差別してきた人間たちを一方的に責める気持ちにもなれず、かといって、ハンセン病者の耐え難い境遇には憤りを感じ、そして、表に出てくる人が本当に苦しめられた人では無いのかも知れない。本当に過酷な運命を強いられた人は表に出てくることなど出来ないのかもしれない。
この物語を読んでいるとあらゆる方向からレンガで頭を殴られたような衝撃を受けます。
人ってなんだろう?
差別ってなんだろう?
蹂躙ってどうしてするんだろう?
どうしてそんな残酷な事するんだろう?
テレビの向こうで被害者面していた人は実はうまく立ち回っていただけなのかも…。
全員が被害者ではないのか…でも、だからって…。
この著者の凄いところは、
文章で人を殴る術を知っているということでしょう。
それも、ノンフィクションで。
殴られた後は放心します。
そして、殴られた意味を考えます。
でも、分からないし解決のしようもなかったりします。
ただ、そういう世界も、事実もあるよね。と割り切る事が出来なくなります。
面倒臭い話ですが、
書き手には書き手の責任があり、
読み手には読み手の責任があります。
読んだからには考えなくてはならない。
と言ってもそんな強制されなくとも、
自分の知らない世界を知れば知ったことに対して思考し、行動するのは人の性でしょう。
新たな問題提起してくれる大変良い本でした。
蛍の森/新潮社

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