唸った。

もともと映画監督や脚本を書いていた方だけに読んでいると鮮明に場面を思い描ける作品だった。

それ故に、ブラウン管越しの感は否めないが、それ故に本を開けば翌週を待たずして、続きが観れる。
実にエンターテイメントだった。

無実の罪かもしれない死刑囚を救う為に証拠を探しに悪戦苦闘し、その過程で驚きの事実が次々と現れて来る。

人の罪とは何なのだろう?と考えさせられる。

冤罪を取り扱った小説は何冊か読んだと思うが、後味としては一番良かった。
が、すっきりすると言う意味ではなく。
もやもやとした中にしっかりとした希望がある。

罪を犯し、それにみあった罰を受ける事が贖罪の一つである事は間違いないが、それ以前にその罪を背負う覚悟があるかと言う部分が人情的にはとても大きな事だと思う。

人を殺し、刑期を全うし、それで罪の全てが償われるわけではない。
が、悔恨の毎日を送るだけで社会が許してくれるとは限らない。

法は社会を統制しているが、社会の全てがそれに従っているわけではない。
隣人が殺人犯だったと知ったらやはり、警戒し、まともな人付き合いが出来るようになるには時間がかかるだろう。

殺人と言うのは行う事よりもその後の心理を自分で推し量る事の方が難しいのではないかと思う。

怒りに身を任せ、人を殺して始めて、その重圧に身を起きその人物だけしか見えてなかった視界は拡がって行く。

勿論、それを重圧と感じない人間もいるだろうが、それは別の話だろう。

復讐にせよ、発作的にせよ、事故にせよ、人を死なせたら必ず後悔する。
その後悔は二度と拭えない。

その後悔の種類。
その人物の命を奪ったからなのか、それとも、奪ったことで失ったものの大きさなのか、それはわからない。

だが、主人公の気持ちはよくわかる気がする。
それはどこか理想的な犯罪者なのかもしれない。
なぜなのかは、ここでは伏せておこう。





そう言えば、
帰りの電車で、痴漢を目撃した。

痴漢だと気が付いたのはそいつが女性から離れた後。

電車が駅に止まり、雪崩のように人がホームへ降りて行く時にそいつは扉付近にもかかわらず頑なに降りなかった。
扉横の少しの空間に女性がいて、男は後ろから押されるが、女性に引っかかっていると言う感じだった。

その女性も降りれば良いのにと思いながら、二人をみていて、やがて、人波が途切れると、男の手が女性のお尻に意図的な動きをするのがみて取れた。

女性に目をやると、
痴漢なのか、単に混雑からの偶然なのかわからないと言う感じだった。

そこで、一瞬ためらった。
彼女が痴漢だと思っていないなら、私が勘違いしているのかもしれないと。

そして、扉が閉まり、男は女性から離れた。

ならば、電車の揺れに乗じて男を殴ろうかと思ったが、適当ではないのでやめた。

正解は変だと思った時にそいつを除けて電車を降りれば良かったんだなと今は思う。今更だが。

彼はこの先も似たような事をするかもしれない。
そして、捕まらないかもしれない。

彼に罪悪感はつきまとうだろうか?
多分つきまとわない。

なぜなら捕まらないから。捕まらない限り、反省はしない。
反省できる要素が彼には見えていないのだから。

もしも、彼に恋人が出来て、そんな事をされたと話を聞いたら自分勝手な義憤を感じるだろう。
けれど、その時始めて自分の過去の罪を悔いるかもしれない。

けれど、そんな事よりその場をうまく収められなかった自分が情けない。



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