部屋を掃除したら(本を処分したら)、ヨガマットをひける空間が出来た。

ここ数週間、何だかんだと予定が合わず、悶々としてきたとこでのこの清掃、そして、以前借りていたDVDの存在を思い出す。

何がかは知らないが、
上出来だ。と思って早速やって見ることにした。

折角だからとエアコンの温度を少しあげて、パソコンに向き合う。

一つ一つの動作への移行がとても速くて呼吸もままならないまま、一通りディスプレイの動きをトレースして行く。

いつも、どこでも、間違いなく太陽礼拝からの前屈、うつ伏せ、コブラ、ダウンドックとやっていたがここでもやはりこの一連の動作をする。

と言うよりも、この動作に還っていく。

そこでしみじみ、
基本中の基本だけど、ここからすべてが始まるんだなと少し、ほんの少しだけ感慨にふけった。
あまり、耽っていると両手と両脚の位置が分からなくなり、追い付こうと見様見真似でやろうとするものの、蔦のように絡み合ったその四肢がどうしたらそうなるのか分からないまま太陽礼拝へと還っていく。

後半になってくると、もう汗だく。息も切れ切れだ。

しかし、ポーズはどんどんと発展し、終いには、幼少の頃抱いていたヨガ行者が行っているような現実離れしたポーズが目の前に現れる。

そんな現実を目の当たりにするとやはりやってみたくなるのは人の性。

巻き戻して、一つ一つを確認しながらやって見る。

もちろん、出来ない!!

取るべき手があるべき場所に無い為にバランスを崩し、つんのめる。
転ぶまいと力を入れると、
え?そこ?
っと自身の身体への監視の目の荒さを痛感させるほど、なんでそこの部分が攣りそうなのか分からない部位に負担がかかる。

すべてを終えぬうちに力尽き、息も絶え絶えに、シャバーサナへ。

ふぅぅぅぅぅぅ。

顔をあげて観れば、画面の氏は汗をかいていない。

…凄まじい。

これらのポーズを出来るようになるにはあとどれ程の鍛錬が必要になるのかは分からない。
けれど、舞踏の様に軽やかに植物のようにしなやかに躍動する人体というのはかくも美しいものなのだと改めて気が付いた。

目的は座ること。

これらのポーズを経ての、座ると言う動作、ただ座るという只管打坐。

見えている地平は異なれど、その姿形はぶれる事なく重なり合う。

良いも悪いもなく、座るということへ対するこだわり。いや、こだわりすら捨てているのだろう。

つまり、今ここで座っている事だって、電車を待つ為に白線の内側で立っているのも、ヨガの一つの形でもあり、只管打坐の根底にある凡事徹底なのだろう。

だが、今日はそうもいっていられないらしい。徐々に昨晩のツケが回ってきている。

にしても、何でこんな場所が痛いのだろうか?


iPhoneからの投稿




Next Level YOGA produce by KRANTI [DVD]/Kranti

¥3,990
Amazon.co.jp