時々読んで、その度にやっぱり面白いと思う。
勧められて始めて読んだ「まほろ駅前多田便利軒」で感じた違和感が次に読んだ「月魚」で少しだけくっきりとし、その空気感が好みではなかったので、敬遠気味でしたが、「風が強く吹いている」では見事にやられ、本作で
のめり込んでしまいました。
「彼」である教授は関わる人々の視点から語られる。
立場も状況も時間も違う中で浮き上がる彼の姿は変わらない。
だから、この物語は反応の物語と言えるのではないかと思う。
例えば、小麦粉は小麦粉。お好み焼きにもなれば、ケーキにもなるし、爆発物にもなる。
語られた彼がどんな人物であろうがそれは変わらない。誰かについて語ろうと思えばそれは反応でしかないのだから。
その反応が様々で面白い小説なのではなくて、その反応で世界は回っているという事実に目を向けるという小説でもあるのではないだろうか。
とは言うものの、その世界には「彼」だけが欠如している。
となると、先ほどの小麦粉は当てはまらない。
イメージとしては、酸素と炎に近いかもしれない。
周りの酸素を取り込んで火は燃え盛り、巨大になって行く。
かたや、その酸素はそこにあったから炎に取り込まれてしまう。別に燃やすつもりなんて無いにもかかわらず。
火はいつか鎮まり、灰だけが残る。
それらを言葉として紡いだ小説。
iPhoneからの投稿
勧められて始めて読んだ「まほろ駅前多田便利軒」で感じた違和感が次に読んだ「月魚」で少しだけくっきりとし、その空気感が好みではなかったので、敬遠気味でしたが、「風が強く吹いている」では見事にやられ、本作で
のめり込んでしまいました。
「彼」である教授は関わる人々の視点から語られる。
立場も状況も時間も違う中で浮き上がる彼の姿は変わらない。
だから、この物語は反応の物語と言えるのではないかと思う。
例えば、小麦粉は小麦粉。お好み焼きにもなれば、ケーキにもなるし、爆発物にもなる。
語られた彼がどんな人物であろうがそれは変わらない。誰かについて語ろうと思えばそれは反応でしかないのだから。
その反応が様々で面白い小説なのではなくて、その反応で世界は回っているという事実に目を向けるという小説でもあるのではないだろうか。
とは言うものの、その世界には「彼」だけが欠如している。
となると、先ほどの小麦粉は当てはまらない。
イメージとしては、酸素と炎に近いかもしれない。
周りの酸素を取り込んで火は燃え盛り、巨大になって行く。
かたや、その酸素はそこにあったから炎に取り込まれてしまう。別に燃やすつもりなんて無いにもかかわらず。
火はいつか鎮まり、灰だけが残る。
それらを言葉として紡いだ小説。
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