バラエティ番組で知った箱男。
その企画の元となった小説。
特別観ていたわけではないので、企画の趣旨も内容もそれ程覚えてはいませんが、人間が箱の中に入って人と交流していく様は衝撃的でした。
その衝撃をもっとしっかりと受け止めてみるか、という事で読んでみると正直面白くは無かった。
面白くないから読む必要がないと言うとそうじゃない。
読んだ方が良いし、その結果時間の無駄だと思ったとしても、日本文学のある種の最先端に触れたというのはそれだけで意味があることだと思います。
あらすじの部分にも書かれているようにこの本は実験的小説らしいんですね。
あらすじを読む限りは、箱男という特殊な存在とそれに関わる人々のドラマかと思っていたのですが、全く違います。
これを読んでいる最中、ジョンケージや一柳慧の音楽を思い出しました。
音楽自体は不可解な部分があるのですが、その音楽の作り方を知ると不思議な感銘を受け、その上で聴くと違った印象を抱かざるを得ない。
ジョンケージで言えば、有名な4分33秒。
これについて説明するつもりはないのですが、「言葉で語りうる音楽」とでも言いましょうか、良く切れる刀は切られた事に気付かないと言われる事に似ています。
私は不幸?にも思想を知ってからそれに触れたので想像していた以上の感情を抱きはしなかったのですが、それでも、脳内で想像するといつでも常に新鮮な状態で情景が浮かびます。
ここまで読まれて、全く何を言っているか分からない方もいらっしゃるでしょうが、箱男もまたしかりで、切られている事に気付かない種の芸術作品だと思います。
この作品の解釈と言うのは様々でしょうし、私は面白くないと思った以上に「なんだこれは!」と足下が揺らぐ様な感覚にとらわれています。
箱男と言う存在が、街角に積まれたダンボールの様に無個性な状態でありながらも、他者はそれを許せない。
他者は人間に対しては個性を無意識ながらも要求しています。
箱男が望む箱男としての存在を他者は望まず、箱男の唯一の個性は箱の中に入った瞬間から観るものすべてが覗くと言う行為に変換される事にあると思います。
他者もそれを分かるからこそ、箱の中から見える箱男の目に、ただ単に歩いているだけなのに覗かれていると言う受け身になってしまう。
というのはあくまでもさわりの解釈でしかありません。
恐らく、そこに、書き手と読み手、主人公と登場人物の関係が曖昧になっていき、そこに産まれる解釈出来ない空白を明瞭にしていっているような気がします。
ただ、明瞭と言っても一面に落書きされた画用紙の様に「他に比べれば」という程度でしかありません。
だから、白黒はっきりとした物語ではないし、読んで面白いとは言えません。
けれど、後ろ髪を引かれる。
何だったんだろう?
どういう意味なんだろう?
疑問は疑問としてそのままの形で残る。
その形こそがこの小説の完成なのではないかと今のところは思っています。
つまり、読むという行為に要求している読者の欲求は物語を理解するという形では解消されない。
読者の存在意義と言うものを尊重するのではなく、むしろ否定する事で読書というものの持つ可能性を大幅に拡げた本ではないでしょうか。
この本が様々な国で翻訳され、今もまだ版を重ねると言う事から考えてみても、この本がこの種の始まりなのかも知れません。
iPhoneからの投稿箱男 (新潮文庫)/安部 公房

¥460
Amazon.co.jp
その企画の元となった小説。
特別観ていたわけではないので、企画の趣旨も内容もそれ程覚えてはいませんが、人間が箱の中に入って人と交流していく様は衝撃的でした。
その衝撃をもっとしっかりと受け止めてみるか、という事で読んでみると正直面白くは無かった。
面白くないから読む必要がないと言うとそうじゃない。
読んだ方が良いし、その結果時間の無駄だと思ったとしても、日本文学のある種の最先端に触れたというのはそれだけで意味があることだと思います。
あらすじの部分にも書かれているようにこの本は実験的小説らしいんですね。
あらすじを読む限りは、箱男という特殊な存在とそれに関わる人々のドラマかと思っていたのですが、全く違います。
これを読んでいる最中、ジョンケージや一柳慧の音楽を思い出しました。
音楽自体は不可解な部分があるのですが、その音楽の作り方を知ると不思議な感銘を受け、その上で聴くと違った印象を抱かざるを得ない。
ジョンケージで言えば、有名な4分33秒。
これについて説明するつもりはないのですが、「言葉で語りうる音楽」とでも言いましょうか、良く切れる刀は切られた事に気付かないと言われる事に似ています。
私は不幸?にも思想を知ってからそれに触れたので想像していた以上の感情を抱きはしなかったのですが、それでも、脳内で想像するといつでも常に新鮮な状態で情景が浮かびます。
ここまで読まれて、全く何を言っているか分からない方もいらっしゃるでしょうが、箱男もまたしかりで、切られている事に気付かない種の芸術作品だと思います。
この作品の解釈と言うのは様々でしょうし、私は面白くないと思った以上に「なんだこれは!」と足下が揺らぐ様な感覚にとらわれています。
箱男と言う存在が、街角に積まれたダンボールの様に無個性な状態でありながらも、他者はそれを許せない。
他者は人間に対しては個性を無意識ながらも要求しています。
箱男が望む箱男としての存在を他者は望まず、箱男の唯一の個性は箱の中に入った瞬間から観るものすべてが覗くと言う行為に変換される事にあると思います。
他者もそれを分かるからこそ、箱の中から見える箱男の目に、ただ単に歩いているだけなのに覗かれていると言う受け身になってしまう。
というのはあくまでもさわりの解釈でしかありません。
恐らく、そこに、書き手と読み手、主人公と登場人物の関係が曖昧になっていき、そこに産まれる解釈出来ない空白を明瞭にしていっているような気がします。
ただ、明瞭と言っても一面に落書きされた画用紙の様に「他に比べれば」という程度でしかありません。
だから、白黒はっきりとした物語ではないし、読んで面白いとは言えません。
けれど、後ろ髪を引かれる。
何だったんだろう?
どういう意味なんだろう?
疑問は疑問としてそのままの形で残る。
その形こそがこの小説の完成なのではないかと今のところは思っています。
つまり、読むという行為に要求している読者の欲求は物語を理解するという形では解消されない。
読者の存在意義と言うものを尊重するのではなく、むしろ否定する事で読書というものの持つ可能性を大幅に拡げた本ではないでしょうか。
この本が様々な国で翻訳され、今もまだ版を重ねると言う事から考えてみても、この本がこの種の始まりなのかも知れません。
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