結論から言えば、水だろう。
前の日に食べたもので辛いものはなかったし、日にちの経っているものはなかった。
起き抜けに飲むことにしている炭酸水。
近頃は寒くて、一度で500mlを飲めないことも。
いつからそこにあったのかは定かではないが、
おそらくその気の抜けた炭酸水が私の腹に悪さをしたのだろう。
土曜日は近場のヨガ教室に行けなかったので、日曜日にやっているところを探す。
今回は無茶にも午前中の教室を探した。
たいてい遅刻するのでなるべく避けていたのだが、
森美術館で催されている『メタボリズム展』の最終日だったので、
午後を目一杯使って鑑賞するつもりだったからだ。
なんとなく探していたら、以前一度だけ外ヨガに参加させていただいた教室
でまだ空きがあるらしい。
ツイッターでたまたま目についた『空き 2』の文字。
限定品に弱い人間がいるように、残りの少なさに弱い人間もいる。
と言っても、だいたいいつもこの教室は満員だから
どんなもんかと興味もあった。
が、教室の内容を確認すると、
『ヨガ+瞑想』とある。
瞑想かぁ~と凝った肩を回しながら呟くもここ最近特にひどい。
少しでものびのびとヨガに触れたかったし、瞑想もちゃんとやったことはない。
これはこれで面白いだろうと。
さて、当日。
教室に着くと、
ぎりぎりというか始まっていて、
先生の話を中断させてしまって申し訳ないな~と思いながらも、
ポーズを重ねていく。
ズキンと音が鳴るように、
腹から衝撃が走る。
万が一このタイミングで、
『あっ、ここはもーすこし』とか
どこかの部位をぐっと押されたらと考えると恐ろしい。
その痛みもしばらくすると引いていく。
しかし、私は知っている。
この種の痛みは繰り返すと。
ポーズも終わり、
何度目かの腹痛も収まり、
さぁ、瞑想だ。
瞑想になれば胃腸に負担をかける心配もない。
安心だな。
と思ったものの、
動いていない分、痛み始まると逃す場所がない。
前方では先生が、
『音を・・・・、意識を・・・・呼吸を・・・』と
穏やかな口調で説明している。
この穏やかな雰囲気に自身の体を持っていこうとする。
『客観的に~』と先生は続けている。
そうか、客観的だ。
とわらにもすがる思いで、
痛みを客観的にみようとする。
あーいたいなー。でも、この痛みなんてただ痛いだけなんだ!!
・・・・・そ~~~~~なんだよ、痛いんだよ!!
痛い痛い。
いや、痛さは我慢できる。
痛みだけなら耐えられる。
が、既に選択肢は二択に絞られた。
ひとつはトイレに行くか。
もう一つは漏らすかだ。
いやいや、その選択肢はないだろう!
さすがに初めて来た教室で、
遅刻して、
その上もらしましたじゃ、
笑ってもごまかせない。
成人した男性が衆人環視のなかで漏らすという行為を考えてみると、
やってはいけないことbest10の中に入ってくるほど非人道的なのではないだろうか。
仮に、と痛みが引いたところで考える。
先生の話が終わり、また、各々が静かな世界に没入にしていく。
この静けさの中では身動ぎする音すらセミの声に似ている。
仮にここで奇跡が起こり痛みが嘘みたいに引いたとしよう。
しかし、この痛みは繰り返す。
元凶となるべきものを出さなければ解決しない。
あと何分かはしらないが、
15分だとして、15分もったとしよう。
着替えて、なんやらかんやらで20分。
その間に他の人にトイレに駆け込まれたとしたらどうだろうか?
これが終わったらトイレに駆け込むことを考えている自分にとっては
想像するだけで恐ろしい。
緊張の糸が切れる。
つまり、漏らす。
よし。と覚悟を決めた。
他人の静寂を守ることよりも、
自身の腹の心配をしよう。
腹をさすり、顔を上げると、
先生と目があった。
すぐさまトイレの電気を着けていただき、
『ここは聖地か?』と安楽の境地にたどり着く。
さっぱりした様子で出て行くと既に瞑想は終わっていた。
こんな散々な瞑想にもならない瞑想だったが、
ひとつだけ、面白かった事がある。
腹をアイスピックで刺されるような痛みは
徐々に激しくなり、ピークへたどり着くと一気に引いていく。
この時、痛みがあったことで緊張していた部分が一気に脱力していくのだ。
自分でも意識していない細かい部分まで力が抜けていくのがわかる。
その痛みがなくなった状態では今まで痛みに意識が抜いていた分、
意識を向ける場所の喪失によって、浮遊する。
どこにあるとか何を感じているとか何を考えているかとかが数瞬
霧散していく。
あ~脱力してるね~。きもちいね~と思っている自分とは
違う部分で体全体意識全体を見渡しているといった感じだろうか。
けれど、霧散した状態は長くは続かない。
すぐに痛みによってそこに意識が集中することになる。
結果として得るべきものがあったが今日は常に腹痛に悩まされていたような気がする。
そういえば、
帰り際の会話で先生が、
私が以前参加したことのある教室の先生を知っていた。
面白い。
あっ、そういや、あの先生年末だかにネパール行ってきたとかいう
羨ましいブログ書いてたな。
いいなぁ。
あ~~旅して~~~~~。
前の日に食べたもので辛いものはなかったし、日にちの経っているものはなかった。
起き抜けに飲むことにしている炭酸水。
近頃は寒くて、一度で500mlを飲めないことも。
いつからそこにあったのかは定かではないが、
おそらくその気の抜けた炭酸水が私の腹に悪さをしたのだろう。
土曜日は近場のヨガ教室に行けなかったので、日曜日にやっているところを探す。
今回は無茶にも午前中の教室を探した。
たいてい遅刻するのでなるべく避けていたのだが、
森美術館で催されている『メタボリズム展』の最終日だったので、
午後を目一杯使って鑑賞するつもりだったからだ。
なんとなく探していたら、以前一度だけ外ヨガに参加させていただいた教室
でまだ空きがあるらしい。
ツイッターでたまたま目についた『空き 2』の文字。
限定品に弱い人間がいるように、残りの少なさに弱い人間もいる。
と言っても、だいたいいつもこの教室は満員だから
どんなもんかと興味もあった。
が、教室の内容を確認すると、
『ヨガ+瞑想』とある。
瞑想かぁ~と凝った肩を回しながら呟くもここ最近特にひどい。
少しでものびのびとヨガに触れたかったし、瞑想もちゃんとやったことはない。
これはこれで面白いだろうと。
さて、当日。
教室に着くと、
ぎりぎりというか始まっていて、
先生の話を中断させてしまって申し訳ないな~と思いながらも、
ポーズを重ねていく。
ズキンと音が鳴るように、
腹から衝撃が走る。
万が一このタイミングで、
『あっ、ここはもーすこし』とか
どこかの部位をぐっと押されたらと考えると恐ろしい。
その痛みもしばらくすると引いていく。
しかし、私は知っている。
この種の痛みは繰り返すと。
ポーズも終わり、
何度目かの腹痛も収まり、
さぁ、瞑想だ。
瞑想になれば胃腸に負担をかける心配もない。
安心だな。
と思ったものの、
動いていない分、痛み始まると逃す場所がない。
前方では先生が、
『音を・・・・、意識を・・・・呼吸を・・・』と
穏やかな口調で説明している。
この穏やかな雰囲気に自身の体を持っていこうとする。
『客観的に~』と先生は続けている。
そうか、客観的だ。
とわらにもすがる思いで、
痛みを客観的にみようとする。
あーいたいなー。でも、この痛みなんてただ痛いだけなんだ!!
・・・・・そ~~~~~なんだよ、痛いんだよ!!
痛い痛い。
いや、痛さは我慢できる。
痛みだけなら耐えられる。
が、既に選択肢は二択に絞られた。
ひとつはトイレに行くか。
もう一つは漏らすかだ。
いやいや、その選択肢はないだろう!
さすがに初めて来た教室で、
遅刻して、
その上もらしましたじゃ、
笑ってもごまかせない。
成人した男性が衆人環視のなかで漏らすという行為を考えてみると、
やってはいけないことbest10の中に入ってくるほど非人道的なのではないだろうか。
仮に、と痛みが引いたところで考える。
先生の話が終わり、また、各々が静かな世界に没入にしていく。
この静けさの中では身動ぎする音すらセミの声に似ている。
仮にここで奇跡が起こり痛みが嘘みたいに引いたとしよう。
しかし、この痛みは繰り返す。
元凶となるべきものを出さなければ解決しない。
あと何分かはしらないが、
15分だとして、15分もったとしよう。
着替えて、なんやらかんやらで20分。
その間に他の人にトイレに駆け込まれたとしたらどうだろうか?
これが終わったらトイレに駆け込むことを考えている自分にとっては
想像するだけで恐ろしい。
緊張の糸が切れる。
つまり、漏らす。
よし。と覚悟を決めた。
他人の静寂を守ることよりも、
自身の腹の心配をしよう。
腹をさすり、顔を上げると、
先生と目があった。
すぐさまトイレの電気を着けていただき、
『ここは聖地か?』と安楽の境地にたどり着く。
さっぱりした様子で出て行くと既に瞑想は終わっていた。
こんな散々な瞑想にもならない瞑想だったが、
ひとつだけ、面白かった事がある。
腹をアイスピックで刺されるような痛みは
徐々に激しくなり、ピークへたどり着くと一気に引いていく。
この時、痛みがあったことで緊張していた部分が一気に脱力していくのだ。
自分でも意識していない細かい部分まで力が抜けていくのがわかる。
その痛みがなくなった状態では今まで痛みに意識が抜いていた分、
意識を向ける場所の喪失によって、浮遊する。
どこにあるとか何を感じているとか何を考えているかとかが数瞬
霧散していく。
あ~脱力してるね~。きもちいね~と思っている自分とは
違う部分で体全体意識全体を見渡しているといった感じだろうか。
けれど、霧散した状態は長くは続かない。
すぐに痛みによってそこに意識が集中することになる。
結果として得るべきものがあったが今日は常に腹痛に悩まされていたような気がする。
そういえば、
帰り際の会話で先生が、
私が以前参加したことのある教室の先生を知っていた。
面白い。
あっ、そういや、あの先生年末だかにネパール行ってきたとかいう
羨ましいブログ書いてたな。
いいなぁ。
あ~~旅して~~~~~。