詩歌の待ち伏せに会った著者の回顧録とでも言えば良いのでしょうか?

一体、どんな詩歌に待ち伏せされたのか?それから読者は何を読み取るのでしょうか?

静けさや…で始まる有名な句。あの蝉は果たして一匹なのか?それとも多数なのか?
言われてみると先生に教わった記憶がない。
まぁ、多々教わった記憶がないのですから、当時の担任に伝わったら何を言われるか分かりません。
しかし、こういった句と言うのは教わるより先に読んでしまうし、何処かで聞いていたりもします。

私の場合、多数派でした。
けれど、定説となりつつあるのは一匹らしい。
すると、いくら説明されたところで腑に落ちない。
腑に落ちなければ、記憶にはとどまらない。

と、言う事で記憶からすっぽり抜けているのかもしれません。

けれど、大事なのは、芭蕉の伝えたかった事を正確にトレースする事よりも、自身が描いた情景ではないでしょうか?

経験によっては一匹の蝉が懸命に鳴く音ことで背景の静寂が強調され、微動だにしない岩に蝉の声がしみていくという様を思い浮かべるかも知れないが、多数の蝉が鳴く事で、静寂を意識し…と同じ様に解釈できます。

受験では国語は論理力を試されているのでしょうが、経験から導き出された答えは他人にとっては全く論理的ではありません。
それが正解か不正解かと言われれば、少し今の国語の問題と言うのも偏りがある様な気がします。

ここに出てくる詩歌で知っているのはごくわずかでした。
けれど、著者の鮮やかな手腕によって次へ次へと読まされて行きます。

引用したい文章ばかりなので挙げれば切りがありませんが、一つだけ。この読後感は感情の名前では説明出来ないなと。それを切り取るからこその詩人なのか!と感嘆してしまいました。

一握の砂で有名な石川啄木より。

ある朝の
さみしき夢のさめぎはに
鼻に入り来し
味噌を煮る香よ




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