淡々と退屈。
けれど、癖になる。

私の彼に対する評価を簡単に言うとこうなる気がします。

じゃぁ、どうして、読んでるの?
という疑問が聞こえてきそうですが、
それは彼との出会い方が最良だったからでしょう。

学生の時分に、とある雑誌に彼の『鍵の掛かっている部屋』という本の紹介が載っていました。

その紹介分は次の一文から始まる。

『彼の小説はいつも出だしがかっこいい』と。

そして、本文の冒頭
『今にして思えばいつもそばにファンショーがいたような気がする』

これを読んだ瞬間に痺れたんです。

決してかっこいいと思った話ではなくて、
こういう出だしがかっこいいのか!と。

価値観をそこで植え付けられたんです。

考えれば考える程、かっこよさはわからない。

けれど、これがかっこいいと言う事なんだと、
繰り返し繰り返しその文章を頭の中で反復していくと、
その訳の秀逸さがあってこそだけれど、
その小説の全てがそこにある。

小説の内容は冒頭の一文の捕捉でしかない。

そして、川端康成の『雪国』で、
その価値観が決定的に自分のものになりました。

『国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国だった』

これは内容を全て語っていないけれど、
目も前に広がるほぼ一面白の世界と黒茶の外壁がちらちらと
目の前を横切っていく。

脳内で再生され、補完してしまうイメージが余りにも
鮮明なため私は衝撃を受けました。

この二つの文章の性質は正反対のような気もするのですが、
そこからどうなるんだろう?という疑問を
その一文で読者に抱かせる。

当然、今までそういった文章に出会っていたのだろうけれど、
なぜ、オースターの作品だけピックアップするかと言うと、
単なる『ひいき』でしかないのでしょう。



さて、前置きが長くなった。

この物語。題名のまま。笑。

その国ではどんどん物がなくなっていく。

昨日まであった1番通りはなくなり、
砂利道と化している。

さっきまであった植木鉢が
次に見たらなくなっている。

まるで『色即是空 空即是色』の世界。

そして、仏教の思想になじみのないキリスト教徒、
つまりは、物質至上主義者達からみればすさんだ、
色も感情もない世界。

物がなくなっていく事で、
欲望は増し、
煩悩を捨てるのではなくて、
『あきらめる』という態度に陥る。

同じ現象にもかかわらず、
捉え方次第で間逆になる。

けれど、この物語の主人公は
唯一の希望だ。

その種火を消さないように消えないように願いながら
読み進めていく。

物がなくなり、その言葉も意味を失っていく国で、
書くことで何かとの繋がりを保ち、理性を保つ。

自分で書いている言葉の曖昧さはこの際目をつむってほしい。
自分が、言葉で、誰かに向けて、書いている、と言う事のみに
意味があるのだから。

ちなみに
この小説の冒頭は
『これらは最後の物たちです、と彼女は書いていた』

読み終えた際、この一文に帰る事の出来る喜び。

けれど、やはり、退屈だ。
けれど、癖になる。

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