なんだか、ファンタジーな題名だが、内容は決して甘くない。


簡単に言えば『みつばちハッチ』のスズメバチバージョン。

けれど、あれほど友好的な物語ではない。

主人公はオオスズメバチのワーカー、働き蜂だ。

その名をマリア。

彼女の一生の物語。


ファーブルに代表される昆虫たちの様々な生態は
人間の想像をはるかに超えて創造的だった。

この物語が与えてくれる衝撃は恐らく同種のものだろう。

私たち人間とは何もかもが違う。
けれど、生きるという事に関しては全く同じではないだろうかと
考えさせてくれる。



私たちのほとんどはスズメバチに対して、
曖昧な知識だけを持って接しているのではないだろうか。

それは海外に行って他国の文化を認めないようなものだ。

子供の頭をなでたら、
頭上の神様を払ったと、
腕を斬られる事もある。

けれど、その文化を野蛮だと批判こそすれ、
否定はできない。

そして、勇気を持って踏み込んで行くことでしか、
わかりあえない。

スズメバチと言う『危険』な昆虫に関して、
ここまで詳しく書かれていると言うのは
ひとえにその研究者たちの好奇心の賜物だろう。

その好奇心が発見した様々な事実がこの小説の中で
明らかになる。

当然、敵対する昆虫、敵対しない昆虫がいて、
それぞれに理由がある事を知る。

幼虫と成虫では食べるものが違う事を知る。

ニホンミツバチの蜂球という素晴らしいスズメバチ対策を知る。

約一月の中で燃え尽きる命のほとばしりを知る。


発見だらけの小説だ。

帯に書いてあったような感動は起こらない。
当てはめるとしたら、命という根本的な存在に対する
畏怖だろう。

私たちは生きている。
命がある。

その命は生きているものにはもれなくある。

そして、同じ最終目的をひたすら突き進む。

私たち人間がいかに理性的になろうが、
命の目的からは逃れられない。

逃れたところでそれは逃れた事にはならない。
なぜならば、逃れる事を想定して命は紡がれるのだから。



そのメモは必要かもしれない。
けれど、こういう紙片が机を汚す。
だから、捨ててしまえ。

と捨てたメモをもう一度拾いなおす事など
逡巡した回数に比べればたかがしれている。

捨てられても構わない命なんてない。
けれど、
捨てられてしまった命を振り返っていられるほど、
命そのものには情はない。

私たちではなく、命は紡ぐために命であり続ける。

それは、人間でもゴキブリでもカエルでもカラスでも
蛾でもスズメバチでも同じ事。

ある観点から見れば全く同じ存在。

ヒエラルキーと言うのは後付けの価値観だから、
少ないほど上位とは限らない。

そもそも強弱はあれど、優劣はない。




だからと言ってスズメバチが怖くなったか?
と言われれば、『ううん』と首を横に振らざるを得ない。



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