今、やらなければ二度と機会はやって来ない。

友人から譲られたこの小説は幼い娘が鞄に水をいれた事からヨレヨレになっていた。
その事をあまーい顔をして告げる彼の顔は会う度にどこか父親の厳しさを身につけている様に感じる。

責任が彼を『父親』にしているのだろう。

責任とは何だろうか?
簡単に言ってしまえば、負荷と決断の総称ではないだろうか。

日々の暮らしの中で自分の決断をいちいち数えてはいられない。
けれど、その影響が家族に及ぶのならその決断は意識的に『一』になる。

その意識的な積み重ねこそが責任の本質ではないだろうか?

そして、その責任は、家族から、会社、そして国と領域を変えて常に存在している。
その最小単位が個であり、最大とは言わないが、大きなものが国であろう。

戦争についてはあまりしらない。
戦争があった事はしっていてもそこで何が行われていたのかはしらない。
ただただ、悲惨であったとだけ。

けれど、読み進めれば読み進める程、一言で感想が言えてしまう自分の言葉を恥ずかしく思ってしまう。

筆舌に尽くしがたく、それゆえ口を閉ざす人々が多いのだろう。

今の平和な世の中で想像を絶する状況を今の人々が知ったところで、実感は伴わない、想像が追い付かない、必要ないと。


それをこの小説は見事に行間に納めている。

戦争の話をわかりやすく読んでもらうために出来上がった作品だと思う。

だから、細部はこだわらない。
安っぽいサブストーリーも気にならない。

けれど、戦争について一度でも本気で調べてみて、ぶつかってみねければと思わされた。

現代は、メディアが多くあるのでいつでも当時の映像を探し出す事が出来るだろう。

だが、生き証人はどんどんと亡くなっていく。
彼らと同時代に生きたという実感を持たないまま、私の知識不足のせいで、抱かなければならない何らかの感情を喪失したまま暮らしてしまう。

それは後世の人間として、歴史を冒とくしている気がする。

この本はあくまでも始まりの本だと思う。

戦争にしろ、原爆にしろ、
そして、原子力発電所にしろ。

過去と現在と未来は並列で存在している。今のところの結論だ。



永遠の0 (講談社文庫)/百田 尚樹

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