ほぼ一年眠らせていた本。
ここのところ頭が呆けていて、
とても試験勉強する気になれず、
かといって、する事もない。
なら、がっつり読書してやれ!
と言う事で溜まっていた本を片付けに入りました。
他の本も同時に読み始めたのだけれど、
気持ちの整理が付くかなと、
この本を一番に読み終える事を選択。
まぁ、整理も何もないんだけれど、
なんとなく。
この人の本はことごとくエンターテイメントだ。
小説が娯楽である。と気付かせてくれる。
当然本によっての評価はそれぞれ違うけれど、
心の中にレモンスカッシュでも注いだような
清涼感に包まれる読後感は特有ではないかな。
今回は父親が4人いる息子の物語。
少しだけ書こうと思うと
全てを書きたくなってしまうし、
書かないでおくとどんな話なのか
想像もつかなくなってしまう。
で、書ける事を考えた。
すると、
主人公の母親の事だ。
この小説を読んでいて、
主軸となる話は面白いし引き込まれる。
けれど、のどに引っかかった小骨のように
母親の存在がちらつく。
どうせ出てくるんだろとか、
出てこなかったら嫌だなとか、
考えるともなく考えている。
これはコロンボの「かみさん」に
良く似ている気がする。
決して多くは語られないけれど、
その周りの人間が彼女を形作ってしまう。
おぼろげな想像のまま、
ページを消費していき、
存在が大きくなったり小さくなったり。
だから、これはもしかすると
彼女の小説なのではと思ってしまう。
中心から外れた主人公。
大仰な言い方をすれば創造主に近い。
物語の外にいる彼女が物語に登場する。
それはつまり物語の・・・。
この小説を誰かにあげる時、
(私は面白かった小説は基本的に人にあげる)
何という一言を添えるだろうか。
今思い浮かぶ言葉をここにつづっても構わないが、
それに決まってしまうのはもったいない。
そうなんだ。
この小説を人に紹介するまでが
この小説の物語なんだ。
愛しき登場人物たちの
愛しき物語が
納まった小説を
喜んでもらえそうな人に
繋ぐ行為までが私にとっての
『読書』と言えるのかもしれない。
オー!ファーザー/伊坂 幸太郎

¥1,680
Amazon.co.jp
ここのところ頭が呆けていて、
とても試験勉強する気になれず、
かといって、する事もない。
なら、がっつり読書してやれ!
と言う事で溜まっていた本を片付けに入りました。
他の本も同時に読み始めたのだけれど、
気持ちの整理が付くかなと、
この本を一番に読み終える事を選択。
まぁ、整理も何もないんだけれど、
なんとなく。
この人の本はことごとくエンターテイメントだ。
小説が娯楽である。と気付かせてくれる。
当然本によっての評価はそれぞれ違うけれど、
心の中にレモンスカッシュでも注いだような
清涼感に包まれる読後感は特有ではないかな。
今回は父親が4人いる息子の物語。
少しだけ書こうと思うと
全てを書きたくなってしまうし、
書かないでおくとどんな話なのか
想像もつかなくなってしまう。
で、書ける事を考えた。
すると、
主人公の母親の事だ。
この小説を読んでいて、
主軸となる話は面白いし引き込まれる。
けれど、のどに引っかかった小骨のように
母親の存在がちらつく。
どうせ出てくるんだろとか、
出てこなかったら嫌だなとか、
考えるともなく考えている。
これはコロンボの「かみさん」に
良く似ている気がする。
決して多くは語られないけれど、
その周りの人間が彼女を形作ってしまう。
おぼろげな想像のまま、
ページを消費していき、
存在が大きくなったり小さくなったり。
だから、これはもしかすると
彼女の小説なのではと思ってしまう。
中心から外れた主人公。
大仰な言い方をすれば創造主に近い。
物語の外にいる彼女が物語に登場する。
それはつまり物語の・・・。
この小説を誰かにあげる時、
(私は面白かった小説は基本的に人にあげる)
何という一言を添えるだろうか。
今思い浮かぶ言葉をここにつづっても構わないが、
それに決まってしまうのはもったいない。
そうなんだ。
この小説を人に紹介するまでが
この小説の物語なんだ。
愛しき登場人物たちの
愛しき物語が
納まった小説を
喜んでもらえそうな人に
繋ぐ行為までが私にとっての
『読書』と言えるのかもしれない。
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