仕事もようやくひと段落したので、休みを取ってバイクのユーザー車検に行ってきた。
思えば二年前、ブレーキレバーが折れたままホリデー車検に持っていくと、
駄目だしをされて、数時間かけてパーツショップへ行き、良く分からないながらもパーツの交換を行い、ようやくOKをもらった。
しかも、その日は平日ではなかったので、ホリデー車検に持っていく意味がなかったのに気付いたのは車検が終わってからだった。
今回も仕事の都合上ホリデー車検を利用しようかと思っていたが、近くにホリデー車検系列でバイクの車検を行っているところが無かったのと、かかる費用が2万近く違う事で平日休みを狙うことにした。
準備はたぶん万端、意気揚々と駐車場へ。
震災がまだ落ち着かない中、
それとは違う緊張に包まれていた私の目に入ってきたのは横たわった愛車だった。
先週の地震では微動だにしていなかったのに昨日か一昨日かの地震で転倒したらしい。
光軸は大丈夫か?タンクは凹んでいないか?
それよりも、まさか、またブレーキレバーが折れているんじゃないか?
急いで起こして、カバーを外すと至って無傷。
胸をなでおろし、軽く車体の清掃をして、出発。
ガソリンの残りが少なかったので、
ガソリンスタンドに寄ってみると、
閉店。
次もその次も、そのまた次も
全て閉店。
ここ最近自転車で乗り換えの駅まで行っていたのでガソリンスタンド渋滞と言うものは目の当たりにしていた。
しかし、これほど多くのというか、目に入ってくるスタンドの全てが閉店していると言うのは想定外だった。
一概に否定は出来ないが都内の人間は
おびえ過ぎだろう。
その弊害として被災地への物資の郵送を遅らせていると言う事を想像出来ないのだろうか。
朝霞駐屯地から自衛隊の救援車両が続々と出発しているのをみると、心からお願いしますと言いたくなる。
コンビニの買い占め、ガソリンの不足、外食産業の停滞。
向かうべきベクトルがめちゃくちゃなのはまだ混乱しているからだろう。
しかし、混乱するのはまだ首都圏の人間ではない。
放射能はまず問題ない。
怖いなら言い訳せずに逃げるべきだ。
政府ならあきらめろ。
批判は後で良い。
余震も防ぎようがない。
逃げる場所もなく、あの程度の地震で交通機関がマヒしてしまうのなら、
あとは自力しかない。
蓄えるのではなく、作り出す努力を。
400mmシーベルトが観測された時には
流石に動揺したが、それも、失恋と言う全く違うショックで立ち直る事が出来た。
もしも家族の面倒を一生見てもらえるなら私は現場で放射能にさらされても構わない。なんの役にも立たない事が問題と言えば問題だが。
けれどよこしまな私は
自衛隊の車両を見るたび
ガソリン分けてくれないかな。
等と考えてしまう。
メーターは給油の目安から10kmオーバーしている。
ガソリンの心配をよそに気付けば練馬の車検場に到着。
到着するや否やさっさと自賠責の延長を行い、書類に記入し、重量税を支払い、時間が来るまで待つ。
わからないところもあったがその都度係りの人が丁寧に教えてくれるので、テンポよく次へ次へと進む事が出来た。
待っている間に、印鑑と整備記録簿がないことに気付いたが、結局必要無かった。
受付を済ませて、
4番レーンに並ぶ。
既に10台程度が並んでいる。
とここまで順調に来てしまった事が
逆に不安に感じ、何の整備もしていないバイクの車検が通るのだろうかと根本的な部分に気付いてしまった。
私の車検が通る自信と言えばまっさらなノーマル車であること位だったのだ。
先週乗った際には問題なかった。
けれど、
空気圧は?
ブレーキの残りは?
利き具合は?
など不安材料を挙げると
余計に不安になってくる。
が、そもそも、車検場で
何をチェックされるのかも
知らないので、あとどの部分を不安がれば良いのかわからなくなり、不安がるのをあきらめた。
慣れている業者さんの様子をうかがっていると、書類を取り出しやすいように肩下げ鞄に書類を入れている。
自分はというと、リュック。
バイクの操作がおぼつかないので
手で持っているわけにもいかず、
仕方なくシートに置いてその上に
乗っかる事にした。
外観の調査が始まり、
クラクション、
ウィンカー等のチェックをクリアし、
ブレーキの利き具合のチェック。
とりあえず思いっきり握り、踏み込み、OKをもらう。
最後のライトチェックも合格し、
拍子抜けするほど簡単に
車検を通す事が出来た。
かかった費用は20000円弱。
なんだか、バイクの調子も良く、
難なく駐車場へと戻ってくることが出来た。
しかし、予備タンクも空に近い状態だろうし、次に乗る時が急ぎの用事とかでない事を祈るばかりだ。
いつ地震がくるともわからないので、今度はセンタースタンドを立てた事は言うまでもない。
さて、久々のブログで、
日本が大変な事態に陥っているなか、
車検の話だけでは物足りないので、少し独断と偏見に満ちた今までとこれからを。
iphoneは緊急時には全く使えない事がわかった。
電池も電波もあったもんじゃない。
ただの時計みたいなもんだ。
それに比べて、公衆電話の安定感は素晴らしかった。
だからと言って替えたいと思わないのは、それでも何とかなるからだろうし、何とかなった時の便利さが格別だからだろう。
この一週間徐々に都内は静かに、おとなしく、夜は暗くて、人は少なくて、心なしか声も小さい。
衣擦れの音が少ないと言うだけで、耳に入っていた音がここまで小さくなるとは驚きだった。
今までどれ程の無駄な光に照らされた中を歩いていたのだろう。
自分の一歩を照らしている贅沢に気付いた。
電車も寒く、駅構内もどことなく暗い。
人々の不安が街にそのまま反映されているみたいだ。
けれど、
特に東北の被災地に比べれば、不安がれていれるだけましなのだろう。
ここよりももっと寒い中で命をつなごうとする行為を想像する事しか出来ないし、出来ても義捐金くらいだ。
(と、目にする義援金が実は当て字だと知ったのはここ数日のこと。確かに間違った意味ではないが、正しくは義捐金と書く。どちらでも良いとは思うけれど、それを言っていいのは両方知った上で、だろう。)
それ以上は邪魔になるし、自分の事もある。
東京はアホみたいに元気で良いんじゃないかと思う。
一人ひとりの心の中には被災地を想う気持ちがあって、騒ぐことなんて言語道断かもしれないけれど、それと元気がない事は決して同じ事じゃない。
確かにナイターを行うなんて元気にする以前の話だし、現地の状況を知るためにNHKにかぶりつくのも仕方ない。
けれど、目の前の大きくなっていく問題に注意をするよりも、自分たちの足元を固めていく作業を見直していかなければならないのではないだろうか。
管さんの批判をしても彼が日本の代表だし、東電の計画停電が無計画だと揶揄しても、節電は続けていかなければならない。
不安を誰かを責める事で解消してしまうのはあまり精神的に良い事ではないように思う。
今、誰も『エコ』と言う言葉を使わない。
それよりももっと切実な何かに関わっている自覚があるからだろう。
所詮あんな言葉はキャッチフレーズに過ぎない。
この切実さを忘れる事がなければ
短絡的かもしれないが日本はなんとかなる。していけるだろう。
けれど、このまま、
なんとなく疲れが勝り、
なんとなく3/10以前の日常が戻り、原子炉が落ち着いたら今日という日々を忘れがちになるかもしれ無い。
ネット上では様々な憶測が飛び交い、
どんどん新しい情報が入ってくる。
頼りない政府に疑心暗鬼になる気持もわかる。
でも、まぁ、作ったのはある意味私たちだ。
ここから先問われるのは
まさに私たち日本人の自力だけだ。
国の形が変わり、
住める面積が減り、
これから先、放射能汚染による誤った知識で差別が生まれるだろう。
実際、他国から日本の輸送物の受け入れ検討が行われていると言う話も聞く。
もっと目を見開いて、
真実に目を向けよう。
偏見を持つのではなく
正しい知識を。
煽動されないよう気をつけよう。
こんな状況だ。
変な新興宗教が活動を始めたりもするだろう。
けれど、宗教は人間を根元から救いはしない。
価値観を変える事で、救いの定義を変えるだけだ。
それじゃ、復興はおぼつかない。
大きな事なんて到底出来やしない。
自分に期待し過ぎてできないことを嘆く必要はない。
実際に戦っている自衛隊や警察官、現地の人々にエールと出来る限りの援助を。
私には何もできないから、救援物資の全地域への行き渡りは支援団体に任せるしかない。
心からこれ以上の事が起こらない事を祈るしかない。
そして、
その思いが届こうが届くまいが、
とにかく、暖かくなれ!
思えば二年前、ブレーキレバーが折れたままホリデー車検に持っていくと、
駄目だしをされて、数時間かけてパーツショップへ行き、良く分からないながらもパーツの交換を行い、ようやくOKをもらった。
しかも、その日は平日ではなかったので、ホリデー車検に持っていく意味がなかったのに気付いたのは車検が終わってからだった。
今回も仕事の都合上ホリデー車検を利用しようかと思っていたが、近くにホリデー車検系列でバイクの車検を行っているところが無かったのと、かかる費用が2万近く違う事で平日休みを狙うことにした。
準備はたぶん万端、意気揚々と駐車場へ。
震災がまだ落ち着かない中、
それとは違う緊張に包まれていた私の目に入ってきたのは横たわった愛車だった。
先週の地震では微動だにしていなかったのに昨日か一昨日かの地震で転倒したらしい。
光軸は大丈夫か?タンクは凹んでいないか?
それよりも、まさか、またブレーキレバーが折れているんじゃないか?
急いで起こして、カバーを外すと至って無傷。
胸をなでおろし、軽く車体の清掃をして、出発。
ガソリンの残りが少なかったので、
ガソリンスタンドに寄ってみると、
閉店。
次もその次も、そのまた次も
全て閉店。
ここ最近自転車で乗り換えの駅まで行っていたのでガソリンスタンド渋滞と言うものは目の当たりにしていた。
しかし、これほど多くのというか、目に入ってくるスタンドの全てが閉店していると言うのは想定外だった。
一概に否定は出来ないが都内の人間は
おびえ過ぎだろう。
その弊害として被災地への物資の郵送を遅らせていると言う事を想像出来ないのだろうか。
朝霞駐屯地から自衛隊の救援車両が続々と出発しているのをみると、心からお願いしますと言いたくなる。
コンビニの買い占め、ガソリンの不足、外食産業の停滞。
向かうべきベクトルがめちゃくちゃなのはまだ混乱しているからだろう。
しかし、混乱するのはまだ首都圏の人間ではない。
放射能はまず問題ない。
怖いなら言い訳せずに逃げるべきだ。
政府ならあきらめろ。
批判は後で良い。
余震も防ぎようがない。
逃げる場所もなく、あの程度の地震で交通機関がマヒしてしまうのなら、
あとは自力しかない。
蓄えるのではなく、作り出す努力を。
400mmシーベルトが観測された時には
流石に動揺したが、それも、失恋と言う全く違うショックで立ち直る事が出来た。
もしも家族の面倒を一生見てもらえるなら私は現場で放射能にさらされても構わない。なんの役にも立たない事が問題と言えば問題だが。
けれどよこしまな私は
自衛隊の車両を見るたび
ガソリン分けてくれないかな。
等と考えてしまう。
メーターは給油の目安から10kmオーバーしている。
ガソリンの心配をよそに気付けば練馬の車検場に到着。
到着するや否やさっさと自賠責の延長を行い、書類に記入し、重量税を支払い、時間が来るまで待つ。
わからないところもあったがその都度係りの人が丁寧に教えてくれるので、テンポよく次へ次へと進む事が出来た。
待っている間に、印鑑と整備記録簿がないことに気付いたが、結局必要無かった。
受付を済ませて、
4番レーンに並ぶ。
既に10台程度が並んでいる。
とここまで順調に来てしまった事が
逆に不安に感じ、何の整備もしていないバイクの車検が通るのだろうかと根本的な部分に気付いてしまった。
私の車検が通る自信と言えばまっさらなノーマル車であること位だったのだ。
先週乗った際には問題なかった。
けれど、
空気圧は?
ブレーキの残りは?
利き具合は?
など不安材料を挙げると
余計に不安になってくる。
が、そもそも、車検場で
何をチェックされるのかも
知らないので、あとどの部分を不安がれば良いのかわからなくなり、不安がるのをあきらめた。
慣れている業者さんの様子をうかがっていると、書類を取り出しやすいように肩下げ鞄に書類を入れている。
自分はというと、リュック。
バイクの操作がおぼつかないので
手で持っているわけにもいかず、
仕方なくシートに置いてその上に
乗っかる事にした。
外観の調査が始まり、
クラクション、
ウィンカー等のチェックをクリアし、
ブレーキの利き具合のチェック。
とりあえず思いっきり握り、踏み込み、OKをもらう。
最後のライトチェックも合格し、
拍子抜けするほど簡単に
車検を通す事が出来た。
かかった費用は20000円弱。
なんだか、バイクの調子も良く、
難なく駐車場へと戻ってくることが出来た。
しかし、予備タンクも空に近い状態だろうし、次に乗る時が急ぎの用事とかでない事を祈るばかりだ。
いつ地震がくるともわからないので、今度はセンタースタンドを立てた事は言うまでもない。
さて、久々のブログで、
日本が大変な事態に陥っているなか、
車検の話だけでは物足りないので、少し独断と偏見に満ちた今までとこれからを。
iphoneは緊急時には全く使えない事がわかった。
電池も電波もあったもんじゃない。
ただの時計みたいなもんだ。
それに比べて、公衆電話の安定感は素晴らしかった。
だからと言って替えたいと思わないのは、それでも何とかなるからだろうし、何とかなった時の便利さが格別だからだろう。
この一週間徐々に都内は静かに、おとなしく、夜は暗くて、人は少なくて、心なしか声も小さい。
衣擦れの音が少ないと言うだけで、耳に入っていた音がここまで小さくなるとは驚きだった。
今までどれ程の無駄な光に照らされた中を歩いていたのだろう。
自分の一歩を照らしている贅沢に気付いた。
電車も寒く、駅構内もどことなく暗い。
人々の不安が街にそのまま反映されているみたいだ。
けれど、
特に東北の被災地に比べれば、不安がれていれるだけましなのだろう。
ここよりももっと寒い中で命をつなごうとする行為を想像する事しか出来ないし、出来ても義捐金くらいだ。
(と、目にする義援金が実は当て字だと知ったのはここ数日のこと。確かに間違った意味ではないが、正しくは義捐金と書く。どちらでも良いとは思うけれど、それを言っていいのは両方知った上で、だろう。)
それ以上は邪魔になるし、自分の事もある。
東京はアホみたいに元気で良いんじゃないかと思う。
一人ひとりの心の中には被災地を想う気持ちがあって、騒ぐことなんて言語道断かもしれないけれど、それと元気がない事は決して同じ事じゃない。
確かにナイターを行うなんて元気にする以前の話だし、現地の状況を知るためにNHKにかぶりつくのも仕方ない。
けれど、目の前の大きくなっていく問題に注意をするよりも、自分たちの足元を固めていく作業を見直していかなければならないのではないだろうか。
管さんの批判をしても彼が日本の代表だし、東電の計画停電が無計画だと揶揄しても、節電は続けていかなければならない。
不安を誰かを責める事で解消してしまうのはあまり精神的に良い事ではないように思う。
今、誰も『エコ』と言う言葉を使わない。
それよりももっと切実な何かに関わっている自覚があるからだろう。
所詮あんな言葉はキャッチフレーズに過ぎない。
この切実さを忘れる事がなければ
短絡的かもしれないが日本はなんとかなる。していけるだろう。
けれど、このまま、
なんとなく疲れが勝り、
なんとなく3/10以前の日常が戻り、原子炉が落ち着いたら今日という日々を忘れがちになるかもしれ無い。
ネット上では様々な憶測が飛び交い、
どんどん新しい情報が入ってくる。
頼りない政府に疑心暗鬼になる気持もわかる。
でも、まぁ、作ったのはある意味私たちだ。
ここから先問われるのは
まさに私たち日本人の自力だけだ。
国の形が変わり、
住める面積が減り、
これから先、放射能汚染による誤った知識で差別が生まれるだろう。
実際、他国から日本の輸送物の受け入れ検討が行われていると言う話も聞く。
もっと目を見開いて、
真実に目を向けよう。
偏見を持つのではなく
正しい知識を。
煽動されないよう気をつけよう。
こんな状況だ。
変な新興宗教が活動を始めたりもするだろう。
けれど、宗教は人間を根元から救いはしない。
価値観を変える事で、救いの定義を変えるだけだ。
それじゃ、復興はおぼつかない。
大きな事なんて到底出来やしない。
自分に期待し過ぎてできないことを嘆く必要はない。
実際に戦っている自衛隊や警察官、現地の人々にエールと出来る限りの援助を。
私には何もできないから、救援物資の全地域への行き渡りは支援団体に任せるしかない。
心からこれ以上の事が起こらない事を祈るしかない。
そして、
その思いが届こうが届くまいが、
とにかく、暖かくなれ!