いやぁ、前回全然読んでなかったみたいで、
始めて読んだみたいに新鮮でした。

ただ、無生物とはなんなのかと言う部分が弱く、
生物との間に隔たれているものが一体何なのかは
良くわかりませんでした。

しかし、それでも、
「生物とは自己増殖するもの」
という定義から、
ウィルスの話へと移り、
そこから
自身の研究課題でもあった細胞のシステムの話を用い、
内の内は外、
さらには、ある細胞の欠損を強いても、
健常であるという愕然とする事実。

これらをわかりやすくしかも興味深く読ませてくれる。

生命の定義とは一体何なのか。

答えには至らないにしても、
そこにある割り切れない事実は
ただの二元論では解釈出来ない。

これほど細胞が小さい理由。
それはこれだけ生物が大きく複雑だから。

それはスケールを広げる事で、
宇宙の果てを髣髴とさせる。

にしても、
生物学的に数字を持ち出され、
1年前の自分とはまるっきり細胞は入れ替わっていると
言われると、
この自分に固執している自分とは一体何なのかと思ってしまう。

あるようできっと何にもないのだろうか。
それとも、『記憶』や『経験』が構成の主たる存在なのだろうか。

しかし、思い出も経験ももしもコントロールできた場合、
そこに人間が生まれるのかと言われれば、
想像が追い付かないながらも、
首をかしげざるを得ない。

かといって、蟻のように、
細胞同士で、情報の共有をしていて、
それらの集合体が自分であると言うのも
腑に落ちない。

だが、きっと、
今後の10年、100年後の今は
それがわかって当然と言う事になるのだろう。

かの天才時計職人ブレゲは
時計の歴史を200年早めたと言われている。

是非ともそんな人物が現れ、
さっそうと、今ある謎を解明してほしいものだ。

しかし、その先にあるさらなる問題には
何が待っているのだろうか。

もしも、生命が循環し、
この細胞の何かの情報一つでも、
享受する何かが存在するのだとしたら、
それがサボテンであれ、鳥であれ、芋虫であれ、
自覚がなくともその時代にいてみたいものだ。

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)/福岡 伸一

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