以前どこかに書いた、iphoneは触らせるために便利ではないと。

それは今も変わらない、しかし、慣れてきたせいか、iphoneで出来る事がわかってきた。

昨日、ポッドキャストなるものを発見し、それをダウンロードしてみる。

知っている人は多いだろうが、時間の短いラジオみたいなものだ。

これがまた数が多く、種類も豊富。

その上、映像まで付いてくるものまである。

いじっているだけで、何回か構造の解析が終わってしまっていた。


はじめに不自由ありきのこの端末は、

慣れる為にいじる。

いじると慣れて、他のところもいじってみる。

新しい発見がある。

その発見の可能性を探る。

探っているうちに慣れる。


操作方法は『慣れ』

このあいまいだけれども、下手な説明書よりも

ずっと理解が早いであろうこのコンセプトは秀逸だと思う。


ソフトとして使いにくい、こうしてほしい、あれが出来ない。

そのデメリットを気にしても仕方がない。

そのあきらめも『所詮は携帯電話』という部分があるから、さらりとあきらめられる。

そして、それを凌駕するほどのサプライズが多く眠っている。


まるで、子供をあやすように、iphoneを触り、自分との距離がなくなっていく。

それはそれで、携帯依存症というよりももっと迫真の痛みを伴うかもしれない。

しかし、そこから得るものが多いと思わせる

数々のコンテンツはその痛みを想定してなお、魅力的だ。


と、なんだか、すっかり虜になってきてしまいましたが、

俺はまだこいつを信用していない。


ちなみに私、恋愛では、ぞくぞくしくいうと『ツンデレ』です。