なんだか、すっかり仏教街道まっしぐらです。

この著者の般若心経にはまって以来、他に読み物はと探していたところで見つけたものです。

仏教にゆかりある方々との対談集。

仏教の緩やかな部分がクローズアップされています。

読んでいるこちらまで優しくなれる、心にしみる言葉が多く、

二元論や正義に疲れた人にはお勧めです。


そういえば、今日の帰りの電車の中で、

座席に座っているサラリーマンがいまして、

その方の横に疲れて寝てしまい、良い感じで舟を漕いでいたんです。

出発だか、停まる瞬間に大きく傾いて、

その方がサラリーマンの肩にぶつかったんです。

自分なら、余程の事がない限りほおっておきます。

でも、そのサラリーマンは肘鉄をくらわしたんです。

いい加減で。

で、寝ている方も無意識ながらもそちらには寄りかからないようにしていたのですが、

そこは寝ているので無理。

何度かそのサラリーマンにぶつかりそうになりました。

で、そのサラリーマン、相手の頭が揺れるたびに寝ている人をにらみつけるんです。

それをみていて、なんだか大変だなと。

確かに自分のスペースに入ってこられるのは嫌です。

でも、電車の中なんだし仕方ないという部分もあります。

ずーっとそんな風に他人の動向に気をもんでいたら疲れてしまうのではないでしょうか?

でも、きっとサラリーマンの彼は彼なりの理由がしっかりとあるのでしょう。

ですが、彼がイラついた理由は本当に寄りかかられただけだからでしょうか?


最近どきっとした言葉を以下に。




『自分の感受性くらい』


ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難かしくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ



茨木のり子「自分の感受性くらい」(昭和52)所収



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