日日是好日
思わず使いたくなってしまう言葉。
先日のヨガの話でも書いた事と重複しますが、
一瞬一瞬を生きるとはどういう事なんだろうか?
本書でも詳しく書かれていいるし、その他にも魅力的な事は書かれているのですが、
ここでは、この一瞬の捉え方を。
少し考えてしまうと、
一瞬、すなわち『今』だけを生きる事は決してできないし、
今は過去のたまものである事は間違いないし、そして、それが未来を作っている。
だから、今を生きると言っても結局は未来を生きている事になるのではないか。
でも、これは少し考えただけで、もう少し奥へ進んで行くと、
今の積み重ねだけであって、過去や未来と言うものはない。
記憶が経験が邪魔をして、ついつい直線的に考えてしまうそうですが、
そうではなく、『未来』とは数秒後の『今』であって、『過去』も数秒前の『今』というだけである。
と考えられる。
でも、それはあくまでもレトリックであり、大した重要な考え方ではないような気もする。
なんとなく煙に巻かれているような。
そこで本書。
過去や未来を考えてしまうのは、すなわち、目の前に見えている因果関係に踊らされているだけなのだ
と。
何か失敗して、その結果、明日1000万を支払わなくてはならなくなったとすると、
失敗した『今』から浅はかな、矮小な自分自身が感じ取れる未来に1000万を支払えないで困っている自
分を想像してしまっている。
だから、今から胃が痛むし、おろおろしてしまう。
しかし、自分がいる『今』の因果の全てなど到底探りきれるものではない。
つまり、自分が想像している未来などあくまでも想像でしかなく、如何に現実的な想像だとしても、100
%明日支払う事になったとしても、それは偶然想像と合致した未来であり、決して因果を見抜いて確信
した未来ではない。それは、妄想と言っても過言ではないだろう。
自分の身の回りにある因果を探れないならば、探らない。
探らなければ、明日の1000万の支払いの事など心配する事もない。
当然、支払うために何かのアクションをしたりはするだろう。
それはそういう『役』になりきって、今を生きて行くしかない。
明日何が起こるか分からない。
1000万用意出来たとしても、電車が遅れて時間に間に合わなかったり、
腹痛を起こして、アタッシュケースを忘れたり、
もっと言えば、先ほど1000万を支払う事を知った際に落ち着くために飲んだ缶コーヒーの空き缶を捨て
忘れ、それが風で転がり、バイクのタイヤの下にもぐりこみ、バイクが転倒して、後ろを走っていた
ガソリンを積んだタンクローリーが巻き込まれ、衝突したビルが崩壊し・・・・・、
それをTVで見て、『俺あの近くにいたんだ。・・・命があっただけでも儲けもんだな』なんて思ってし
まう。
未来などは言葉や意味としてあるだけで、私たちが感じられる、生きていられるのは『今』しかな
い。
だから、その一瞬に命を燃やす覚悟で挑んでいくことで生が充実していく。
日日是好日とは英語に直すと『Day by Day. its a good day』
直訳すれば『毎日が佳い日』
その『good』とは相対的な『佳い』ではない。
絶対的な『佳い』日なのである。
何かで落ち込んだ時でさえ『佳い』日。
何故か。
それは前述した『今』にある。
明日は明日の風など吹かない。
明日に期待するのはやめてしまおう。
『今』しかないのだから、『今』を最上にしてしまおう。
と言う事、今=人生という思想によるものだ。
そう考える事は確かに難しい。
しかし、そう考えて、今を生きていかなければ、いつの間にか死んでいる。そんな状況にもなりかねな
い事も否定できない。
最後に
風流とは英語化できない日本語の一つだと言う。
そんな事を知ったらこの言葉を大切にしたくなった。
禅的生活 (ちくま新書)/玄侑 宗久

¥777
Amazon.co.jp
思わず使いたくなってしまう言葉。
先日のヨガの話でも書いた事と重複しますが、
一瞬一瞬を生きるとはどういう事なんだろうか?
本書でも詳しく書かれていいるし、その他にも魅力的な事は書かれているのですが、
ここでは、この一瞬の捉え方を。
少し考えてしまうと、
一瞬、すなわち『今』だけを生きる事は決してできないし、
今は過去のたまものである事は間違いないし、そして、それが未来を作っている。
だから、今を生きると言っても結局は未来を生きている事になるのではないか。
でも、これは少し考えただけで、もう少し奥へ進んで行くと、
今の積み重ねだけであって、過去や未来と言うものはない。
記憶が経験が邪魔をして、ついつい直線的に考えてしまうそうですが、
そうではなく、『未来』とは数秒後の『今』であって、『過去』も数秒前の『今』というだけである。
と考えられる。
でも、それはあくまでもレトリックであり、大した重要な考え方ではないような気もする。
なんとなく煙に巻かれているような。
そこで本書。
過去や未来を考えてしまうのは、すなわち、目の前に見えている因果関係に踊らされているだけなのだ
と。
何か失敗して、その結果、明日1000万を支払わなくてはならなくなったとすると、
失敗した『今』から浅はかな、矮小な自分自身が感じ取れる未来に1000万を支払えないで困っている自
分を想像してしまっている。
だから、今から胃が痛むし、おろおろしてしまう。
しかし、自分がいる『今』の因果の全てなど到底探りきれるものではない。
つまり、自分が想像している未来などあくまでも想像でしかなく、如何に現実的な想像だとしても、100
%明日支払う事になったとしても、それは偶然想像と合致した未来であり、決して因果を見抜いて確信
した未来ではない。それは、妄想と言っても過言ではないだろう。
自分の身の回りにある因果を探れないならば、探らない。
探らなければ、明日の1000万の支払いの事など心配する事もない。
当然、支払うために何かのアクションをしたりはするだろう。
それはそういう『役』になりきって、今を生きて行くしかない。
明日何が起こるか分からない。
1000万用意出来たとしても、電車が遅れて時間に間に合わなかったり、
腹痛を起こして、アタッシュケースを忘れたり、
もっと言えば、先ほど1000万を支払う事を知った際に落ち着くために飲んだ缶コーヒーの空き缶を捨て
忘れ、それが風で転がり、バイクのタイヤの下にもぐりこみ、バイクが転倒して、後ろを走っていた
ガソリンを積んだタンクローリーが巻き込まれ、衝突したビルが崩壊し・・・・・、
それをTVで見て、『俺あの近くにいたんだ。・・・命があっただけでも儲けもんだな』なんて思ってし
まう。
未来などは言葉や意味としてあるだけで、私たちが感じられる、生きていられるのは『今』しかな
い。
だから、その一瞬に命を燃やす覚悟で挑んでいくことで生が充実していく。
日日是好日とは英語に直すと『Day by Day. its a good day』
直訳すれば『毎日が佳い日』
その『good』とは相対的な『佳い』ではない。
絶対的な『佳い』日なのである。
何かで落ち込んだ時でさえ『佳い』日。
何故か。
それは前述した『今』にある。
明日は明日の風など吹かない。
明日に期待するのはやめてしまおう。
『今』しかないのだから、『今』を最上にしてしまおう。
と言う事、今=人生という思想によるものだ。
そう考える事は確かに難しい。
しかし、そう考えて、今を生きていかなければ、いつの間にか死んでいる。そんな状況にもなりかねな
い事も否定できない。
最後に
風流とは英語化できない日本語の一つだと言う。
そんな事を知ったらこの言葉を大切にしたくなった。
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