すごく魅力的な題名です。

哲学の本の一番惹かれるところは、

言葉や語句の歯切れの良さ、

もしくは、

かっこよさ

にあると思います。


日本の大天才、西田幾多郎の哲学について
日本一わかりやすいと豪語する本書。

はっきり言ってわかりません。

いや、わかるんだけれども、
意味が追い付いてこない。

読み終えるのは早いのですが、
何も残らない。

ただ、この人の哲学に仏教が見えかくれします。


『雷が鳴った』
その言葉の意味するところは、

私がそれを聞いたという事ではなく、
鳴った雷が自分そのものであるという。

つまり、自分が受けている、感じている現象こそが
自分であると言う事。

そういった現象であふれているから
自分を認識できているという事になります。

以前、友人から聞いた話ですが、
いつかの時代、どこかの国で
心理だか脳波だかの実験で、
真っ白な部屋に被験者を閉じ込めたらしいのです。

詳しい数字はわかりませんが、
ほとんどの被験者は
発狂するらしいです。

自分に対して起こる何かが
何もないと発狂してしまう。

これは西田の言う哲学に深く
かかわりがあるような気がします。

西田幾多郎―「絶対無」とは何か (シリーズ・哲学のエッセンス)/永井 均

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余談

そういえば、満員電車に乗っていつも疑問だったのですが、
乗車口が左右にあって、
ある駅で右側から沢山の客が乗り込んできた。

右側の入り口付近では人があふれる程。

でも、左側の乗車口は結構スカスカ。

この現象は本当によく見かけます。

で、その空いている隙間に前の人を
押しやろうとすると、
吊革なんかをしっかり持っちゃって、
動こうとしない。

で、自分の後ろから乗り込んできた乗客に
押されて、耐えるのも馬鹿らしいから、
その吊革で頑張っている人に
体重をかける。

でも、その人は決して前に出ようとしない。

なぜか。


今日その状態で車内を観察していて思ったのですが、
その一つの要因に





の配置の場合、女性に負担をかけないように
耐えている場合。


男1
男2

の配置の場合、男1が酔っぱらっている等の近づきたく
ない要因を持っている場合。

に大別することができます。

でも、
そうでないときであっても、
やはり、前の人には負担をかけないようにする。
その心構えが『和』を大事にする日本人的な
精神の働きなのではないかと思うのです。

しかし、残念ながら、その精神の働きは
木を見て森を見ずという姿勢の前では
全く意味を持たない、
いや、
ほとんど、やらないほうがマシと言えるでしょう。

全体の事を考えると満員電車の不快感というのは
一部の人間の本当につまらない『我』が
産み出しているいるだけであって、
数的に均等な配置をした場合、
殺人的な満員電車というのは
ほとんど避ける事ができるはずです。

その事に何十年も乗っている人間が
気付かないのは本当に個人個人の持つ『我』『わがまま』
というものの恐ろしさというか、
盲目さを感じてしまいます。

『俺はこの場所から動かない』
そう背中で語っている人がたくさんいます。

そういう人をどかすにはどうしたらいいでしょう。

彼をどかす事で周りの8人のスタンスが楽になるとしたら、
私なら、
『耳のそばで、セキをする』
『耳のそばで、くしゃみ未満をする』
『鼻息が荒い』
等のアクションを起こします。

でも多分、一番効果があるのは
酒臭い息を振りまいて、
『う~』とうなっていたり、
独り言をぶつぶつつぶやいて
いる事ではにないかと想像します。

ただ、そうなった時、
自分の身の回りに斥力が発生し、
どこかでそのしわ寄せがきてしまうのが
欠点ですが。笑。