おじいちゃん。

それが今回の総決算の感想となりました。

後半を読み始めて、所々そう思えるというか、想起している部分がありました。

なぜか?

それはいささか強引に考えているのですが、

孔子の説いた『仁』とは思いやりといって間違いないでしょう。

そして、孔子その人柄を主人公は恐ろしいほど冷徹だと評する。

しかし、優しさにあふれ、人をひきつけてやまない魅力もある。

乱世において、仕官登用に恵まれず、ただひたすら天命に生きた。

また、天命とはと説き、天命に従って突き進んで行ったとしても決して富裕になるわけでも、大成するわけでもない。天にそんなことを期待しても天は何もしてくれない。

だが、見守ってくれている。それだけで結構なことじゃないか。

これを語らう孔子の姿が好好爺然としているように感じてしまうのはきっとこの本を読んで孔子の残り香でも鼻にかすめたのかもしれない。


赤ん坊と老人は個性がない。
いやあるけれど、ない。

赤ん坊はやはりどのこでも可愛いし、老人はその時まで歳を重ね、知る人はいなくとも何事かをなしている。

孫はかわいいというおじいちゃんの顔を見ると、ただならぬほころびを見せておるし、なによりも、その無責任さがにじみ出ている。

孔子が無責任だったとは言わない。
ただ、おじいちゃんが孫に向けるような笑顔を弟子たちにも向けていたのではないだろうか。

そして、その冷徹な知性は人間が歳を重ねるにつれて得る事が出来る、もしくは得る事が出来たと感じている良識や知恵、はたまた、達観というものに似ている気がする。

儒教の神として敬うのも良いだろうし、人生の師として仰ぐのも当然だろう。

しかし、あえて、私は無礼を承知の上で孔子をおじいちゃんと呼びたい。
その親しみの中に、孔子を聖人化しない、伝説化しない生生しさを感じる事が出来るからだ。

タイムマシンができて、初対面であろうが付き合いが長くなろうが、本人に向かってそんなことは到底言えるわけはない。

でも、現代で私とであった孔子はおじいちゃんでいいじゃないか。

おじいちゃんの知恵袋というとなんともまぁ魅力的な玩具が入っているように思えることだろうか!!!


小説の最後は深々として、静かだ。

とても良い読み物を読み、よき人と小説の中で出会った。
少々の分厚さも全く苦にならないほど、面白かった!!!!!!!!!!!!!!


是非

孔子 (新潮文庫)/井上 靖

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