荘子は『天地の一気に遊ぶ』。
老子は『無為自然』そして『上善水の如し』、『無窮の道』を。

余談的に驚いたのが、『自然』という言葉が作られたのはおよそ4世紀ごろだと言われているらしい。
それまでは自然と言う言葉はなかった。

そう思うと、自然という言葉はいかにも不自然な気がしてくる。

なぜならば、自然とはある意味すべてであるはずなのに、そこから抜け出したように人工いう言葉が出来上がる。
人間は不自然な存在なのだろうか?
そんな事はないだろう。

さて、感想を。

老子は言う。
天地自然に即して生きろと。天地自然=道とはすなわち、自然と名付けられる前の『自然』、私である前の『私』である。


無私、無名、無欲、無言…と読んでいると無+何々の多いこと。

要はすべてを忘れてしまう事が道へと入ることであると。
施政にあたっても、上に建つ人間はそうであるべきであると。

イワンの馬鹿と老子の話は興味深く読めた。
ずる賢く立ち回っても結局うまくはいかない。
それならば、賢く立ち回ることをやめてみればいい。
もちろん、イワンは意図してそうしているわけではないのだけれど。


また、荘子に至っては、その内容よりも彼の人柄のようなものが気になった。

作り話がうまかったらしく、所々でその逸話が挿入されている。

彼の話を聞いていると、なんだか、雲の上を散歩しているような気分になる。


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さて、中国古典に入ったので、この機を逃さず、積読されていた孔子関係の本を数冊攻めてみよう。

それにしても、老子という人物はいたのかいなかったのかはっきりしなかったなんて知りませんでした。さらには、インドへ渡ってブッダになったなんて説もあったらしく、驚きです。