人生において、何かをやろうとすると、
と普通に応援されたり、褒められたりすることがあります。
と言われて、一瞬こちらも縮こまるぐらいの方が価値があると信じています。
という「感想」しか生まれようがありません。
という言葉を久々に聞いたので、
いいねー
頑張って!
と普通に応援されたり、褒められたりすることがあります。
なんなら注目されたり、まだ何を成し遂げたわけでもないのに期待されたり。
そうすると気分が良くなって、頑張るし、周囲と仲良くもできるものです。
それはそれで素晴らしいのですが、
僕は、どちらかと言うと、
それは現実的に考えて無理!
ありえない
できるわけがない
不可能
と言われて、一瞬こちらも縮こまるぐらいの方が価値があると信じています。
できるとしたら、「やった方が良い」か「やらない方が良い」かなら、やった方が良いけど、実現可能性がない、現実味がないというチャレンジです。
「それ、できたらすごいねー」とかじゃないです。
満場一致で、「それは、無理」と言われること。
面白いのが、それを繰り返していくと、
そして結果も出していくと、
だんだん「それは、無理」と言われることは少なくなってきます。
「ああ、あの人ならできるのかもしれない」
そう思わせられるようになったならしめたもの。
でも、その段階でも、
また突拍子も無いこと、前例のないこと、通例から考えるとありえないこと、他社や前期と比較すると途方も無い数字であること、その人自身がやったことないことなどをこちらがいうと、
ふとした瞬間に上記の言葉を浴びせられます。
その瞬間、僕は、「正しい選択をしている」と思えるのです。
何が正しいか?
自分やチームが間違いなく成長する選択です。
そして、その過程と成長によって、世の中にさらに貢献できる能力を獲得することができる選択。
そもそも、
現実的に無理
って、なんなんだよ、アンタの現実なんか知らねーよ。
と僕は思い続けてきました。
例えば、車が10台入る駐車場を持っていたとしましょう。
一台分のスペースにつき、毎日2000円の売り上げ(10台分で20000円)のある駐車場です。
1ヶ月で60万円、1年で720万円の売り上げ。
ここで、社長が年商1億円にしたい。
と言い始めます。
多くの人は、
いやいや、無理無理。
と表立っていうか、
面従腹背で、
「かしこまりました」と言いながら、そんなもんできるわけないじゃないか、バカなのか?と陰口を叩くか、
あるいは素直な子は、がむしゃらに駐車場の呼び込みをして、全力を尽くしたけどダメでしたー!
みたいな感じになって、周囲からそれってどう考えても無理なことをやらされて、パワハラなんじゃね?とか吹き込まれて、精神を病むとか、
そういう感じになりがちです。
で、僕はどんな感じかというと、
社長!イケるっす。駐車場なんかぶっ潰して、カジノにしましょう!
とかいうタイプ。
えええー!うち、駐車場経営の会社じゃん!
何いってるの!
ということを言われつつ、
でもさ、日本ってカジノって違法じゃないの?
→合法にしましょう。
とか、それ、どう始めたら良いの?
→とりあえず、マカオの知り合い当たって見ます!
→そんなのいないよ
→今から行って友達になってきます!
とか、
そんな感じで、当然その工程では「地獄を見ながら」物事をブルドーザーのように進めていく。
その先に、失敗があったとしても、
それが「やっぱり無理だったね」だとしても、
「想像上での無理」と、
「死ぬほど思考錯誤しての無理」
だと、結果としては同じでも、過程が天と地ほど違うのです。
もっといえば、
「できそうなこと」を始めて、「成功」した経験よりも、断然、「後から振り返ると」価値がある。
そう言うもんなんですよね。
そもそも「現実」なんてものは、過去の延長線上でしかなくて、
未来はその延長線上にはありません。
だから、
未来のことを「現実的に無理」なんていうのはむしろ「当たり前のこと」で、その言葉自体に価値がゼロなんです。
30歳ぐらいになって学校に行って、先生から「イチタスイチは2です!(ドヤ)」と言われるみたいなもので、
そんな当たり前のことをドヤ顔で言われても
という「感想」しか生まれようがありません。
で、現実からの延長線上のことをこれからやるというのにしても、
「それ、俺じゃなくてもできるじゃん」
と思うわけです。
そして、それ自体をいかにも凄いことのようにするのは容易にできるのかもしれませんが、いまいちそこに価値を感じられないのです。
でも、これは僕の自己肯定感の高さの賜物なんだと思います。
自分なら、多くの人の力を借りながら、「なんとかする」はずという、
信念を持てています。
これは、
家族やこれまで支えてくれた人たちのおかげだと思うし、
もっと言うと、これまでバカにしたり陰口を叩いてくれたり、僻んでくれたり、恨んでくれたり、そんなの無理に決まってるといってくれた人たちのおかげなんだと思っています。
彼らがいなければ、感情が沸き立たなかった。
感情が沸きに沸き立ったからこそ、継続的に行動ができたのだと思います。
凄いですねー、頭良いですねーとひたすら認められていたら、きっとハングリーにはなれなかっただろうなとも思うのです。(そして、また逆に、これだけネガティブなことも受け入れられるのは、大いなる自己肯定感の賜物です)
現実的に無理
という言葉を久々に聞いたので、
思い出したのでした。
最近、「坪田さんならやりそう」という言葉しか聞いてなかったので、ある意味でとても嬉しく思ったのでした。
当然「あなたの現実と僕の未来を混同しないで欲しいな。あなたの過去にも現在にも未来にも存在し得なくても、僕の未来にはあるんです。そしてあなたにはできなくてま、僕にはできるんです」と明確に思いましたけど。
そういえば、今日は僕の妹の誕生日です。
「整形の一番有名な雑誌に載ったよー!」
と嬉しそうだったので、晒しておきます 笑
これを見て、母が、
「あんたち2人とも良い意味で上へ上へと頑張ってるねー。お母さんも何かやろうかなー」と言ってたのが嬉しいですね。
妹も医学部に行く前は、「無理だ」とか「絶対やめとけ」とか、色々言われてましたが、それを原動力に頑張っていました。
お互いまだまだこれからですが、その気持ちは忘れずに、本当のチャレンジをしていきたいなと思います。
しばらく体を休めて行くつもりだったんですけどね。。。人生は分からないものです。本当に。