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【私の眷属の宿命転換を祈って】③

 

昭和27年10月18日 母は背中に、ぐったりして元気のない1歳の長男をおんぶし、お腹に子を抱えて、
仙石線発着駅の石巻駅から終着駅の仙台駅に向かった。
ご紹介者と一緒であった。
仙台市内において、ご本尊授与をしていただくためだった。


長男は相変わらず体が弱く、ほぼ毎日病院通い。とにかく何とかしたい、
ただその一心だけだった。そして
母の身体は、子供を宿していることもあり少しむくんでいた。腎臓病からくるむくみでもあった。
その日も背中の子はむずがり、母自身も体調はすぐれなかったが、創価学会に入会して、何とか医師に止められた出産を無事に成し遂げたい、この子を産みたいというその心だけだった。


仙台で、無事にご本尊様をいただき、仙台駅から石巻駅に向かう中で、初心の功徳をいただけた。

それまでぐったりしていた長男。食欲の無かった長男がおにぎりを食べ始めた。母自身も、具合の悪かった気分が晴れ晴れとしてきた。石巻駅について自宅に帰り(駅からほぼ歩いて1分)、ご本尊様をご安置して、さっそく親戚の方や、知り合いに、ご本尊様をいただいてからの自分の体調の変化や子供のことなどを話して、折伏に歩き始めた。
お題目も、紹介者に言われた通り、ガンガンあげ始めた。

母と長兄が入会した時は、宮城県で428番目だったと記録に残っている。
石巻では18番目。まだ石巻地区なども出来ていない時だった。

父も母の元気になっていく姿を見て、ほどなく入会している。

翌年の春、母は無事第二子の長女を生んだ。弥生3月であった。
医師の「もう産めません宣告」を覆した。
子供をもう産めない身体と言われた宿命を断ち切った。

その後、さらに4人の子宝に恵まれた。
その6人兄弟姉のうちの4番目が、私である。


突き詰めていけば、母は自身の宿命を「行学の二道」で、勝ち越えた。
その母と父の信心の闘いがあって、私はこの世界に生を受けることができた。

母の入会は、仙台支部がその年に折伏の勢いが増す中での入会だった。
その地方支部の勢いを生んだ淵源は、同年2月の鎌田支部の二月闘争だった。

戸田先生の弟子である池田先生が、恩師の誕生月、そして日蓮大聖人の誕生月をお祝いするという一念より始まった二月闘争。そこから、当時5000世帯ほどの創価学会の世帯は、
昭和32年末(1957年)に、恩師戸田先生の願業であった75万世帯達成へと奇跡の発展を遂げ、さらには、今日、世界192か国のSGIの同志が広宣流布の戦いをなされている未曽有の興隆となっている。
仏教史上、人類史上の新しい歴史が今、二月闘争によって始まり、創られたのだと言っていい。

もちろん、戸田先生の戦後の焼け野原に立った一人立つ精神が淵源であり、初代会長牧口先生の
死身弘法の殉死から、すべては始まったのである。


全ては牧口先生、戸田先生の薬王の供養の闘いが淵源であり、とりわけ第三代会長池田先生の、師匠のご構想を必ず成し遂げるという死身弘法の闘いが
あっての今日の創価学会の大発展。

その創価学会(SGI)に守られて、今この時に、この時代に生きていることへの感謝の思いを何であらわせばいいのか。

昨年2022年 1月6日の聖教新聞一面。
【御書と未来(あした)へ 池田先生が贈る指針】

『この文には日蓮が大事の法門どもかきて候ぞ、よくよく見ほどかせ給え、意得させ給うべし』 諸法実相抄 新1792  全1361

昨年一月よりの聖教新聞を通して、何度も登場する御書。諸法実相抄。大白蓮華の
「池田先生の講義 世界を照らす太陽の仏法」の初めのご講義の御書。

『行学の二道をはげみ候べし』 新1793  全1361

2017年より自身が決意して始めた「我が二月闘争」。

池田先生のお誕生月の一月より、毎年始めている二月闘争。いよいよ頑張ってまいります。
今年は、3月2日に千葉県方面も行くので、決着点を3.11と決めて
さらに前へ、前へ、前へ!正義の走者の一員として。