今日はですね。1月12日と同じように、忘れられない日となりそうです。

 がんセンターで、午後3時過ぎからガリウムシンチ検査を1時間20分(体が動かないように固定されてずっと寝てます)受けました。
そのあと、午後5時過ぎから、(診療時間外にもかかわらず)、K2先生が結果説明(「腫瘍、ありません。」)をしてくださいました。

腫瘍ができていたのは、私は縦隔という場所なのですが、そこにはかすかに残骸があるそうです(20日の造影CT検査の結果)。そして、頭部も含めて、全身には、がんは「なし」ということで(今日のガリウムシンチ検査)、晴れて、

治・療・終・了~で~す

 あ~長かった。この日がくるまで。。
 。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。(ノ◇≦。)



5時過ぎでも必ず結果を連絡しろ、ということで職場の室長から携帯番号を教わっていたので、病院の出口から、うれしうれしの電話をしました。室長の声は、心から「よかったなあ」と喜んでくれている声でした。人様から喜んでもらえるって、ものすごくうれしいですね。そのあと、暗い夜空を見ながら、また私は泣きました。
病気になって泣いたのも人生初めてなら、治って泣いたのも初めてです。

妹にメールしたら、
祝祝祝祝祝祝祝祝祝祝祝祝・・
とマル祝の赤い絵文字が連発されて返ってきました。

血液のがんの場合、完治というものはなく、寛解といいまして、またいつ再燃するかわからないわけですが、「だからといって、生活上、何か気をつけることがあるわけじゃあないんですよね。」(by K2先生) ということなので、心おだやかな日々を、これからも心がけていこう、などと思ってます。

それからアイさんやSさんやK先生やひめや・・大勢の方々に、お知らせしてお礼をしたいです。というか、しなくてはなりません。

でも今夜は、治った~ヽ(;´Д`)ノ

という、それだけで、疲れ果ててしまいましたので、これで休ませていただきます。今日の結果を聞くまで、だいぶ不安とたたかってきましたのでね。。。


・・・それにしても、ほんとうによかった。o(;△;)o





1月12日に、地元の病院でがんが見つかって(先に書いたように、先生は何も言わなかったんですけれども、先生の様子から察することができたので)、それからの私は、

「肺がん末期かあ。腫瘍が1cm以上だと助からないって、誰かから聞いたなあ(本当かどうかは知りません)。私はあと余命何か月なんだろう。」

と思ってました。
「あとどれくらい生きられるのか、早く教えてほしいなあ」、とも、思ってました。

以前から、「いつ死んでもいいなあ」、と考えていました。、それは、「思い残すことはないなあ」、という気持からです。死ぬのが怖くない、とか、そういうことではありません。というわけで、その当時、取り乱しもしなかったし、泣きもしませんでした。

山のようにある仕事を、
「引き継げるようにしておかないと」、
とか、
「これから死ぬのに免許更新行ってもしょうがないかなあ」、
とか、
「部屋の中の大量の書籍や小物類など、どんどん処分しておかないと(私の死後に、妹などにたくさん片付けさせるのは申し訳ない)」
などと、考えてました。

それから、「肺がんというのは、どうもまずいなあ」、と。年老いた両親が残されるのですが、父親が何年か前までヘビースモーカーだったので(今は医者が脅してくれたおかげで、やめました)、私が肺がんで死ぬと、母親が父親を責めるのではないか、と心配したのです。

1月下旬、(アイさんのおかげで)がんセンターを受診するころには、職場の上司も知るところとなり、2月4日にがんセンターから(組織診の結果説明を聞き)職場に戻ったときには、「どうだった、どうだった」と聞かれ、周りの方々や庶務の方などに、状況を説明をしなくてはなりませんでした。
血液のがん、というのがまず珍しく、ホジキンリンパ腫といっても、みんな「??」でした。私もでしたが。
ただ、「助かるんだそうです。」という点は、喜んでもらえました。軽々に、そういうことを言っていいのかな、とも思ったのですが、K先生が助かるとおっしゃったし、周りの方々が知りたいのは、まずは、その1点ですから、後でどうなるかはわからないけれども、ともかく「助かるんだそうです」と話しました。

と、同時に、アイさんへの深い感謝の気持ちでいっぱいになり、いったいどうしたら、アイさんに、このお礼をすることができるのだろうか、と悩みました。・・アイさんへは、心からの感謝の気持ちをお伝えしましたが、10月の今の時点で、なんのお返しも、まだできていません。

ところで、たまたまそのころ、同じ会社のSさん(50代男性家庭円満)から、ヨーガセラピーをしてみないか、と誘われており、仕事のストレスでだいぶ精神的にまいっていたこともあり、お願いします、ということになっていました。
そして、日程はいつにする?というメールがきたのです。2月12日、Sさんに、「実は、がんになりまして」、と返事を送りました。Sさんからは、また午後11時前ごろにメールが返ってきました。そのメールを読んで、私は、病気を知ってから1か月も経ってからですが、初めて泣きました(大泣きしました)。

Sさんのメールの一部です

「・・・高校の同窓会は、専門医がたくさんいます。もし治療に不安や疑問が出てきたら、ご相談ください。セカンドオピニオンの相談ができると思います。・・・私の両親はふたりともがんから回復して長生きしてます。不安は不安としてあるとしても、なにかのご縁ですからなんでも相談してくださいませ。・・・セラピーやる以上西洋も東洋もトータルで一緒に考えさせてください。」

ちなみに、「西洋も東洋も」というのは、西洋医学と、東洋のヨーガ(セラピー)ということです。

Sさんとは、昔からの知り合いでしたが、顔と名前と仕事ぶりは知っている、という程度の知り合いでした。職業人としては、相互に、一定の信頼を持ちあっていたと思います(希望的推測)。
そういうSさんですが、自分には医師の知り合い、つてがあるということ、だから相談にのるよ、ということ、病気を克服するためにどうやって精神を癒していくか、いっしょに考えよう、というようなことを、いきなり言ってくれたわけです。

保健師アイさんもそうですが、Sさんも、私に親切にするギリもなんにもないのです。なのに、私が困った、苦しい状況になったときに、何も頼んでいないのに、彼らは即、手を差し伸べてくれました。こんなすばらしい方々が近くにいたことに、私はまったく気がついていませんでした。(K先生のすごいところもわかってませんでしたが)

そしてSさんの温かい心に触れて、私は、なんだか、ど~っと、緊張がゆるみ、おお泣きしたのです。というか、泣いてから、ようやく、自分がそれまで緊張していて不安を抱えていたことを自覚したのでした。


10日前から、「なんちゃってスクワット」をしている椿です。

「なんちゃって」というのは、本来のスクワットのように深くかがむのではなく、(それは筋肉が落ちていて実行不可能なので)、自分が曲げられる範囲まで膝をまげるスクワットということです。
スクワットは、一度に10回とか100回とかするのではなく、エレベーターやエスカレーターに乗っているときに、ちょっと膝をまげるだけ(同時に息を吸って止める)です。

それだけなのですが、な、なんと。効果があります。

普通に日常生活を送れる人ならば、実感できない効果だと思います。 私は、階段をまともに降りられない状態でした。1段降りるのに片足だけでなく、両足そろえて、また一段、という具合です。それから椅子に10分も座っていると、立ち上がって普通に歩きだせません。筋肉がかたまってしまうからです。よちよちと歩き出します。

これは、長期入院した患者さんなどならたいてい、「そうそう!」とわかる苦しみと思います。

それが、なんちゃってスクワットを始めてから、数日で、足が楽になってきて、椅子から立ち上がっても、よちよちの歩数が減ってきました。階段も、スマートには降りられませんが、片足づつ降りられるようになりました。今日は、歩く歩幅が普通の人と同じぐらいになりました。

筋肉が落ちたのは、抗がん剤の副作用というよりは、この8か月間のうち、朝も夜も寝ている日が多かったからと思います。具合が悪いときには、寝ているしかないわけで、それで筋肉がおちたのは、もう、しょうがありません。でも、普通の歩幅で歩けなかったり、階段が降りられない、というのは、まさか、そこまで筋肉が落ちるとは予想もしてなかったので、いささかショックでした。

いったい、いつになったら、まともに歩けるようになるだろうか・・と、遠い目になってしまったときもありましたが、なんちゃってスクワットのおかげか、今日、一歩一歩、大股で歩くことができて、とてもうれしかったです。

がんになって、人生初めてという、うれしい経験、つらい経験を、だいぶしました。それから、初めて知る幸福感、というものもたくさん味わってます。今日のような、「普通に歩ける喜び!」というものも、そのひとつにくわえられます。