椿地蔵なりきりInstagramなんて始めてしまった。
もともと、椿地蔵に思い入れがあったわけではない。仏教徒でもないし、仏像マニアでもない。旅の道程でお地蔵様を見かけても、さして気にも留めない。
だのに。なーぜー。
きっかけは、店を移転した時のことである。
建物のとなりの物陰に、小さなお地蔵さまが一体あることを知る。この地に住んで30年近くにもなるのに、お地蔵様があるなんて知らなかった。
「椿地蔵前」という交差点の名前は知っていた。その昔、江國香織さんの小説の中に出てくる交差点の名前がそれだったからだ。でも本当にお地蔵様があるなんて思ってもみなかった。
小説のなかに「椿地蔵の交差点を渡り」とかなんとか書かれていた。ような気がする。(違っていたらごめんなさい)。「椿地蔵の交差点」という文字に既視感を感じて地図を調べたことがあった。やはり近所だった。その時の小さなときめきは今も覚えている。好きな小説家がこの近くに住んでいた。その事実に、夢と現実がほんの少し溶け合う気がして、日常からふんわりと意識が遠のいた。
あの頃からゆうに20年は過ぎたろう。
すっかり記憶から消えかかっていたその響きが蘇ったとき、懐かしさがこみあげ、愛おしさにも似た感情が体を貫いた。それは予想もしない感覚だった。
店に通うとき、必ず椿地蔵の前を通る。地蔵を見るたびに、自然と手を合わせ、いつもお守りくださりありがとうございます、と心の中で呟くのが日課となった。
それは、地蔵に願うというより、わが心が地蔵と溶け合うのを楽しむといった方が近い。
なんとも心地の良い数秒間。
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「椿地蔵クッキーなんて作れないかな」
「acoさんが絵を描いてくれたら型作れますよ」
お菓子作家のhn2ちゃんと、こんな会話になったのは、2021年夏のことだ。
軽い気持ちだったし、なんならちょっとしたジョークで、その場のノリでしかなかったかもしれない。なのにその日から、地蔵クッキーのことばかり考えてしまう自分がいた。
一日の中で、何度となく思い浮かぶ。未来を妄想するというより、既にそこにある現実みたいに、クッキーを買いにくる人たちの笑っている姿が、見てきたようにはっきり思い浮かぶのだった。
それは、子供の運動会を見るような気持ちというか、胸のおくに小さな明かりが灯るようにあたたかな感覚だった。
でも、自分は絵が描けない。
あの、椿地蔵の清らかな空気を、クッキーの型に落とし込むなんて、妖精に肉体労働をさせるくらい不可能に思えた。
しかし世の中には神様を絵に描ける人が確かに存在する。お地蔵さまのまとうあの匂いを、線で描けるのは、zzzkだ。彼女しかいない。
zzzkは言った。
「描いてみたい。ぜひやらせて欲しいです」
そうして、お菓子作家hn2と、画家zzzkと、雑貨店主aco(自分)の3人は、集まることになった。
「椿地蔵プロジェクト」の始まりだった。
