夫 実家へ 終 | ちわわのつーさん

夫 実家へ 終

盛岡の友人が車を貸してくれたので 私の実家も行く事が出来ました

夫の実家から 平常時なら車で1時間ほどです

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宮古市金浜周辺 浮きが電柱に絡まっています この高さまで…

電柱の半分は瓦礫に埋まっています



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宮古市民文化会館  成人式をやったところです



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新町 大通りの商店街 だいぶ片付いたそうです



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商店街に船が・・・ 上の写真の場所より海から離れたところです




母の所に 釜石市から祖父母が避難してきています 


祖父母の家は海のすぐそばですが かなりの高台にあります

それでも 1階が浸水しました これには本当に驚きました



津波の時 祖父母は家にいました

まさか 自分の家まで来ないだろうと 思っていたら 

窓から 津波が車を押し流して 迫ってくるのが見え あっという間に 家に水が入ってきたそうです



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『ソファーに座ってたら ソファーが水に浮いて 右にぶつかり 左にぶつかりしたのねぇ』

・・・笑顔で怖いこと言う 祖父93歳


『おじいさんっ 死ぬときは一緒だよって おじいさんにしがみついたんだよ』 と

アツく語る 祖母87歳


どうにか必死で2階に逃げて助かったそうです ああ危ない…



母が 祖父母を迎えに行けるまで 1週間以上かかりました


私は 被災地にいないので TVも見れて ネットも使えました 

皮肉な事に 探す事が出来たのは 埼玉にいる私でした


TVで 自衛隊のヘリが 釜石市の孤立集落を 救助したニュースを見て

さらに その画面に 祖父の後姿が映った気がして 

避難所の名簿を写した写真を ネットで探し 祖父母の名前を見つけて

唯一使えた携帯(au)を持ってる 母の友人に電話し 伝えてもらいました

母は何時間も並んでガソリンを入れ 祖父母のいる避難所へ迎えに行く事が出来ました


でもこの事は たくさん方々の お力がなければ 出来ませんでした


祖父母の集落が孤立している事に気付き 救助要請をしてくださった方


ヘリで救助してくださった 自衛隊の方々


車が通れるように 道路の瓦礫を撤去をしてくださった 自衛隊の方々

これは本当に大変だと思います 文字通りの不眠不休だったと思います


釜石市の避難所をまわって 名簿を写真に撮って ネットにアップしてくださった方

この方がいなければ 見つけることは出来ませんでした


あとauを使っていた母の友人

auは強かった… 


本当に ありがとうございました きっと祖父母は長生きします





岩手県沿岸は 一つの市に いくつかの湾があって 湾に沿って集落があります

ニュースでは 釜石市の湾口防波堤が 壊れたけれど

釜石市内の津波被害を 軽減をしたと言います


でもそのことで 津波の威力が 

同じ釜石市の(北に位置する)両石湾や大槌湾にいったのだと

地元の人は言います


船を守るため船で沖に逃げた漁師さんは 箱崎のところで渦を巻いていて

巻き込まれそうになったと 言います


両石湾・大槌湾の被害は 本当に甚大です

両石湾では 10メートルは超えていたそうです

ニュースには出ない話ですかね



私と夫の親族は皆 両石湾と大槌湾に面していました


親族で 命も家も無事だったのは 両方の実家だけでした

家を壊され仮設住宅の申込をしたのは 3つの家族です

命があったことが ありがたいです


これから 長い長い支援になります

具体的な 支援していくお金の計画をたて 働くのみです