著名人の間でTwitterやInstagramなどのSNSが流行っていますが、一般庶民の我々と世間に知られてこその芸能人のそれとは必要用途が異なると思います。先日放送された村上春樹さんのラジオ番組では、村上さんは情報に惑わされないようにSNSなど利用されていないようです。また、山下達郎さんもご自身のラジオ番組でコロナ禍におけるエッセンシャルビジネスといった新語に警鐘鳴らすように、医療従事者などを特別扱いせず全ての労働者は公平であるというふうに仰ってました。
数年前から自身のブログで過激な発言をして反感を買うことが日常的に続いています。しかし、彼らにとってみればその炎上商法とも言える内容は生産性を呼ぶものだと思います。炎上商法は現代で言う売名行為とも言えるでしょう。
ところが、私たち素人が過激な投稿や動画をアップしたところで双方に何のメリットがあるのでしょうか。自己満足の余韻に浸れるのなら構わないのですが、傍から見れば滑稽です。まるで注目されたいがために馬鹿騒ぎしている俄の野球チームのファンみたいで稚拙です。
僕は10代の頃からブログやYouTubeをしていましたが、今となれば若気の至りと寂れて思えます。そこには経験値は含まれていても現在には何のプラスになっていないからです。失敗と書いて「せいちょう」と読む。戦後初めて三冠王に輝いた野村克也さんの言葉ですが、よく解釈するなら僕のその若気の至りも失敗です。この歳になってやっと身にしみて痛感することがわかるものだと気付かされます。
この歳になれば助兵衛根性を一時の自己満足に済ませるより将来に活用されるものへ繋げた方が生産的かつより利己的だと思えます。例えばこの他愛ないブログにしても書籍化にする。わざわざお金を出してまで読んでくれる人がいるかは兎も角、売り物である以上は下手なものは書けない高尚なものに仕上げようと自身もモチベーションが高まるはず。
もっともTwitterは言葉がどんどん流され淘汰されてしまいます。自分がいつどんな投稿をしたか振り返ることがブログより困難で、思いついた言葉は只管投稿すればいいというものでは無いと思います。過去の感情を言葉に変えたそれを振り返られるならいいのですが、恐らく殆どの方はわざわざそんな手間のかかることはせず、過去を振り返るよりも今感じていることを次から次へと言葉にして呟いた方が気持ちがいいと感じているはずです。例えそれが他人を諌める内容だとしても。
ただ、無闇矢鱈に呟きたくなる気持ちは理解できます。だからこれほどSNSが世界中で広く浸透しているのだと思います。しかし、鋏や車のようにコミュニケーションツールが便利になればなるほど時として凶器に変わることを私たちは忘れてはなりません。
この問題はいつかは人工知能にもすり替えられていてしまうのかもしれないと個人的に危惧しています。AIが流行る前に読んだ東野圭吾さんのプラチナデータという小説を読んで愕然としたのを覚えています。
