ラッセル・フラット

ラッセル・フラット

神に逆らう者はその道を離れ 悪を行う者はそのたくらみを捨てよ。 主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる。 わたしたちの神に立ち帰るならば 豊かに赦してくださる。
イザヤ書

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身内…
親とか旦那とかに対して、

毎度同じパターンで腹が立つ事ってあるのだ。もう、それをされると、毎度悲しくて、理解されなかったとか、ひどいことされたとか、悲しかったとか、そういう過去の心の傷までうずいて、

なんで、この人はいつもこうなのだろう。今度こそ許せないとか思ったりして、

ふと、私は、気づいた…。相手に、私が気に入るような態度を取れというのが、そもそもの間違いなのではないかと。

相手は私を傷つける意図などなく、
これは、私の受け取り方、受け止め方の問題かもしれないと。

そこで、もう絶交だ、今度こそ許せんと思っていた気持ちを脇に置いてみて、

ヤコブの手紙の、

愛する兄弟たち。あなたがたはそのことを知っているのです。しかし、だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい。

人の怒りは、神の義を実現するものではありません。

ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。



というのを思い浮かべ、

怒りを脇に置く、つまり、今は怒らずに、怒りを遅くしているうちに、怒りを忘れてしまい、この御言葉の意味が、本当にわかった気がした。


人の怒りは正確ではないという意味では、

私はこの御言葉をわかっていたけど、

素直にこの御言葉を受け入れ、その通りにすることで、私達は救われるのだと…


聖書には、柔和という言葉がたくさん出てきて、例えば、シラ書には、こうある。


子よ、何事をなすにも柔和であれ。 そうすれば、施しをする人にもまして愛される。

シラ 3:17


私は柔和である事は、

神様に好ましく思われる事なのだと理解しているのだけど、だから、怒らずに過ごす事って大事だなと改めて思ったのですよね。




怒ることがあっても、

罪を犯してはなりません。

日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。 

悪魔にすきを与えてはなりません。

エフェソの信徒への手紙 4:26‭-‬27