Circle of creation

Circle of creation

望む未来を掴むために役に立つ情報を発信!

こんにちは。Tsuyoshi Sasaki です。
最近、神社に行く機会が少し増えました。

といっても、
 

「お願いごとを叶えてほしい」とか、
「運気を上げたい」とか、そういうテンションではありません。なんとなく、です。

 

この“なんとなく”という感覚が、今の時代、少し肩身が狭い気がしていて。
効率とか、合理性とか、エビデンスとか。それらで説明できない行動は、
 

どこか子供っぽく見られる。でも、思うんです。

人は、昔からずっと目に見えないものを信じて生きてきた。神様、仏様、精霊、祖先、土地の記憶。
 

呼び名は違えど、「目に見えないけど、確かにあるもの」を人はずっと感じながら生きてきたはずです。

神社参拝も、本質的にはお願いごとではないのかもしれません。

 

静かな場所で、背筋を伸ばして、手を合わせて、少しだけ自分を小さくする行為。

それだけ。何かをもらうためではなく、「ここにいます」と名乗るため。

 

今の社会は、自分を大きく見せることに必死です。成果、実績、肩書き、数字。
SNSを開けば、誰かの“うまくいっている感”が溢れている。そんな世界で、
 

神社という場所は、一時的にそれらを全部、置いていける。肩書きも、年齢も、収入も、
思想も、立場も関係なく、ただ一人の人間として立つ。たぶん、それだけで十分なのです。

 

神様がいるか、いないか。そんな議論は、正直どうでもいい。信仰とは、
「信じる対象」の話ではなく、「自分の姿勢」の話だと思っています。

 

目に見えないものを一切信じない生き方も、もちろんアリです。

合理的で、無駄がなくて、きっと生きやすい。でも、目に見えないものを完全に切り捨てたとき、
 

人はどこで自分を休ませるのだろう。そう思うことがあります。神社で手を合わせている人たちは、
弱い人たちではない。むしろ、弱さを自覚している人たちです。人は一人ではどうにもならない。
 

だからこそ、目に見えない何かに、一瞬、身を預ける。それは依存ではなく、
確認作業のようなもの。「まだ、人でいていいですか?」
 

そんな問いを、誰にも聞かれずに投げられる場所。多分それが、
神社参拝の本質なんだと思います。こんなことを書くと、


スピリチュアルだとか、非科学的だとか、色々言われるでしょう。それでいい。もし、この文章に
違和感や反発を覚えた方がいたなら、その感情を少しだけ、掘ってみてください。

 

なぜ引っかかったのか。何を守ろうとしたのか。その奥に、あなたが大切にしている
“見えない何か”がきっとあるはずです。そんなことを、神社の帰り道に思ってみた。